【小説】どうせ汚れる【テーマ:日本のキレイ】
リンレイアワードという、「日本のキレイ」をテーマにした10000字以内の小説を募集する賞に応募したのですが、見事落ちたので、ここに置いておきます。
(どう考えても私が優勝だと思ったんだけどな…………)
洗剤メーカーがスポンサーということで、「お掃除すると心もきれいになるよ」という王道メッセージを盛りこみつつ、2017年の私に大影響を与えたミニマリズム、禅の要素も盛り込みました。(だって「日本の」「キレイ」だからね)
現代美術っぽい要素もあります。
……を踏まえた、汚部屋に住むキャバ嬢の話です。
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私は汚い。
この言葉が初めて呪文のように頭の中に浮かんだのは、2月だった。当時、急に太客になった男に4月から関西に転勤になると告げられて、咄嗟に
「え~私誕生日、来月なんですよ~ ぎりぎりお祝いしてもらえるね♥ うれしい♥」
と答えた時だった。
本当の私の誕生日は8月だ。この数か月に急に店に通いだした男に「東京出張の時はお店に寄るよ」と言われたが、関西に行くなら間違いなく縁は切れるだろう、それまでに誕生日プレゼントでもせしめておこう、と瞬間的に思った私が発した言葉だった。
その店では私の誕生日は3月ということになった。一番高いシャンパンでタワーを作り、店の女の子全員に酒をふるまったその客は私に腕時計を贈り、関西に旅立った。
「どうせなら誕生日は閑散期の8月のままにしてほしかった、3月なんてただでさえ店は混むのだから」
と、黒服に嫌味を言われたので店を変えた。黒服は「一番きれいな子にやめられると困る」と言って引き留めてきたが、違う。私はきれいではない。私は汚い。
キャバ嬢なんて嘘を嘘と思ったら、やっていけない。
嫌いな客が帰りそうになって、「えー、さみしい」と言う時。
「こんなこと教えるのは●●さんだけだよ」「店にバレたらヤバいから、内緒ね」と言って、何人もの客に同じことを教える時。
「留学資金を貯めている」と言って同情をひき、指名を増やしてもらう時。
私の頭に呪文が浮かぶ。
私は汚い。
不思議なのは、「さみしい」と言えば、本当に少しさみしくなること。
全くする気の無い留学も、いつかはしてみたいと思えてくること。
「本当の気持ちを教えて」と言われるのが常のキャバ嬢だが、本当の気持ちなんてそもそも無いのかもしれない。本当の私は何も思ってなくて、口に出したことが本当になるだけなのかも。
あるかもしれない本当の気持ちを押し込めて、無い誕生日や、無い留学予定で、はりぼてをかためていく。
「ありがとう、◎◎さんの気持ち、嬉しい。でも今は応えられないよ。私、今、留学するっていう夢に向かって頑張ってるところで。恋愛してる場合じゃないっていうか。夜にこの仕事して、昼は英語の勉強してて、デートの時間も作れないし、今だってアフターも同伴もなかなかできないのはそれが理由」
彼はちょっと泣きながら指輪をくれた。
翌日の出勤前に、本屋で英語の教材を買った。指輪も教材も、包みを開けることすらなく部屋に転がされた。
私は汚い。私の部屋は汚い。
誰もが振り返るほどの美貌をたたえ、腰を少しだけ意識して大きく振りながら歓楽街を闊歩する私も、出てくるのはしょせん、この汚い部屋からだ。
朝方帰って、酒臭い息のまま化粧も落とさずベッドに倒れ込み、夕方にアラームで起こされる。鏡の周りに昨日のやりかけのように散乱しているコスメをかき集め、化粧を始める。そんな日々。きれい、と毎日言われていた。汚い自分を塗りこめるように、高い化粧品を塗りこめるのがうまくなる。しかし、それで美貌を褒められても安堵せず、むしろ心の置き所がなくなる。光で強く照らされるほど闇が濃くなるように、私のうしろめたさは増幅する。私の部屋は汚い。布団なんかもう何か月も洗っていない。床に掃除機もかけていない。閉め切ったカーテンが重く垂れさがる部屋で日光も浴びず、ただ私の酒臭い息だけを吸うこの部屋の空気が発酵していく気がする。
