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映画『紅の豚』感想

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過去の感想文を投稿する記事【117】

 金曜ロードショーで『千と千尋の神隠し』を放送するんですってね。それは無かったんですけど、何かジブリ作品の感想文なかったかな~と思って見つけた、『紅の豚』感想文ですー。

 データ上だと7年ほど前に書いた感想文みたいなんですが、読み返してみる限り、めちゃくちゃ個人的な話ばっかり。好きな映画の、好きなキャラの、好きな部分を、好きなように書いているだけ……って、それは今でも一緒かな?笑

 よければどうぞー。


飛べない豚はただの豚


ちょっと前置きから

 今この感想文を書くこと、というか書けることはとても幸せなこと。余談や横道に逸れた四方山話を好き放題に書いて、一人でニヤニヤ笑って楽しむなんて、最高の趣味じゃないか。

 映画雑誌等で芸能人や有名人が映画の感想を語っていることがよくありまして、とりわけ『ジブリ』作品についてのそれはとても多いように感じます。長いこと映画の感想文を書いてきましたけど、心のドコかで「いまさら……」という思考がついつい働いちゃって、ジブリ映画は一度も書いたことがなかったんじゃないかな(多分)。

 だからというわけじゃないんですけど、幼少の時分からあまりにも慣れ親しみ、それ故か、真っ直ぐに向き合って作品について考えたことがなかった、そんなジブリ作品の感想を書こうと思ったわけなんです。

 そんな経緯から、何故本作を選んだかという話なんですけど、簡単に言ってしまえば「ジブリ映画で一番好き」だったから(『もののけ姫』(感想文リンク)と超迷ったけど笑)。久しぶりに観たけど、やっぱり最高だ!


「カッコイイとは、こういうことさ」

 その題名に偽りはなく、主人公は “豚”。本作を初めて観た時の衝撃は……、と言いたいところなんですけど、そんなもん覚えていようはずもない。それくらい昔、要するに物心つくより以前から好きだったんだから。

 “熱血”、“俺様”、そして “クール”、“さわやか”……。残念ながら、知ったような口をきけるほどの見識はボクにはないですが、いわゆる主人公と呼ばれるようなキャラクターは、以上のような順序で時代と共におそらく変化してきた印象です。
 しかし、そんな変遷よりもっと前にあった、もう一つの “カッコ良さ”。「ハードボイルド」とか「渋い」みたいな形容が手っ取り早いから、ついついそれらの一言で片付けちゃいがちですけど、当のキャラクターの性格同様、上手に言い表せない魅力が詰まったカッコ良さ。

 めずらしくホテルに姿を現したポルコに顔見知り風な一人の女性が親しげに声を掛けてくる——「お話聞かせて♡」。これは冗談なんかではなく、本当に「♡」が見えるような言い方。その言葉に彼が返したのは「今度二人っきりの時にな」の一言。大人の色香漂う誘惑に狼狽することなど当然なく、さらりと返す刀もこれまた色気とセンスに満ち、余裕さすら零れ出ている。かといって(奥の座席に座る空賊どもと違って笑)すぐにデレデレしたりサカりだすようなみっともない真似は晒さない。なぜなら、たとえ一人で食事をしていようが、イイ男の所にはイイ女が自然と寄って来るものだから。

 事実、彼のもとにジーナがやって来る。ここでのやりとりで垣間見せる小さな所作や仕草のひとつひとつからでも彼のかっこよさが窺い知れます。ジーナの夫(おそらくポルコにとっても大切な友人の一人)が亡くなったことを彼女自身から知らされたポルコはポツリと「いい奴はみんな死ぬ……」と一言。まるで手に持ったワイングラスに呟きかけるかのように小さな声で。グラスに映る(想像している)友人の顔を眺めながら口にする「友よ」という弔いのセリフは、何度見聞きしてもかっこいい。

 「尻の毛まで抜かれて鼻血も出ねぇ」だとか下品な言葉も使うくせに、こんな粋でキザなこともするポルコに憧れ、そして惚れているんです。

 ——「飛ばねぇ豚はただの豚だ」——。そうは言っても、彼の魅力は、地上に居る時だって変わりはしない。なぜなら “カッコイイとは、こういうこと” なのだから。糸井重里さんが生み出したこのシンプルなキャッチコピーだけでも、ごはん3杯はイケてしまう笑。


