2020/09/08 @アクアリウムの泡の中

いきること いきすることも つらいこと

こじなた今日の川柳。某お茶会社のベットボトルのラベルに大々的に貼っといてもらいたい。
もう夏も終わる。
ふと、ふと摂食障害と言うものにであった高二の夏のことを思い出すことがある。
あの時は何もかも必死だった。もちろん生きることもだけど、学校に行くこと。テストの点数をとること。友達と良い関係を気づくこと。高校生活というもののしがらみに全部絡みついて来たと言ってもいいほどあの時は何もかもにもがいていた。よく生きていたなと思う。今ももちろん生きることに必死だけども、あの時の、あの時の17の少女にとって生きることよりも高校生活をいかに、いかに円滑に過ごすか、というテーマだって重要だった。そんな苦しみの中に、プラスアルファ、精神疾患なんてものを背負ってしまったもんだから、ハートはズタボロで息継ぎなんて出来たものじゃなかったなと思う。

摂食障害になりたての時。まだ精神科に通っていなかった時。夜中の2時頃に起きて冷蔵庫の中のもの漁った。食えるものなら全て食った。たぶんみんなが食事とは言えないものも食った。例えば...例えば冷凍してある食パンをそのままだとか。パン粉とか胡麻とか。そのまま食べてた。意識なんてなかった。私はまだ「摂食障害」なんて言葉を知らなかった。苦しくなるまで食って、泣きながら母を呼ぶ。母は私を必死に止めた。私も、母も泣いていた。いきなりの事だった。なんの予兆もなくその日は訪れたのだった。私はその日から「精神疾患」を持つようになった。
次の日は普通に学校のある平日で、顔もお腹もパンパンのまま登校した。夏の暑い日だった。
今でも覚えている。4階の社会科室の一番前の右側の席。夏季講座。生きた心地はしなかった。その日1日、私は昨夜のことしか考えてなかった。数学の授業があったかな。多分その日はその何時間かをどうやり過ごすかで頭がいっぱいだった。
私は授業が終わってからすぐに保健室に駆け込んだ。養護教諭の先生は私を直ぐに病院に行くように言ってくれた。そしてその時、この世に「摂食障害」という言葉があること、そしてこの症状は「精神科」に行かなければならないこと、そして高校生の女の子にこの「摂食障害」という症状はそう珍しくないことを知った。

そして治るのに4年以上はかかること、ましてや完治は珍しいこと、治すことよりも、付き合って行くことを第1に考えた方が良い事もその時知った。
その時はまだこんなに「うつ」状態ではなかったとは思う。でも私は夏休み前に10kg太った。私は吐けなかったからだ。
摂食障害には大きく、大きくわけて2パターンあって、吐く人と、吐けない人。
初めて過食をしたあの日、養護教諭の先生に「吐くな」と言われた。吐いたらもう元には戻れない、完治に時間がもっとかかる、お金も、医療費ももっともっとかかることを教えて貰って、私は吐けなくなった。今となっては幸いだと心から思うが。

あの時の修学旅行だって死にそうだった。地元の駅の中で行われた『調子の悪い人はいますか』というあの言葉。正直修学旅行の日は死にそうだった。死ぬほど食って、死にたかった。でもあの時調子悪いなんてバカ正直に行ったら修学旅行なんて連れて行って貰えなかっただろう。養護教諭の先生は食べたくなったらいつでもおいで、と言ってホテルの部屋番号を教えてくれた。嘗ての教え子には1人部屋を抜けてコンビニまで一緒に行ったこともあるらしい。
もうこの病気は、自分自身の頭の管理下でコントロールできるものでは無い。私以外の摂食障害の子たちだってみんなそうだ。生きることに必死で必死で必死で食って、食って、人によっては吐いて、吐いて切って、切って、飲んで飲んで生きてくしかない。死にたいのに、死ねないから食うんだって。

これ以上書いたらまた色んなことがフラッシュバックしそうなので今日はここまで。

また会いましょう。閲覧ありがとう。生きような。

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