映画『X-MEN オリジナル三部作』感想
予告編
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『X-メン』
『X-MEN2』
『X-MEN:ファイナル・ディシジョン』
過去の感想文を投稿する記事【110】
昨日、映画『X-MEN:ダーク・フェニックス』感想文を投稿しまして。
そういえばMCU関連の感想文はいくつか投稿してるのに、『X-MEN』シリーズは投稿してこなかったなぁ、と思い、投稿してみようかと。
もう全然覚えていないんですが、読み返してみる限り、かなり前の感想文になるのかな? 内容はオリジナル三部作の『X-メン』『X-MEN2』『X-MEN:ファイナル・ディシジョン』。なんか「初期三部作」とか「初代三部作」って呼ぶこともあるみたいですね。
他の『X-MEN』シリーズも気が向いたら投稿しますー。
何度も立ち戻る、振り返る
何年と続くクロスオーバー、シリーズ作品というのは一概には語れません。時代や作り手の変遷に伴って作品自体も異なっていくものだから。
殊、アメコミヒーロー作品となれば尚更。好きであるが故に軽佻浮薄に言葉に出来やしない。しかしそれでも、大きなものには揺るがない芯というか太い軸みたいなものが必要なんじゃないかと。
例えば同門のMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)は、作品ごとに主人公となるヒーローが異なり、正義感や矜持にもそれぞれの個性というか特色が反映されている印象。『アベンジャーズ』とは文字通り、それらが結集し「Avenge(アベンジ:正義をもって悪に報復)」するヒーローたちの物語。
一方、スーパーマンやバットマンら掛け値なしの千両役者を擁するDCエクステンデッド・ユニバースは、(リブートしてそれほど経過していないため未だ判然としていませんけど)ヒーローたちの存在そのものが “正義” や “平和” の象徴となっていたように思えます。
当然、この『X-MEN』シリーズにも同様に根幹となり得るものがあるんですけど、後々に続く作品群が、ストーリー上の時系列と公開順が合致していなかったり、クロスオーバーを保ちつつもそれぞれが独立したシリーズになっていたり、(これはある意味ネタバレになってしまうかもしれませんが→)シリーズのタイムラインを引き直したり等々……。煩瑣とまでは申しませんけど、観ている側を置き去りにしてしまう懸念すら漂うほど(良い意味で)複雑なんです。
僕も『X-MEN』に手を出そうとした時、大いに迷子になりかけました笑。
一作目の『X-MEN』(’00)から始まり、長きに亘り人気を博すこのシリーズには、青臭く言うと「正義って何だよ……っ」みたいなことを思わされることもあります。“アメコミヒーロー映画” にしてはスッキリ終われないことだってあるかもしれませんけど、この初代三部作は、そんな時に見返したくなる魅力があると思うんです。テーマ、或いは彼らのアイデンティティみたいなものを再確認できる気がするから。
“ミュータント” なんて超次元な設定ですが、成熟していると勘違いした世界に生まれた異端に相対した人類を描いた重厚な物語。バラエティに富んだ超人的能力、しかもそれぞれの限界や制限みたいなものが明確だから面白い。人間の強さばかりじゃなく、心の弱さなど、人にとって都合が悪く脆い部分、現実の世界にも類似した要素を孕んでいる物語だと思います。
かなり遠回りな物言いになっちゃいましたけど、要するに、僕は『X-MEN』が大好きです。惜しむらくは、同門でありながら、サノスとの戦い(何年後になることやら)に参戦できないことぐらいか笑。
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