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「自分には感情が無い」と思ってたけど、あった。それは、臓器が一個増えるような発見だった。

「れいちゃん、自分では『心が無い』って言ってるけど、心あるよね」
と言われたことがある。

それまで一度も他人と大喧嘩したことも無かった私が、28歳になって初めて、絶交寸前にいたる大喧嘩をした、その相手の女友達にだ。

元々、互いの恋愛相談を洗いざらいし合う間柄だったのだが、私が片思いしていた男の子に対して彼女が色目を使うような行為を私の前でして、でもそれは私の勘違いかもしれず、そしてその男の子に私はお金を貸していて、返してほしいのに連絡とれずにいて、しかし彼女に惚れた男の子は女友達の方にガンガン連絡したりして、……もはや何が真実だったかはもうこんがらがり過ぎて覚えていないのだが、とにかく恥部を晒して火打石で擦り合うような、みっともない喧嘩をして、双方大泣きに泣き、いろいろの誤解がほどけてなんとか和解に辿り着いた時に、そう言われた。


彼女が私の心を育てたのかもしれない。

というか、私が人目につかぬよう、戸棚の奥に隠して何とか涼しい顔して「ないです」と言い張っていた「心」というものを引っ張り出して、ちゃんと私に「あるよ」と見せたのが、彼女だった。


臓器が一個増えた感覚だった。


彼女には心がありすぎた。


彼女が私に、多すぎる心を分けたのかもしれない。


私は幼少期から、「自分には心があんまり無いなあ」と思っていた。

親や先生が「相手が嫌がってるからやめなさい」といった発言をすると、「なんで嫌がってるとやめなきゃいけないの? 嫌だという気持ちは当人が押し殺せばなくなるものなんだから、そんなのやめる理由にならないんじゃない?」と理屈をこねていた。感情のことは、「押し殺せばなくなる」程度のものとしてひどく低く見積もっていた。

級友が泣いたり叫んだりと騒がしい教室を眺めながら、「みんな感情が無ければうまくいくのに」と思っていた。


「好きだからこうしたい」「これをすると楽しいから」という動機で何かすることがあまりなかった、というか、厳密には物事の好き嫌いはあったのだがひたすらそこに無自覚で、では何を動機にして動いていたかというと「虚栄心」「苛立ち」だった。


「自分の心には、褒められた時に満ちる『虚栄心』と、上手くいかない時に感じる『苛立ち』の2チャンネルしかない」と思っていた。

苛立ちを最小化し、虚栄心を最大に満たす、マシンのように行動した。東大を目指し、合格したのも、このマシンの仕組みと受験の仕組みがうまく合致したからだと思っている。


自分の好き嫌いがよく分からないので、他人の好き嫌いも読み取れず、感情的に振る舞う他人を見てもピンとこなかった。
「よくもそんなデカい声で笑ったり泣いたりできるな」と、ちょっとみっともなく感じるとともに、憧れてもいた。私はあまり喜んだり怒ったりしない人間だった。大体いつも、苛立っていた。


27歳になった頃、だんだん、私の心にガタがきた。

好き嫌いを押し込めて、無いことにしていた私の中には、まるでゴミを溜め込むと有害なガスが発生するかのごとく、「寂しさ」という厄介なものが発生していた。いつしか、私の心は3チャンネルになっていた。虚栄心と、苛立ちと、寂しさ。

自分にすら自分の感情を分かってもらえないかわいそうな私の心の底には、「わかってわかって」と鳴り続ける通奏低音のように寂しさがあったのだが、しかしその音にうまく耳を澄ますことも出来ない私は「この、よく分からない心のわだかまりを、売り物にしよう!」と、ものすごい発明をする。


若い女の寂しさには高値がつく。


大学職員の仕事をしながら夜にこっそりやってみたチャットレディのレポをネットに上げると、驚くほどの評判となり、元々物書き志望だった私は仕事を辞めて、本格的に水商売をやってみることにした。

「安定よりネタをとるなんて作家根性がある」「レポ、面白い!」「東大卒から水商売なんて、肩書にヒキがあるね」と言われれるたび、私の虚栄心は満ちた。が、寂しさは相変わらず置いてけぼりだった。