でも、この臭いをかぐと、少し安心する私がいる。この部屋の汚さは、私にふさわしい。
バッグが、財布が、ピアスが、ピンヒールが、客とゴルフに行く約束をする代わりに買ってもらったクラブとウェアが、あらゆる百貨店の包みが、送り主が誰かも判然としないまま床に投げ捨てられていく。それは、送り主を侮辱したい気持ちもあったけれど、それより、私のような汚い人間にはこんな贈り物は似合わない、贈られるに値しない、という気持ちの表れだったのかもしれない。
毛皮のコートを床に投げっぱなしにしておいたら、梅雨時にひどいカビが生えてしまった。まるで草原のように床と一体化したコートをおそるおそるひっぺがすと、その下には、無くしたと思った牛革のショートブーツの片方が見つかり、しかし黒色だったはずの表面は見事な緑色になっていた。
その頃、飲食業を経営する客からこんな話を聞いた。
「うちの店のキッチンに置いてある、業務用のサラダ油のでっかい一斗缶、最近なんか黒っぽい炭みたいな汚れが出てくるなーと思ったら…‥、缶の底に、ゴキブリが10匹以上沈んでたんだよね……」
しかもおそらく数週間、既にその油で作った料理をお客様に出していたそうだ。
その話を聞いてからというもの、私は私の部屋にゴキブリがいるのではないかという恐れに憑りつかれることになった。
私は自炊はせず外食ばかりで、家に食べ物を持ち込まないから、実際にゴキブリが出る可能性は低い、でもカビもゴキブリも私にとっては同じだった。カビが出たのだからゴキブリも、きっと。
仲間のキャバ嬢と一緒に太客の中年社長の禿げ頭をつつきながら
「テカってるー!」
と騒ぐ、その最中にも、禿げ頭のテカリから、ゴキブリのテカった背中を連想してしまい、酒を戻しそうになる。
ナンバーワンの嬢の自慢の艶やかな黒髪を見ても、そう。
私は汚い。私の部屋は汚い。
だからゴキブリが出たのを見たら、私は少し安心するだろう。どうせ絶対にいるのだから、早く見せてほしい。
そう思いつつも、部屋にいると頭に沸いてしまう、あの黒い虫の陰が恐ろしいので、私は、あまり家に帰らなくなった。店がハネてもホストクラブに向かい、外が明るくなるまでバカ騒ぎをして、フラフラになってから帰宅し、卒倒するように眠ることにした。男の家に行くことも多くなった。割と、泊めてくれるなら誰でも良かった。
誰にも自分の心の中を打ち明けられなかった。だって、私の心は汚いのだから。こんな汚い心を誰にも見せたくないと思い、自分にすら隠していた。
私の店での成績はナンバーツーにまでのぼりつめた。当たり前だ。とにかく家に帰りたくないから、休まない、早く出勤し、遅くまでいる。枕営業もする。
しかし成績が良くなっても黒服にはあまり褒められず、むしろ心配された。稼ぎは増えたが、その分の金がなぜか怖くて、私は派手な遊びで金を使うようになり街で妙な噂も立った。
店で吐く回数が増えた。客が増え、その分酒量も増えたからだ。便器を抱えて吐ききった後、再起するボクサーのように這い上がり、店のトイレの鏡を睨む私の顔は恐ろしく美しかった。その美しさが長く持たないことも、私は知っていた。
私の誕生日を3日後に控えた日のことだった。私は誕生日イベントに客を集中させることにしたため、その日はやけに客が少なく、早帰りせざるをえなく、たまたま指名のホストもつかまらなくて、くさくさしながら自宅に帰った。その日は熱帯夜で、普段は肌が乾くという理由で極力クーラーを使わない私が、その夏初めてクーラーをつけるほどの熱さだった。
その夏初めて稼働したクーラーは奇妙な音をたてながら少し埃臭い不快な匂いを放った。
また、酒の力を使って無理矢理眠るのを常としていた私は、その日は飲み足りなく、身体が疲れていたのに眠ることもできず、やけに目が冴えていた。
やっと眠りに入ろうとしては、客からの携帯の通知で起きる、ということが何度か繰り返された。
そのどれが悪く働いたのか分からないが、私は浅い夢を見て、そしてそれは私の部屋に散らばるプレゼントを開けるとゴキブリが飛び出してくるというものだった。そして私はプレゼントを次々開けては威勢よく駆け回るゴキブリをつかまえて、口の中に放り込み、おいしそうに飲み込むのだ。
