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映画『ヤクザと家族 The Family』感想

予告編
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PG-12指定


過去の感想文を投稿する記事【56】


明日4/22(土)に WOWOW にて放送予定の本作。

……今日の感想文、読み返してみたけど、なんか最終的に何の結論も出さず終いの感想文になってた笑。
完全な考察不足!! 
でもまぁ、これを機に改めて観直すのもアリなのかなぁ……。

公開当時、およそ二年ぐらい前の感想文ですが、良ければどうぞー。


終焉


 最初に観た ”任侠モノ・ヤクザ系作品” って何だったっけな……。多分、『アウトレイジ』だったかな。同じ北野映画で言えば『ソナチネ』も。『仁義なき戦い』『極道の妻たち』といった有名どころも面白かったし、『ブラック・レイン』も未だに忘れられない。“ギャング” も同様に一括りにしても良いのなら、一番最初に観たのは『ゴッドファーザー』ってことになるのかなぁ?  近年で言えば『アイリッシュマン』もかな……。

 手に汗握るチャンバラやガンアクション、現実離れした世界観にも劣らぬ輝きを放っていた仁義を重んじる侠気・漢気。死が間近にあるからこそ深みを増す重厚な人間ドラマ。いやぁ……、本当にかっこ良かった。多くの人の心を掴んだそんな “任侠映画” というジャンルは、本作を以て終焉を迎えてしまうかもしれません。



 主人公・ケンジ(綾野剛)が入る柴咲組は、いわゆるカッコイイヤクザ。こんなものが実際に存在するかは知らないけど、銀幕で輝いていたのはこういう人達だった。しかしその一方、敵対する侠葉会は、いわゆる外道・悪党。やっていることも心根も腐った、絵に描いたような悪い奴ら。この対比が面白い。


 柴咲組の面々を描くシーンでは、たとえば「勉強頑張れよ」みたいな気さくなノリで子供に小遣いを渡したり、黒いスーツを着て肩で風を切るように歩くケンジたちの姿の後に、それを見つめる子供のカットを入れ、まるで子供からの憧れのような目線を印象付けることがあった。

 一方で侠葉会の人間は、胡散臭いパーティーで酒池肉林の騒ぎっぷりを見せたり、傲慢で横柄な態度ばかりが先行する。こういう、“ヤクザのカッコイイところ” を柴咲組が担い、反対に “かっこ悪い・醜いところ” を侠葉会が担い、役割分担されている感じが良い。



 このご時世に、反社の人間に感情移入してしまうのは、主人公のケンジ自身の人間臭さが故。何があっても動じない寡黙な感じの人間かと思いきや、ヒロイン(?)の由香(尾野真千子)と一対一で揉め出した時には急に口数が増えたり、運転中に由香が車から降りようとした際には慌ててうっかりワイパーを動かしてしまったり。またある時は、ちょっかいを出すように由香の肩を押したことで彼女から「触んないでよ」と文句と言われ、すかさず「触ってねえ」と、まるで小学生みたいな反論をしたり笑。そういう「あれ? カワイイとこもあるじゃん」みたいなギャップを見せてくる。

自暴自棄になっていた若い頃や、移動中を襲撃され仲間を失ってしまいショックに打ち震える姿なども描かれており、同じ極道でも侠葉会とは違って人でなしの外道ではなく、心のある人物なのだということがよくわかります。



 本作は、現代日本における “ヤクザ” を1999年、2005年、2019年の三部に分けて描く物語。全編に亘って幾度も映し出される工場の煙は、おそらく開発の象徴であると同時に、変わりゆく時代のメタファーだったのかもしれません。一昔前は縄張り、乃至は島にある企業を外資系の企業から守っていたり、勢力を構えることでその地域の治安維持に一役買っていたと聞いたこともあるけれど、今ではただの反社会的勢力でしかなくなってしまったヤクザ。その多くが主人公ケンジの目線で描かれるから、ついつい彼に感情移入し同情や憐れみを持ってしまう。だからこそ今の内に述べておくけど、反社の肩を持つ気は一切無い。そこに居た人間が痛い目を見るのは自業自得だし、ヤクザの存在を美化せしめんとする “家族意識” も決して肯定しようとは思わない。

しかし、排除・分断だけでは社会は変わらないことも否定できない。“ヤクザ” というある種の極論のせいで霞んでしまうけど、再起の芽を摘むという現代社会の怖さも感じます。

再起は認めない、社会からはじかれる、じゃあどうする?
何もさせない、権利も与えない……。終盤、マル暴の大迫(岩松了)から「生きていくしかない」と言われたケンジが口にする「生きる権利奪ってんのはそっちだろ」という言葉。そしてそれに突き返す「お前らがやってきたことを考えれば……」というセリフは、真っ当な意見でありながらも、人権剥奪宣言とほぼ同義。「どっかで勝手に生きろ」とは要するに「”わたしたちの知らないところで” 勝手に生きろ」という意味で、その ”わたしたち” とは、彼ら以外の世間・社会全般。要するに居場所など存在せず、もはや実質の死刑宣告と同等。


 “反社の人間の奥さんだから” 解雇だし、部屋からも追い出す。けど、”反社の人間の奥さんを雇って、社宅に住まわせている企業は免罪”……。とまぁ、この手の話題には様々なご意見があるわけで。繰り返しになるけど、それもこれも自業自得で、「だからこそ反社となんか関わっちゃいけませんよ~」というのが社会の共通認識。

再起の芽を摘み、排除・分断すること——繋がりを断つこと——で成立している社会は、反社会的勢力を排除することを徹底するあまり、罪の無い人までも巻き込んで社会的に抹殺しかねない一面を持つ。
 一方、社会に排除され、 行き場を失った人々の追いやられる場所にもなっている側面を持ち、同時に、自明ではないながらも “家族” という繋がりを重んじるヤクザ……。果たして本作のタイトルの真意とは……、うーむ……。


 現代においてヤクザがどういう存在なのかを印象付ける一本。それ故、たとえ今後どんな任侠映画が生み出されても、惨めな最後しか想像できなくなってしまう。冒頭に述べた“任侠映画” というジャンルは、本作を以て終焉を迎えてしまうという感想は、そんな理由から。


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