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たった1秒の手間をかけることで世界は救われる

たった1秒の手間をかけることで
世界は救われる

世の中には
その1秒の手間をかけられる人と
かけられない人

の2パターンの人がいるよね

というお話をします。


◯良い人と悪い人の違い


私の妻も看護師をしているのですが
妻が唐突に

「世の中には良い人と悪い人がおるね〜」

と話し始めたんです。


妻は最近復職して
今の職場の中で
一から人間関係を築いている途中なんですが

今の職場に
ぱっと見た目は怖いけど
優しくて良い人と

見た目は普通でも
ちょっと周りに気を遣わせるというか
とっつきにくい人がいるそうです。


良い看護師さんをAさん
悪い看護師さんをBさん

として話します。


Aさんの担当の患者さんが
オムツから便が漏れて
オムツだけでなく
ベッドのシーツまで総替えしなきゃ
いけなくなったそうです。

病棟には
ケア係といって
患者さんの身体を拭いたり
オムツを交換してくれる
担当のスタッフを配置しているのですが

そのケア係のスタッフに対して

「ごめんなさいね!私の担当なのに!
 忙しいのにありがとう!」

と言って
ケア係スタッフに
シーツ交換をお願いしたそうです。


一方Bさん
総替えまでなくとも
手術前にオムツ交換をしなきゃいけない場面で

ケア係スタッフに対し

「コレで!」

と物品の一部を渡したそうです。


確かにオムツの交換などは
ケア係の仕事ではあるのですが

〝やってもらって当然〟
というスタンスはいかがなものかと
妻は言うわけです。


私も完全に同意です。

確かに分業している
職場において
その担当の人に
担当の仕事を振ることは
何もおかしいことではないですが

Aさんのように

「ありがとう!」
とか
「お願い!」
「助かる!」

と一言添えるだけで
言われる側の気持ちは
救われるんですよね。

お願いする側に落ち度がなくとも
してくれる人に対して
ねぎらいの言葉や
感謝の気持ちを伝えることって

何も損しないし
減るもんでもない。

手間なんてたったの1秒
一言添えるだけなんです。

でも
たったその1秒の手間を
かけられない人もいる。


私はこの1秒の手間を
かけられる人と
かけられない人

良い人、悪い人
の境目があるように思います。


◯当たり前のようで当たり前じゃない話


家事や育児にしても同じで
妻がいつもご飯を作ってくれる
とか
夫がいつもゴミ出ししてくれる
とか

それがルーティンだったとしても
やってもらって当たり前

というスタンスでは
いない方がいいんですよね。

当然妻が居なけりゃ
夫は苦手な料理をしなきゃいけないし
妻は苦手な力労働をしなきゃいけない

適材適所で
分業をしていたとしても
やってもらって当たり前

という考え方は
慢心を生むと思います。

仮にそれが習慣化して
当たり前になっていたとしても

ねぎらいの言葉や
感謝の言葉

もっと言うと
感謝の気持ちは
忘れちゃいけないんじゃないかなと。

人は1人では生きられないし
〝お陰様〟
という気持ちを
いかに忘れないか

忘れないように努力して
気をつけられるか

が人としての
良し悪しの分け方の1つ
なんじゃないかなと思います🤔

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