私は叫びと共にベッドから跳ね起きた。お守りのようにいつも手の届く場所に置いていたゴキジェットをつかみ取ると、迷いなく口の中に噴射した――。
記憶に無いのだが、私は店長とマネージャーにしつこく電話していたらしい。
「何言ってるか全然分かんなくて、ヤバい薬でもやってんのかと思って、どこいる?っつったら、家、つうから、とりあえず行って。そしたら、手足ピクピクさせてたわけ、それこそ死にかけのゴキブリみたく」
私が住んでいるのは、店で借り上げている寮としてのマンションだったから、店長が合いカギを持っていたのが救いだった。
店長は私をタクシーに乗せ、深夜もやっている病院に連れて行った。胃洗浄をされただけで身体に後遺症が残る事態にはならなかったが、私は清算を待つ待合室でずっとうわ言のように繰り返していたらしい、「やめさせてください」と。
私は店を休むことになった。
店長が私の家に入って片付けを手伝うと申し出てくれたが、私は悲鳴を上げて拒否した。私の部屋を見られるなんて、私の汚さをぶちまける行為だ。既に一度見られたというだけでも頭を掻きむしりたくなるほど恥ずかしいのに。
家のドアを開けると、殺虫剤の臭いがツンと来て瞬間的に鼻をおさえた。床に足を踏み入れるといきなり転んだ。玄関からすぐのところにゴキジェットが転がっていた。記憶があいまいだが、どうやら部屋中にゴキジェットを噴射して回ったらしい。新品だったゴキジェットは、空になっていた。床はスプレーによって濡れ、つるつるに滑りやすくなっていた。白く染まっている百貨店の包みもいくつかあった。
私は何か月かぶりにクローゼットを開け、服をハンガーにかけ始めた。贈り物もとりあえずしまいこみ、入りきらないものは壁に沿って床の隅に並べた。多少は床が見えるようになった。カーテンを開けた。窓を開けて換気すると、いくぶんか殺虫剤臭さが和らいだ。ここに住む私は虫ではないのだから、有害なこの臭いをまず取り去らないといけない。
壁や床や窓を、要らないタオルで水拭きした。掃除を始めると楽しくなり、風呂を磨き、布団を干した。全く使っていないため物置台となっていたキッチンも整頓し、コーヒーくらいなら淹れられるようになった。私は掃除に熱中した。携帯の通知をオフにし、三日三晩、部屋で黙々と掃除し続けた。
最後の仕上げに、ドラッグストアでワックスを買い、床をツルツルにした。今までとは見違える美しさを発揮しだした部屋で、私の心も少しはきれいになった気がした。ツルツルの床、自分の身体ひとつ分のスペースが出来た床が嬉しくて、四肢を伸ばして寝そべった。床だけでなく、自分の身体も広くなる気がした。
ああ、卒倒するように眠る以外で、意識がある状態で、寝そべったことなんて、しばらくぶりだったんじゃないだろうか。私は私の身体の位置を、範囲を、ちゃんと分かっていなかった。そしてきっと、心のありかも。
翌日、私の誕生日が訪れた。
キャバクラの客なんて現金なもので(あるいは店長が私がうまく休めるように気を回したのかもしれないが)、3日も連絡を放置すれば向こうからやって来るメールなんてほとんどなかった。そのかわり、毎年変わらず届く昔からの友人や家族からのメールを、嬉しく感じた。
「ご飯食べに行こう」
「プレゼント何が欲しい?」
と聞いてくる彼らに、
「逆にこれ、もらってくれない?」
と言って、百貨店の袋の中身を写真に撮り、送信した。それらは一般的な常識だと大層高価なものなので、皆驚いたが、私は少しでも部屋を広くしたかったのだ。
今の私には、ツルツルの床が少しでも広く見えることが、快適な床が、一番のプレゼントなのだ。
売りなよ、とも言われたが、お金は十分に持っていたし、お金を持ちすぎても幸せになれないことを私は知っていた。でも、心配した母が上京してきて、プレゼントの多くをしかるべき店に持っていき、お金に換えてくれた。
店をやめるとして、寮であるこのマンションからの引っ越し費用や次の家の敷金、礼金を引いても、あり余るほどの額が、それこそ、留学できるほどの額が残っていた。ので、留学した。
