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精神病棟入院体験記(上)

緊急入院になる

 前回のnoteで入院を仄めかしていたが、ある日家族と口論(と言うか一方的な愚痴の浴びせかけ)となり、プッツンと来てしまって家に買っていたダイソーの金づち(工具用の片側がくぎ抜きになっているタイプのものである)で無表情に自室の信楽焼の狸を頭から粉砕してしまった。そこから止まらず、壁中の犬の写真を破り、木製の棚に穴を開け、家族が泣いて止めに来るも
「お前があんなこと言うたから始末付けたんや……こんなもんに夢中になったから全部狂ってしもた言うけん……何の結果にもならんかったしな……」
 と言いながら狸の頭の破片で自分の腕を切り開きながらブツブツ言っていた、らしい。そしてぱったり眠ってしまったらしい。

破壊されたたぬき。心なしか目つきが恨めしい。

 それからどれほど経っただろう、福祉施設の方から心配した連絡を受けた。私は寝ぼけた頭で、全てを洗いざらいゲロった。それまでも「入院した方がいいのでは」という話はあったのだが、いよいよ事ここに至って福祉の方は危険を察知したらしい。私はもう呆然として家族と福祉の方の電話を聞いていたが、どうも福祉の方は一旦電話を切って、主治医に話を通して何とか緊急入院できる病院を見つけてもらったらしい。
「病院に入れば入院で済みますけど、同じことを人にしたら刑務所に入って犯罪者になるんですよ!」
 
その一言に、入院を渋っていた家族は折れた。私は着のみ着のまま持ち物もそのまま(リュックにはよろしくないものも入っていた)連れ出された。ぐでんぐでんの深夜入院で、持ち物検査も内科検査等もそこそこに個室に放り込まれ、とりあえずベッドで眠れた。泥のように寝た。入院の実績解除だー、とだけ思いながら寝た。ただ、飛び込み入院を拒む中すんなり受け入れるこの病院は大丈夫なんだろうか、余裕があるには理由が……と思いながら私は不安だった。まあ昔自分の友人がデイに通っていたそうなので、滝Y病院のようなことにはならないだろうと信じて眠った。

「オトナコドモ」

 朝の目覚めは最悪だった。誰かが叫んでいる。というか呻いている。ゲームのゾンビか。いや生きている爺だ。隣室に人はいないと聞いたが。看護師が検温等のバイタルを測りに来たが、その後は
「ここにいてね」
 と言われた。いつまでここにいればいいのか。人が集まり始めている。がやがやと、段々騒がしくなっている。私は聴覚過敏だ。段々とざわざわしてきた。そのうえ、昨夜からろくすっぽ物を食べていない。空腹で、お手洗いにも行っていない。やたら扉の前を大声で男性が往来する。恐ろしい。躁的な大声だ。小窓から覗くと、なんと男子トイレの入り口が大口でご開陳されていた。私はもうどうしたらいいのか、初日から抑うつとパニックで泣きそうになっていた。いつまで「ここにいてね」なのか。
 そもそも「入院のしおり」的なものをもらっていない。時間の決まりも、病院の決まりも何もわからない。私は身一つだ。どうしたことだ。女性?が大声で号泣したり爺が大声で怒鳴る声がする。子供?の大泣きする声がする。食べ物の匂いがする。私は思わず、部屋を飛び出した。

 結果、私の存在は忘れられていただけであった。

「いつまで『ここにいろよ』って話よねぇ~!」と看護師に笑われたがそれどころではない。先住の患者たちがわらわらと好奇心で寄って来る。どこから来たか、どうしたのか、誰か、質問攻めなのだが皆目がどこかイっている。自分もそうだろうが。困った顔をすると看護師が「来たばかりの人だから……」と庇ってくれた。
 その時の食事は特に記憶にない。とにかくがっついていたのだろう。ただ、やはり男子トイレや浴室が真正面にある部屋というのは過ごしづらい……ということで2階の個室に移動した。
 当時、その病院にはモンスターペイシェントがいた。髪型がAPEXのバンガロールに似ているのでバンガロールと呼ぶことにする。バンガロールは兎に角短気で、私の記憶に残っている限り常に看護師詰め所に
「ちょっと我慢できません!限界です!主治医出してください!!」
「師長さん出してください!!話になりません!!」
「なんで風呂の時間が男が云々で女が云々なんですか!!全然納得いかんのですけど!!説明してください!!」
「ホンマ使えん!はよ退院させてください!!それか家返してくれません!?」
 はやてのように現れてはやてのように去っていく。看護師の忙しさや他の用事のある患者のことなどお構いなしだ。常に自己中、言い方がまた癪に障るのだ。小学校の問題児がそのまま大人になったような幼稚さ。一回丸めたチラシで背後からドつこうとしたことがある。風呂に入った時は湯舟を占領してご満悦だったが、ばっちり全身にお絵かきがしてあった。まあ途中でどこかに消えた。次は刑務所に収容されろ。

