自分で考える癖をつけよう。

営業兼全体のスーパバイザー役の石川です。
自身の初回分として、「わかりやすさの罠 池上流『知る力』の鍛え方/ 池上彰」 を選択したのだが、その要約に入るまえに、2点ほど、説明を挟んでおこうと思う。

この取り組みによるアウトプット
今回、社内でこの取り組みを行ったすえに、何ができるようになってほしいかだが、

  1.本を読む習慣をつける
  2.入手した情報を正しく伝える
  3.読書により効率的に得た質の良い情報を自分に(仕事に限らず)活かす

という3点かと思う。

自分自身、恥ずかしながら、習慣としての読書から離れて久しく、これを機に、読書の習慣がつけばと思い、参加することにした。また、正しく伝える=アウトプットする、ということは、こういう機会をもらえない限り、なかなか腰が重いタイプなので、本当にありがたいと思う。やはりアウトプットは、各段と“理解”を深める行為だと思うからだ。弊社は、ある程度自分の責任範囲でやらせてもらえる環境が与えられており、そのフットワークの軽い環境は、本当にありがたい。社会人経験10数年の私くらいの者であれば、保守的になる選択が多いと思うが、こういった恥さらしになるかもしれないことや、新しいことにも、いつも挑戦させてもらっている。異なる選択をしていたら、全然違った人生になっていただろう。ということを、最年長である自分が、自ら行動することで、この会社の社風を体現して見せられたら嬉しいなと思う限りである。

本の選定理由
なぜこの本を選択したのかを、少し伝えておこうと思う。要約とは、誰がまとめても、おおよそ同じになるのが、よいまとめと思うが、読み手の背景によって、大事だと受け取るポイントが異なり、さらに解釈や、そこからの学び、活かし方は人によって異なると思うからである。

① 当取り組みに合致するポイントが多く、全体への助走になりそう。
② どういう答えなのかは、だいたい予想がつくので、さくっと取り組め、
  自身にもハードル低くスタートがきれると思った。
③ コミュニケーションを生業として、早10数年。誰に、何を、どう伝える
    か、を常に考え仕事をしているが、仕事の仕方を見直すきっかけや、社内
    での伝えるのがいいのかヒントがみつかるかも。

上記がどうだったのか、最後にまとめようと思う。

「わかりやすさの罠 池上流『知る力』の鍛え方/ 池上彰」
元々記者としてキャリアをスタートされた池上彰氏が、“アナウンサー”から“キャスター”としてキャリアを積まれ、その後、ご活躍なされている“わかりやすい解説”ができるようになるまでの経緯、情報収集の方法や伝え方のヒント、受け身体制でいることの危険さを警鐘している本である。

 ・わかりやすいとは、“聞く人に合わせて説明する”こと。
 ・わかりやすい、で止まらず、そこから、さらに“知る力”をつけないと 
  いけない。一見理解した風では、メディアに誘導、翻弄される。
 ・わかりやすい・おもしろい vs 正確性。
 ・民主主義の成熟度が低い日本。
 ・ネットは見るものであり、読むという表現にはまだならない。背景に
  は、ジャーナリズムよりも、ビジネスが幅を利かせている場であること
  を念頭に眺めないと危険。
 ・ネットは、嗜好の偏り。自分に似た人の集まりのみにいることに気づか
  ないと、世の中が狭くなる。
 ・インプットしないとアウトプットはない。
 ・インプットの方法
  ① 信憑性の高い紙のメディアが良い。
  ② Sourceの使い分け。情報の信頼度・速度の観点で、どう選定するの
   がいいのか、池上流での方法の紹介。
   新聞:検閲がしっかりしていて、情報の信憑性の高いメディア
   ニュースのDigital版:ぱっとみて、見出しの大きさで重要度がわか
    りやすく、時間のない人には紙で判断するのがしやすい
  ③ 複数比較すること。全部は読まなくても、まんべんなく多様な情報
   に触れることができ、偏りを防げる。
  ④ 新書は、カルチャーセンター。カンタンに専門的な内容に足を踏み
   込める。情報収集できる効率的なコストパフォーマンスのよいもの。
  ⑤ 本屋は、いろんなものを眺めていると、アイディアがうかぶことも
   ある。*異なるものを結びつけることができる。
  ⑥ 積読や、はずれの本でも、無駄足はない。
・わかったつもり、と、知っているは異なる。誰かに話すこと。できれば直
 接話して、何が面白いと思ってもらえたのかの反応などリアクションがわ
 かると、知ることが面白くなり、知る力を鍛えていける。

読んでみて。
わかりやすさを心掛けてくださってるからだろう。内容はさらっと読みやすい。伝え方については、受け手にとっての当たり前も異なるし、受け手にあわせて伝えないといけないということも、そうだよね、という再確認。情報収集については、正直、やっぱりそれしかないよなー(新聞を読んで、読み比べ。また、説明してみて、理解する。)というのが、ざっくりな感想。池上氏が紙のメディアが主流の時代で長く経験を積んでこられたことを背景に考えても、さほど自分の環境とも差はないと思う。そんな自分でも、新聞が信憑性の高さとしてはダントツに主流で、新聞社によっての発言の立ち位置を鑑み、横断して読み比べるということは、面倒だなーと思ってしまう自分(読書の習慣さえ遠のいてる、、、)がいるので、デジタル世代の人からすると(この括りは、失礼かつ誤ってるかもしれないが)、もっとハードルが高いことにはなるのだろうなと思う。ただ、これが知るということから遠ざけ、情報に踊らされる(どう解釈するか、はその人次第なのだから)ことの警鐘にほかならず、池上氏が自分で考えるようにしてください、と伝えたいことなのだ。
今後、デジタルメディアの信憑性や、どんな情報の網に自分を意識的に置くべきかの一般方法論(教育というような大きな話?)が追いついてくれればいいが、このあたり、コミュニケーションの方法を常に考えながら、プランニングをしていく自分たちにとって、試行錯誤は変わりなく、周りをみながら、自分たちが土台を固めていっているのかもしれない
とはいえ、まずは、最低限、受け手の自分が、情報の速度と信憑性に対して、何事にも客観視し、すこし身を離して考えるなどしないと本当に危険だと思う。大きな話にはなるが、最近、現代史のドキュメンタリー番組をよくみるようになった(意識的にしている)のだが、世論や政府の陰謀で、いかに情報をコントロールされたり、デマに流され、悲惨な事件や戦争が起きたのかということを知る。その渦中にいたら、冷静に判断できなくなるものなのかもしれない。デマに流され、殺人(自殺)に追いやる事件は、デジタルのSNSの現代でも簡単に起きているわけで。
というような、当たり前の話や、堅苦しいメディア論を語ろうと思ったわけではなかったのだが、結局、この当たり前ができてない、というのが、本当にいつの時代も、また、具体的な自分の身近なことにおいても言え、アナログだろうとデジタルだろうと、人間繰り返してしまうんだよ、ということなのかもしれない。

マクロやミクロの話を行ったり来たりしたが、こういうことを踏まえ、
誰々がこう言ってた。⇒そういう発言の背景は?なぜそう言ったのか?を意識的に常に考えるようにすると、一歩先の仕事ができるようになるよ、という、いしかわからのお話でした。