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映画『ジョーカー』感想

予告編
 ↓

R-15+指定


 なんか『アベンジャーズ/エンドゲーム』(感想文リンク)の話とかしてるけど、これ書いたのまだコロナ前の頃だったんだなぁ……。時が経つのは早いです。

 本日投稿するのは、今月にアマプラにて配信開始予定の映画『ジョーカー』の感想文ですー。

 よければ併せて読んでください―。 



階段


 趣味でも自己満足でもビジネスでも、大なり小なり映画を口にするなら避けては通れないとすら思うもの……。『アベンジャーズ エンドゲーム』の記録的ヒットを合わせれば、もはや “アメコミ映画” は現象的にも本質的にも軽視できないジャンルへと昇華したことは明白。そんな中で、本作『ジョーカー』を「語り尽くせない」と感じたのは、まだ一度目の鑑賞後のこと。たった一度では足りないが、何度も観に行きたくなると勘違いされては困ってしまう。途中退席する人も居るかもしれませんが、それは面白くないからではなく、堪えられないからなんじゃないかな。忘れてしまわないように、ここに書き留めておこうかと……。

 「現代社会の闇を如実に……」「ヒース・レジャーとどっちが上か……」等々、公開前からの世上の期待値、公開してからの評判、共に凄まじかった本作。けれど、どうか話題だけに感化されず、これまでに狂(凶)気とカリスマ性が存分に描かれてきた “過去のジョーカー” なぞ期待することなく観るのが最も望ましいのかもしれません。



 名作映画のオマージュシーンについては、映画好きなら誰もが気付くところでしょう。その一方で、過去のバットマン映画を彷彿とさせるシーンについては、オマージュというよりむしろ “必然” なのかもしれないけど、『ダークナイト』(感想文リンク)でのジョーカーのセリフを思い出さずにはいられなかったシーンがあるんです——「狂気とは重力のようなもの 必要なのは軽い一押し」——。這い上がる強さの象徴かの如く翼を持つバットマンとは対照的なこの言葉は、堕ちていくことに対して人間は抗いようがないことを示している。

 本作にはたくさんの見所がありますが、個人的にはその “堕ちる” を浮き彫りにする〈階段〉でのシーンが印象的。だからこそ上記のセリフを思い出してしまったんです。階段でのダンスシーンは皆が口にするほど印象的なシーンではありますが、あのシーンが素晴らしいと思えたのは、それよりも前に階段を上るシーンがあったからこそだと思います。

 階段を上るアーサーは酷くつらそうだった。いつ上ってもそう。そして上った次のカットで郵便受けを開けると “何も入っていない”、空っぽ。“苦労して頑張って上っても何も無いのだ” と知らしめるかのようなシーン。しかしジョーカーの姿になり、階段を下りる際の姿は非常に軽快で揚々。それはもう、上から見下ろす警官たちも怪訝な顔をするほどに……。転げ落ちたり飛び降りたりではなく、一段一段ゆっくりと、しかし着実に堕ちていくことを物語る〈階段〉は、まさしく本作で描かれる主人公アーサー(ホアキン・フェニックス)の暗喩に思えてなりません。楽屋の壁や地下鉄の照明など、他にもアーサーを物語る仕掛けがたくさんある。繰り返しになりますが、語り尽くせません。



 本作は “音” も素晴らしい。ボールペンでも鉛筆でもなく敢えてマジックペン(キュッ、キュッという嫌な音)で書いたり、そしてBGMも同様に、ノイズ音がジョーカーと相性が好いことは『ダークナイト』以降は今更って感じかもですけど、一番胸に刺さったのは重低音。コントラバスか何かかな? 大きい弦楽器で出す音の歪み、そして叩くような音の刻み方、バスドラムの音は、作品のスリラー色を一瞬で引き立たせてくれるだけじゃなく、その音が次第に大きくなることで、まるで恐怖が、崩壊が、破綻が、或いは “ジョーカー” が、一歩一歩着実に近寄ってくるような錯覚を起こしてくれる印象です。不気味や不穏が歩み寄るその足音は、観る人によっては心臓の鼓動に聞こえるかもしれず、より緊張感が増します。何から何まで作り手の思うツボですよホント笑。



 音、というか音楽といえばね、最後にちょっとだけ。劇中で使用されていた曲が問題視されている件について書いておこうかなと。実は本作には、過去に有罪判決を受けた人物の楽曲が使用されているんです。こういう類の話は時折起こってしまう事と言えばそれまでなのですが、出演者や関係者の誰かしらが社会通念上看過する訳にはいかない事態・問題を引き起こした場合に、作品の公開が延期・中止になってしまう事態と同様。「作品に罪は無い」論争はいつまでも平行線のまま、世論の見解は一つ所に収まりはしないから、公開・使用の是非そのものは問いません。昨今では、過去のハラスメントや違法行為を理由にハリウッドの大物が追放されることもあれば、過去の問題発言を原因に立場を追われながらも、多くの演者やスタッフ、ファンの尽力で未だに活躍を続ける者も居るわけだし。

 無論、「面白ければ何でも良い」「売れさえすれば何でも良い」とは申しませんが、問題とされる楽曲が流れたシーン……。雑情報(という形容が適切かは微妙だけど)を廃せば、とても素晴らしいシーンだと思う。少なくとも初めて観た時はその曲のことなど全く知らなかったよ。そこに「実は……」と近寄ってきた不都合な真実のせいで、本作を観て良かったと思っていたはずの自分の心が、まるで信頼していた人に裏切られた時のような苦味を味わう羽目になる。本作を高く評価していればしているだけ、その痼りは大きくなり、場合によっては傷のように肥大化しかねない……などと考えていた時、ふと疑問に思った——「信じていたのに裏切られた、嘘をつかれていた、それによって心が傷付いた」——。これって本作の主人公・アーサーの心と同じじゃないのか、と。もし監督のトッド・フィリップス氏がそんなことを、或いは、幼少時に傷付けられたアーサーの痛みを浮き彫りにすることを狙ってこんな選曲をしたのであれば、もはや “お手上げ” だ。この言葉の意図を「手放しの賛辞」「あっぱれ」とするか「触れたくもない程の嫌悪」「ドン引き」とするか……、どちらと捉えて頂いても構いません。どちらかは人それぞれで、どちらでも決して間違いではないのだから。


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