 2階に上がって尚、騒音は何ら解消されなかった。スヤスヤ朝方寝ていると、私の部屋の前でご丁寧に爺さんが
「コケコッコー!!」
 と叫ぶのである。「鳴く」「鳴きまね」ではない。「コ」「ケ」「コッ」「コー」と日本語の擬音語として発するのである。一日や二日ではない。おまけにたまに老婆を連れる。恐らく認知症なのだろうが、こちらとしては精神が被害妄想や殺意で限界突破して入院した人間なので、あっさりとプツンときてしまった。私はちょうど手帳に入れていた怖い犬のポストカードを扉の小窓に貼った。犬神の画像である。私は兎に角犬神を貼りまくり、犬神に祈った。
 しかしそれは逆効果になった。物見遊山で患者たちが集まり始めた。私はもはやノイローゼになって、当時差し入れられていたノートに犬が鶏の首を食い破るイラストをでかでかと描いた。そして遂にニワトリ爺さんをつきとめ、問い詰めた。
「くそおどれ、何を毎日コケコッコー言いよんじゃ!馬鹿にしとんか!まだらボケか!!迷惑なんじゃボケアホカス!!」
「何やいきなり!!看護師さん!!この人いきなり暴言言いよるで!!」
 被害者面、と言うか本当に記憶がないらしい。しかし、限りなく正気に近い別の患者が「この爺いっつも興奮したらコケコッコー言いよる」と証言してくれて私は無罪放免となった。
 しかし、その他にも仲良くなった女性患者が夜に突然
「お話ししましょうよ」
 と言って個室に無断で侵入して来る(怖すぎて「俺の側に近寄るなああッ!!」とボスになってしまった)、「コケコッコー」「コケコッコー」と馬鹿にされる、挙句の果てには食事時に精神遅滞や重度認知症の方々が吠える大声やそれに応じて体罰まがいのことをする看護師(介護士?)の態度などに疲弊しきって、私は遂に持ち出してしまった。

「こんな環境とは思いませんでした。いっそ保護室に隔離してください。短期でかまいませんので、その間に家族にイヤーマフを探してもらいます」

 地獄へのサインであった。

地獄は、そこにある

 私は保護室を軽く見ていた。というより、高望みしていた。保護室のイメージは、四方を柔らかい壁で囲まれ、防音しており、出口はひとつ、布団があってトイレがあって、カメラで監視される。適切に清潔に管理された、ある意味退屈ささえ耐えれば安寧な空間である、と思っていた。
 だが私が放り込まれたのはとんでもない地獄であった。
 先住患者は1人男がいた。声は少年に聞こえたが、成人男性のようだった。そやつが、よりにもよって夜にアカペラでやかましく歌うのだ。しかも、同じ歌を何度も何度も何度も何度も、同じフレーズを何度も何度も何度も何度も。保護室の中は狭く、防音など夢のまた夢、小窓が常に何故か廊下側に開いており、そこからド下手なアカペラが流れ込んでくる。トイレはカメラで容赦なく丸見え、寝床は薄っぺらいマットレスが放り出されており、布団もシーツを変えられない。壁は硬い。
 アカペラを1時間程度で諦めてくれるならいい。だがそのおクソガキ様は何と3日間2時ごろから朝にかけて歌い続けてくださったのだ。米津玄師のパプリカが騒音になる日が来るとは思わなかった。人間、寝る時間をそのような形で削られると徐々におかしくなってくる。かの芥川龍之介も何徹したかしたところ歯車が見えたというが、私も正気を失っていた。まず小窓から
「うるせえええんだよ!!下手くそな歌うたいやがって!!オナニーやめろやクソガイジ!!永遠に閉じ込められとけやクソボケ!!くたばれ!!」
 最初から罵倒のクライマックスである。それでもその男はアカペラを辞めない。昼間寝ようとしても人は昼間寝られる生き物ではない。おかしくなってくる。自分を見ているカメラ。最低限しかない部屋。ある日それまでの「プツッ」よりもクソデカい「ブツッ」が来るのである。

「おい!!見よるんじゃろが!!こっから出せやコラ!!どう見てもええ環境やないやろげ!!薬なんか効くかや!!ふざけんな!!おい!!わしは犬けぇ!?ペットショップの犬けぇ!?可愛くないけぇ売れ残りよ!!人を噛んで迷惑かけるけぇ死んだ方がマシなんよな!!やけん死んだ方がええんよな!!ほうよわしはひっとごろし!!ひっとごろし!!ひっとごろし!!」

 そう叫びながら、ドアに延々額を打ち付け続けた。そして
「おいこら!!見よるんやろ!!何とか言えや!!無視か!!無視なら骨折れるまでやるぞ!!わしはそれくらい迷惑しとるけんな!!」
 と言いながら小窓に正拳突きを繰り返した。
 その結果、私は無視されなかった。その代わり、主治医ではない見たこともない女医に
「他害の危険性がある」
 という「俺は寝てないんだぞ!!」という理由を聞かず一方的に書類を作成され強制的に保護室への収容が延長された。抵抗したら男5~6人の看護師に押さえつけられて尻に注射された。
 そう誰も理由なんて聞いてくれなかった


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