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映画『君たちはどう生きるか』感想

 ※予告ティザーなどはありません。


 【’23年8月19日 追記】
 「常識の範囲でご自由にお使いください」とのことで、公式サイトから場面カットが公開されたので、珍しくサムネに引用してみましたー。


自分自身の感性と照らし合わせる


 [本題に入る前に少しだけ与太話を→]どこか説教クサイ文言のタイトルですが、告知が為されたタイミングで既に、吉野源三郎氏の同名小説を思い出した方も多かったのではないでしょうか。小説を読んで感化された方々もたくさんいらっしゃるかとも思いますが、一方で、アンチテーゼを唱えるかのように本の内容を否定的に述べている書籍なども存在します。良し悪し、そして好き嫌いのどちらにしても、他者に影響を与えている小説なわけですが、個人的な意見としては、小説の内容それ自体を知らなくても、本作を観るのに問題は無いと思います。

 そんな本作ですが、公開前の宣伝はポスター一枚のみ、キャストやストーリー設定など他の情報は一切なし……ということで、「ジブリ」「宮崎駿」というだけでも十分な話題性があるはずの中、逆に情報を削ぎ落としまくることで、これまで以上に話題性を生み出していた印象の本作。とはいえこれまでのジブリ作品も、予告ティザーだけでは内容が判然としないことも多々あったし、今さら驚きはしません。しかしながら、そんなこと以上に驚いたのは、未見にも関わらず作品の感想を聞かれることが多かったということ。「もう観た?」「どうだった?」「面白かった?」等々……。宣伝なしの理由について、もちろん、逆転の発想による話題作りとも取れはしますが、たまには「事前情報なし」を楽しんでみてもバチは当たらないんじゃないかな、なんて思う今日この頃。

 そういえば本作の公開開始から一か月ほど経ちましたが、世論の評価は割れがちなんだとか。しかも、先日になってやっと販売された劇場用パンフも「ほとんどが場面カットばかり」という理由で、ネット上では残念がる声がちらほら上がっているんですってね(……どちらもネット記事情報なので信憑性は薄いかもですが)。パンフの中身に説明を求めるのも、前情報を欲しがるのも決して悪いことではありませんが、何もかもを言語化された形でのみ接種しようとするのは、今流行りのタイパだ何だという考え方に近いのかもしれません。そういう風に、本作をコンテンツとして消費したい方、あるいはエンタメを期待している方にとっては、随分と不親切で面白くない作品だったと思います。

 事前情報無しで映画を観られる機会は貴重ですが、「面白いかどうか」「自分に合うかどうか」もわからないのに観に行くというのも酷な話ですし、オススメはしません。きっと多分、こういう類の作品の場合、解説や考察などが湧き出てくるものでしょうけれど、他者の意見や解説に左右されることなく、ご自身の感性に寄り添い、都合の良い解釈で味わうのが一番だと思います。「わからない」「面白くない」のは、単に合わなかっただけですから。

 そんなわけで、本作未見の方は、是非とも前情報無しでの鑑賞をオススメいたします。わざわざネタバレのタグを付けたのは、そんな理由から。ちなみにですが、僕的にはめちゃくちゃ楽しかったです。





 さて、ぼちぼち本題へ(長々と能書きを垂れた手前、何を述べようかと悩んでしまいます笑)。巷では「アオサギは〇〇」「大叔父は△△」等々、宮崎駿監督の人生になぞらえたようにして、誰かしらを象徴しているもののような考察・解釈が溢れ、議論も活発な印象です。僕個人としても、同様に誰かしらの人物、或いは何かしらの作品や文化・文明の象徴のように当て嵌めながら観ていましたが、そういった感想は、正直言うと文章だけじゃ伝えきれないというのが本音なんです笑。

何より、そういう見解ばかりがまかり通ってしまうと、予備知識が必要な映画になってしまう気がするんです。どんな解釈も正解になり得るアーティスティックな映画だと思うし、監督自身も「よくわからない」と述べているらしいので、話題性に対して必要以上に身構えることもないと思います。なので、そういった視点の感想は極力排除しながら、個人的に考えたことを述べていこうかと。



 主人公が頭部から血を流す一幕。アニメーションでなければ不自然に感じてしまうほどの大量出血は、「ドバドバ」とか「ドボドボ」といったオノマトペを想像してしまうほどの流血でした。その他にも、水を飲む、水に沈むようなベッド、涙、形が崩れ液体になる体……etc. 挙げれば切りが無いほど、多くの水の描写やギミックが際立っていた本作。(今思えば、アオサギも水辺が好きな鳥でしたね。)映画冒頭の火災シーン。物語のド頭に描かれることによって主人公マヒトのトラウマ的な記憶のようにも見て取れる「火」とは対照的な存在であるというのも、水の描写が印象深かった要因の一つかもしれません。

 そんなトラウマ、乃至は主人公にとって大きな存在の一つが、亡き母親。新しい母親や引っ越しなど、生活が大きく変化していく中、気丈に振る舞いつつも、心が追いついていないようにも見えました。例えばですが、今は亡き母親以外の女性とキスをしている父親を目にした時の、マヒトの何とも言えない雰囲気なんかは特に印象的でした。

 母親の存在に縛られているかのような、そういったマヒトの潜在意識をガラッと変えてくれたのが、小説『君たちはどう生きるか』。亡き母からの贈り物。こういう形で登場するとは思いませんでした。他にも色んな作品を彷彿とさせる展開が描かれていた本作。そういったものも含め、本のタイトルに託けて、もとい、引き合いに出して、作り手の想いを込めたのかは、観る人それぞれで感じ方が違うはず。というわけで超個人的な見解はまだまだ続きます



 ある時、マヒトが口にする「悪意」の話。それは周囲に害を与えるような敵意というよりは、自らを守るためだけのもの。被害者ヅラするのも、弱さを振りかざすのも、防衛本能。その中でも、「守られたい」という受け身の気持ち。いつまでも母親の存在に縛られていたように見えるのも、母に甘えたい、守られたいという想いに近いのかもしれません。誰だって自分自身が可愛いし大切だし、一番に優先する。それ自体は悪いことではないけど、それが苛烈さを増していくと、作中で大叔父がマヒトに問うた「争い奪い合う世界」になっていくのかな、とも思わされました。大叔父が言う「完全じゃない世界」でどう生きるか。そんな問いに身をもってぶつかっていった少年の物語。マヒトの心を解放したのもまた母親であるというのも、とても素敵で良い巣立ち・自立へのきっかけだったようにも思います。叶うなら、どうかマヒトと同じくらいの齢に本作を観て、感じてみたかったなぁ。



 他のジブリ作品同様、どこか異世界との境界線や出入口を匂わす描写もありながら、それを裏切るような展開も面白かったです。前出のシーンでマヒトが「羽が無い…」と小声で口にするという説明的な瞬間が描かれていたこともあり、塔の外側では軽く気を抜いていたのですが、そんなところに不意をつくようにアオサギが急に現れ、マヒトに干渉してくる。一気に世界観に心を持っていかれました。

 相変わらず大きな背景画も素敵。IMAX上映もありましたが、通常の上映でもちゃんと味わえると思います。個人的には、キャストぐらいは情報あっても良かったなぁ、というのが本音です。職業柄なのか性格なのかはわかりませんが、どうしても声の主が誰かを探りながら観てしまい、時折集中できない瞬間などもあったので笑。


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