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優しい世の中になる程に人付き合いが嫌になる話

私の個人的な感覚ですが

世の中って基本的には
みんなが知恵を出しながら
少しずつ改善されていくわけじゃないですか。

みんなが困っていることや
嫌だなと感じていることを
一つずつ潰していくわけですから。


ですから
自然と世の中はより良い方向に
進んでいくのだと思うんです。


昔みたいに
怒鳴り散らかすオジサンは
いなくなりましたし

部活の世界でも
理不尽な指導や
体罰はなくなり

看護の世界でも
看護学生に対して
やたら怖い指導者看護師も減り
実習レポートも
負担を減らそうと
年々減っていたりします。


ことさら人間関係においても
様々なハラスメントだったり
不祥事だったりに対して
厳しくなっている世の中なので
面倒臭い人は
徐々に減っているような気がします。


しかし
見方を変えると
優しい人が増えた影響で
少しでも優しくない人に対して
免疫がない人が増えたというか
社会における
ちょっとしたストレスに対しても
敏感になってしまう

という副作用があると思います。


◯〝優しい人〟がスタンダードになる


何かしら
能力があるとか
才能があるとか

そういうことよりも
その人自身が
ホワイトであるかどうか

が非常に問われる時代に
進んでいくんだろうと思います。


結果として
おりこうさんが増えていき
優しい人が増えるんだと思います。

いい反面
我(が)を出すよりも
社会に適応することが
求められる社会になるので

言い方を変えると
より優しい人でいなきゃ
いけなくなる時代が来る

と思うんです。

基準が少しずつ
厳しくなっていき
ちょっとしたストレスも
受け入れられなくなっていく。


たとえば
以前は年休だったり
時間外の残業に関して
ルーズだった時代があるじゃないですか。

年休なんてほぼほぼ貰えないものだと
思っていましたし
数時間の残業も当たり前で
残業代など出ないものだと
思っていました。

特に新人の頃なんて
自分の仕事が遅いせいで
残っているわけで
残業代なんて
貰えるはずがない

くらいに思っていましたが

今では
その辺も企業に対する目が
厳しくなってきて

うちの職場では
年休も年に7〜8日は
取れますし
残業代もきっちり出るように
指導されていたりしますから

今働き始めた若手は
それが基準になるわけです。


人間関係も同じで
理不尽で厳しい人や
ハラスメント上司を
知らずに生きていると

優しい人の有り難みを
理解できるはずがないんですよね。


◯優しい人を求められる程、人付き合いが面倒になる


そしてその弊害として
優しい人であることを
求められれば求められるほど
人付き合いに対して
億劫になっていく
と思います。


私も若手を時々指導していますが
昔と違って
問題が起きた時も
責任を追及するわけにはいきませんし

その人のミスを指導するにも
過剰に気を遣ってしまうわけじゃないですか。

結局そうなると

「あなたの人生だから
 自己責任で好きに生きなさい」
「でも迷惑は被りたくないから
 私には関わらないでね」

的な発想になってしまって
人付き合いを
極力避けるようになってしまう。

トラブルを避けたい気持ちと

常に
優しい自分や
良い人であることを求められ過ぎて
面倒臭さを感じるようになるし

自己表現することを避けるようにもなるから
余計に人付き合いに
自信がなくなっていくんですね。

コミュ障と言われる人ほど
自己表現が苦手なのでね。


この流れ自体を
変えることは難しいでしょうが

大事なことは
様々なストレスに対して
寛容になっていくというか

社会はいろんな人がいて
いろんな人が少しずつ我慢をして
成り立つものなので

ストレスに対しても
一切排除しようと執着せず
共存するバランス感覚も
大事だよね

というお話でした😌

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