声の魔力

 掛け値なしに純粋な好きな声というのがあります。「一番は?」と聞かれると困っちゃいますけど、どうにか10人くらいには搾れるんじゃないかな。ポルコの声を務める森山周一郎さんはその一人。先述の「セリフがかっこいい」云々はボクの贔屓目(こういう場合は “贔屓耳”?)によるものかもしれませんけど、声色そのものにはそれぐらいの力が宿っているんだと思うんです。
 先に申し上げておきますと「この声優さんの演技力が~!」なんて話はしません。殊、ジブリ作品に関しては、いわゆる “演技力” なんて話をしても意味があるかどうかも疑わしい。それでも、声一つでこんなにも人柄というか性格というか、そのキャラの “匂い” みたいなものを感じてしまうのですから、ちょっとだけそんな話をしたいのです。

 それは、岡村明美さんが演じるフィオの声が素敵っていうこと。多分探せばそれ相応に適した声や演技をする人は居ると思うけれど、岡村さん特有のあの発音の強さを持つ人はなかなかいない気がします。特に歯茎音の無声破裂音(t)とか歯茎音の有声の弾音(r)とか。
 (わかり易くするために用語を使ってはみたものの、合っているか不安……。要するに、タ、テ、ト、とラ行のことです。)
 これらの音の強さが際立っているから、フィオのハキハキとしたハツラツで快活な性格や人柄を容易に想像できるし、キャラクターのビジュアルと声が違和感なくリンクする印象。めちゃくちゃ個人的にですが、真っ直ぐな少女性と発音の強さを兼ね備えた個性はなかなか思いつかない。


 なんで “紅” なんでしょうか。この色は赤色以上に色味が鮮やかというのが自分の勝手なイメージ。艶のあるその色は、澄み渡る青空や流れ行く雲、日差しが跳ね返る海景色の中では一段と目立ち、ポルコの孤高さを浮き彫りにする。アドリア海の景色が映えることは、彼の周りに何者も居ないことを強調させつつも、その孤独が暗いものではなく、その自然同様に美しいものであるのだと教えてくれる。一人乗りという飛空艇の特性も相俟ってか、彼の生き様そのものを表しているよう。

 一方、戦地においてこの光沢のある紅のボディは、恰好の標的のはず。これだけでも、彼のパイロットとしての力量がわかる。同時に「負けない」というそれだけの自信や自負も。野球選手ならバットやグローブ、料理人なら包丁、役者や芸人ならその芸風やスタイル……。一流と呼ばれる人達は己から口にせずとも、その身なりや一挙手一投足で本人の凄まじさが顔を出す。きっとこの作品にとって “紅” は、その見栄え以上に彼の美しさを象徴してくれる要素の一つ。


 このワードは本作の根幹部分を成す、正に心臓部。「そりゃそうだろ!」って気もしますが、もうちょい考えてみようかと。

 大概の人にとっては「豚」と呼ばれて気持ちいいもんじゃない。「豚って意外とキレイ好きなんだよ」とかいう屁理屈を宣う輩には特に尋ねたいこと笑。偏見で申し訳ないですけど、この呼ばれ方をされて良い気分にはならないと思います。
 経緯こそ不明瞭ですが、彼はとある魔法に掛かり豚の姿になってしまった。そんな彼自身が他の誰よりも豚(=自分)を卑下し蔑んでいる。しかしそのくせ、「ファシストになるより豚の方がマシ」などと言ったり、豚であること(人間でないこと)を誇りにもしている。この不思議な矛盾に、幼少の自分自身が気付いていたかは定かではないけれど(多分気付いていない)、この矛盾さこそポルコの、延いては本作の魅力なんだと思います。


 何もかも手に入れたような強者の棘ある言葉は、ただの弱い者いじめに聞こえてしまう。自身を貶め、卑下するからこそ、ポルコの叩く憎まれ口は活きる。“他より劣っている” かのような物言いは、本人の拗ねた性格からくる照れ隠しみたいなものなんじゃないかな。カッコ良さの奥に潜む男性特有の弱さ。先述の「いい奴はみんな死ぬ……」というセリフもそう。彼はフィオに飛行機の墓場の話をしていましたけど、この「いい奴は」という一言には、自分だけのうのうと生き延びちまった、とでも言わんばかりの哀愁が滲んでいる気がしてなりません。うまく言えないけど、ある意味 “寅さん” 的な魅力もある不器用さにも近いのかもしれません。