「本日は、グローバルアートアワードの大賞受賞作品『何も無いすべて』のお披露目に、多数の方にお集まりいただき、ありがとうございます。それでは、クリエイターのHIMEKAに、ご登場いただきましょう」
たくさんのいろんな色の目に見つめられ、拍手を浴びながら、私は、即席で作られた、小さな表彰台にあがり、一礼した。何でもないただの路上に200人以上が集まり、皆、コートの衿を立て、手をこすり合わせながら寒さに震えている。しかし壇上に立つ小さなアジア人のおばさんを見つめる目は好奇心でらんらんと輝いている。
集まってくれた人には寒い思いをさせて悪いが、華やかな授賞式やパーティが苦手な私は、この、そのばしのぎでつくられた簡素な場で記者会見、プレスリリースまで済ませられるのがありがたかった。
「HIMEKA、このたびの受賞、誠におめでとうございます。まず、この場にアートを作った意図を教えていただけるかしら」
「はい。私のアートは、片づけること、掃除すること、美しい無をクリエイトすることです。ですから、片付け甲斐のある場所を選びたかった。このブロンクス区は、NYの中でも、えー、あまり、お行儀のよくない……その……『ワンちゃん』、が、往来する、地区で、ワンちゃんの、おしっこや、ウンチが壁を汚してまして……、……それから、もしかしたら、人間のも」
アジア人がかました精一杯のジョークに、人々は腹から笑ったり、顔をしかめたり、めいめいの反応をする。
「それから、私は世界中あらゆる場所でアートを作ってきましたが、特に今作では、とかく視覚情報が多いことが是とされる現代社会、空白があれば広告で埋めようとする社会へのアンチテーゼという意図がありました。そのため、世界で最も広告が出し尽くされ、広告で疲弊し、アンチADの運動すら起こり始めているNYで制作したかったのです」
そこまで言うと、私は、後ろの壁に視線をやった。そこにあるのは、ただの壁だ。グラフィティアートが描かれ、消され、上書かれ、薄汚れ、掻き消え、それから酒やオシッコがひっかけられてきた、ただの壁。それを私は、数日間かけて完璧な精度に磨き上げ、本来の色にまで戻したばかりでなく、まるで鏡化と見紛うようなツヤさえも与えた。壁を見つめていると、スタッフと協力して24時間体制でこの壁を守り、向き合った数日間が思い起こされる。入ると予想された邪魔――酔っ払い、ラッパー、グラフィティアーティスト、チンピラ……――も、私達の作業に興味を示して近寄って来はしたものの、私達があまりに一心不乱に壁を磨く姿をしばし観察すると、なぜか無言で立ち去るのだった。
私は、日本で自室を掃除したあの3日間を、今も繰り返している。そういえばあの時も、わずらわしい電話や来客は一切無かったな。
「えー、HIMEKA、タイトルの『何も無いすべて』というのは、どういう意味かしら?」
「はい。私は、何も無い場所に全てを見出します。15年前、私は東京でキャバクラ嬢――ええと、ドレスを着て、男性にお酒をついで、会話をして、お金をもらう仕事です――をしていました。その時のワーキングネームが姫華、gorgeous princessという名前で、それは私のボスがつけてくれた名前で、私の本当のファーストネームとは異なるのですが、とにかく、私はその名の通り、まるでお姫様のように何もかもを手に入れていました。若さ、お金、美貌、賞賛。でも、私は心身ともに乱れていました。外面は美しく磨いていましたが、それは他人にほめてもらいたいがためで、その上、ほめられてもちっとも嬉しくない。でもそれをやめられない。自分の心が曇り、自分でもよく見えなくなっていた。そして、私はあるきっかけで仕事を休み、そこで三日三晩掃除をし、床を磨きました。そうしたら、私は全てを手に入れたのです。今私が生きているという実感、ここに地に足をつけているという実感、そして、私の心のありか、そして、使命です。誰かに見られるためでなく、ただ自分のためだけに、自分の部屋の床を磨いたら、自分がよく見えるようになったのです。私はその自分をより見つめるため、留学し、アーティストになりました。……とはいえ、私がやるのは、ある場所を美しい『無』にするというだけ。せっかく受賞しておいて何ですが、アートというのもおこがましいかもしれません。それはどちらかというと、禅の、食事、掃除、日常の所作の多くを修行とみなす考え方に近いものです。禅僧は自らをアーティストだとは言いません」