持ち前の分析欲と凝り性気質のおかげで、水商売の成績は割と良かった。毎日出勤前に2,3時間メールをしていた気がする。受験勉強と同じで、やりこむほど成果が出るのだ。水商売は「売り上げ」や「指名本数」によって、成果が数値化される世界だ。数字が上がると虚栄心が満たされた。

が、ここで、私が放置していた寂しさのフタが勢いよく開いてしまう。そうれは、水商売の世界に住まう女の子とその客によってだった。


女の子達は、自分の好き嫌いをないがしろにする私とは正反対の、まさに気分が服を着て歩いているような子ばかりだった。気が乗らない、という理由で客をふったり、そもそも出勤しなかったり。しかし気が合う客と意気投合すれば、たとえ金を持っていない客だとしても、店がハネたあとタダで飲みに行ってしまう。損得勘定が無い。感情で動く。客も同様。酔っ払って、感情も財布もガバガバで、何にいくら払うかが全く読めなかった。

好き嫌いを丸出しにする彼らにアテられて、私も徐々に「おや? 私にも、「感情」というものがあるようだぞ?」と気付き始めた。いや、というより、もとから持っていたけれど、「みっともない」とか「非効率だ」とか「押し殺せばないことに出来る」と思って、まるで継子のようにネグレクトし続けていたもの。

しかし、水商売というのは、その「みっともなさ」「非効率さ」にこそ金が支払われる場所だ。感情的な子、バカ騒ぎが出来る子ほど人気が出る。



そんな女の子達にアテられて、私もいよいよ自分の感情を解放し始めた。


そうしたら、どうなるか。


まずは、負債であった寂しさの方が、爆発した。


私の胸を突き破り突如激しい産声を上げた寂しさに対して、ずっと継子扱いしていた私はどう愛情を注いでよいか分からず、しかしとりあえず応急処置でもするように、恋愛とセックスをしまくった。

27年間ほとんどしなかった分を巻き返すかのように。多分この1年間で30人くらい寝た。

性器を擦りつけた30人には、文字通り、身体を開いても心は開いていなかった。寂しいのは心なのに、心オンチすぎるので、身体を物理的に近づけて何か分かった気になって、それを恋愛だと勘違いしていた。だから私はいくら惚れても誰の本命にもなれず当然のごとくセフレにされた。当然だ、身体しか近付いてないんだから。そして私は相変わらず寂しかった、いや、それどころか寂しさは増幅した。私の胸に空いたでっかい穴はどんどん広がり、そこがあらゆる男を呑むブラックホールのようであった。私自身も呑まれていた。


そんな寂しさ暴走期間の最後に好きになったのが、冒頭の彼で、そして彼をめぐって大喧嘩したのが彼女だった。



30人寝た男の誰にも、いや歴代彼氏の誰にも見せていなかった心のある面を、彼女には見せてしまった。それは似た者同士の呼応だったんだろうか。

私が「みっともない」ところを見せた、多分初めての相手。だから、一応和解で終わったとはいえ、3年経った今も妙なわだかまりは残っているし、正直「会おう」とか言われたら胃が痛くなる。


何が理由だったかは忘れてしまったのだが、喧嘩中、彼女の一言を受けて、瞬間的に感情に火がつき、信じられないくらい大きな声で怒鳴った記憶がある。それが自分のどこから出てきた声か分からなかった、というか、自分の声が分からなかった。

まさに新しい臓器が増えたような、そこから産声が上がったような感覚だった。




最近やっと、ハッキリ気付いた。

私は、自分の感情を他人にぶつけることを、「みっともない」と思っている。

紙やPCにはこんなにぶつけられるのに奇妙だ、他人に直接ぶつけるのには、とんでもない抵抗がある。


でも彼女は、その怒鳴ってぶつけた私の感情こそを「よいもの」「れいちゃんらしいもの」と思ってくれて、「心、あるよね」と言ってくれたのだった。



渋澤怜(@RayShibusawa



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