 けれど内心では、他人と異なるという “オンリーワン” を誇りにしている部分もあるんじゃないかな。彼には間違いなく男としての誇りがある。幾ら自分を卑下しても、決して言い訳は口にしない。一度カーチスに敗れた時も、飛空艇の調子が悪く、勝負なんてできる状態ではなかったのは本作を観ていれば一目瞭然。それなのにも関わらず、彼は往生際悪く託けたりしなかった。

 先に述べたことも含め、簡単には真似できないかっこ良さ、同時に存在する男特有のかっこ悪さ。表裏一体のアンバランスさを孕んだこの奇妙な豚には、もう一つ魅力があるんです。人によっては “弱点” と呼ぶかもしれないけど。


卑怯者と女心

 先述の紅の躯体は、彼を想う女性の心理からすれば困った事態のはず。自らは敵を殺さずに機体だけを狙う流儀のくせに、相手には「撃ち落とせるもんならやってみな」とでも言わんばかりの見てくれで飛び立って行くのだから。おまけに連絡もよこさない上に、たまにしか顔を見せない。すでに飛空艇乗りの夫を亡くした身であれば、なおさら(その点だけで言えばカーチスの方が幸せにしてくれそうじゃない? 気に食わないけど笑)。

 電話越しに「今にローストポークになっちゃうから。わたし嫌よ、そんなお葬式……」なんて、オシャレな皮肉を口にするけど、あれは大人の女性にありがちな、今更わがままや甘えたことを言いづらくなっている状況みたいなもののようにも見えてきます。理想で言えば、そんな女心を癒し、愛情で絆してくれるような優しい言葉を期待する。なんせ彼の安否が不明となってからずっと心配していたんだから。ああいうタイプの設定の女性は慌てながらも「船を戻してちょうだい」とか言うぐらいが普通な気がするんですけど、ポルコから電話が入ったと知るや否や、彼女は船から桟橋へと躊躇うことなくジャンプする。それだけで心配の度合いがわかる。その一瞬だけを切り取れば恋する少女のようですらあります。

 だけど周知の通り、その電話の相手は、豚への皮肉には豚への皮肉でしか返せないような不器用な男。——「飛ばねぇ豚はただの豚だ」——こんな時ですらこの口ぶり。おそらく彼女もわかっていたでしょうけど、とはいえ、まぁ怒るのも当然だわな。ポルコからすると「彼女を関わらせたくないけどそんな女々しいこと言えないぜ」的な心情にも見えてしまいます。本人がどう思っているとか関係ない。僕にはそう見えました。
 お察しの通り、この名台詞はまさしく、男のエゴ以外のなにものでもない。

 クライマックス、ジーナは彼を「ずるい人」だと言う。男が憧れるかっこ良さを持つポルコですが、男の本分を前にすると、ま~、みっともない笑(これこそ寅さんみたい?)。さっきまでの孤高の気高さが、女心から逃げるための言い訳に見えてくるほどです。

 ポルコは朝、顔を洗う時ぐらいにしかサングラスを外しません。暗い夜でもそう。食事の時ですらかけたまま。風呂にも入らない空賊連中ですら食事中はゴーグルを外しているというのに……。一見ダンディで、かっこいいビジュアルの要素なんですけど、“瞳を隠すことで目を合わさない=女心から目を背けている” とも取れてしまう。フィオからの頬へのキス一つで体を強張らせる様を見ると「今度二人っきりの時にな」などと口にしていた彼はどこにいったのか、と思ってしまう。
 しかし、大概の男なんてそんなもの。どんなにキメていようが、本当に惚れた相手の前では上手く立ち回れないもの。何より彼は、自身を卑下するクセが災いして、心のどこかで「オレじゃ彼女を幸せにしてやれない」とか考えていそう。まぁ女性からすればそれは「言い訳」や「逃げ」に過ぎないんでしょうが。そんな不器用さも愛おしく、女性が不得手な男どもは皆もれなく、この卑怯者に惚れていく。



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