ここで私は咳ばらいをひとつした。
「でもね、私はむしろ、掃除はとてもクリエイティヴな行為だと思っています。私が三日三晩、心をからっぽにして壁と向き合い、ひたすら磨き上げた時間を想像してもらいながら、この壁を見つめていると、むしろ、何もなければ何も無いほど、何かが浮かんでくるというのが分かりませんか。今、あなたの心に、豊かなイメージが浮かんできませんか。それこそ、クリエイティビティです」
私がそう語り掛けると、聴衆はしばし沈黙し、壁に見入った。風の音と、遠くを走る車の音だけが聞こえる。これだけ多くの人が調和し、静けさを作り上げている。聴覚的にも美しい、贅沢なひとときだった。
やがて、司会の女性が我に返ったように時計を見て、口を開く。
「えー、皆さんの心の中にもクリエイティビティの灯がともったところだと思います。それでは、HIMEKA、この後の『解禁』について、聞かせてちょうだい」
「はい。当初からアナウンスしていますが、今回の作品は公共の場所を使っており、私が勝手に壁を磨いて作品と言い張っているだけです。ですから、制作中に誰かに邪魔をされてももちろん文句は言いませんし、解禁後ならなおさらそうです。いえむしろ、私は解禁を待ち望んでいます。人間は、汚して、磨いて、ワンセットです。片方しかやらないのは人間ではありません。ですからこの壁が、――受賞決定から本日のお披露目まで、アワードの主催者によって守られていたのは、まあ致し方ないことかと思いますが――、新たに汚され、いえ、新しいクリエイティビティによって手を加えられてこそ、完成するとも言えます」
「HIMEKAの作品は、最高で時価20万ドルで落札されたこともありますが、それでも作品が変わってしまうことはかまわない?」
「もちろんです。というか、この壁を売るとしたらまずこの壁が誰のものか議論しないといけませんし、それは厄介ですよね。きっと近所の方が皆『自分の壁だ』と言い張るでしょう」
聴衆の数人が「俺のだ!」と声を上げ、平和な笑いが起こった。それをうけ、
「というか、何もされない時点ではこの壁は未完成なので、価値ゼロです」
私は肩をすくめてみた。
「ありがとう。あなたは素晴らしいアーティストね。HIMEKA」
私たち2人は握手をし、壇を降りた。
警備員によって、お飾り程度に壁の周りに並べ立てられていたカラーコーンが外され、人の列が乱れた。
「では、アーティストHIMEKAによる『何も無いすべて』、これより、『解禁』!!」
司会の女性が宣言しても、まるで自分の顔が映りそうなほど美しく磨き立てられた壁に近寄る者がいこそすれ、誰もはじめの一手を出さない。皆、ポケットにマーカーやペン、ステッカーやペンキなどめいめいの道具を忍ばせているはずなのだが。
その時、
「ヤー!!」
という子供の甲高い声が急接近してきた。日本のトイレの男子のマークが走って来たのかと思ったら、それは青いペンキを頭からかぶった男の子だった。
子供は壁に激突し、なすりつき、激しい動きで自分の青を壁に移していった。
大人たちは拍手し、口笛を吹いて彼を称えた。
私は微笑しながら、いつもポケットに入れている、それをまさぐるだけで心が落ち着く、歯ブラシサイズの小さなブラシを取り出し、青に近づいた。そして、踊る男の子の痕跡の上に、私のブラシをこすりつける。私のブラシが触ったところだけ、壁の地の色が浮かびあがっていく。私は踊るように、自由にラインを滑らせていく。
男の子はまだ踊っている。私も踊る。
それは、どちらが汚すでも磨くでもない、二人のクリエイターのダンスだった。
(了)
スキを押すと、短歌を1首詠みます。 サポートされると4首詠みます。