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生産性ってどうなんですか?
「生産性」という言葉を聞くと、単純に高ければ高いほど良いというイメージが湧くわけですが、それって本当なのでしょうか。というか、生産性が高い状態って実際にどういう状態なのでしょうか。
単純に考えれば、単位時間あたりの生産量が「生産性」という指標でしょう。しかし、あなたはベルトコンベアでもなければ、果汁を搾り取るマシンでもありません。であれば、そこでの「生産数」って一体なんなのでしょうか。
別に「
「自分がこんなこと書いても意味ないよなぁ」
と思うことって結構あるかと思います。特にこういうnoteみたいな場所だとまわりの人が面白い人ばかりですし、「クリエーターを応援しています」的な雰囲気もあるので、自分みたいな凡才で普通の人間の話なんてすごく価値がないように感じます。
それはそれでナチュラルな反応なのですが、そのように感じているとき、少しだけ立ち止まってみてください。
価値がないなぁ〜とか意味がないなぁ〜と自分は感じている。感じて
諦めること、覚悟すること
文章を書くこと、あるいは文章を書きあげることは基本的に諦めの連続です。
思ったように書けない、うまい文章にならない、もっと構成を整えられるかもしれない、うまいタイトルが別にありそう、説明不足ではないかという不安……
そうしたものを一つひとつ諦めた先にしか脱稿はありません。「諦める」は一般的にネガティブな言葉ですが、しかしそれは「決定し、その結果を引き受ける」という覚悟でもあります。
だっても
生まれ派と極端な思考とラベルづけ
結城メルマガ552号に書かれていた以下の文章。
とてもよくわかる感じです。きっとそこで働いている思考は、
生まれ派
極端な思考
ラベルづけ
の三つでしょう。
「生まれ派」とは、「育ち派」と対になる概念です。ようは人の能力は生得的に決まっているのか、それとも後天的に開発されるものか、というスタンスのことです。実際はその二つが複雑な割合で混じっているのでしょうが、ここで重要なのは実際がどう
自信とひねくれ者チャレンジ
ちょっと考えました。
たとえば、私は毎日歩いています。単純に考えて40年近くは歩いていると言えるでしょう。では、私は「歩く」自信を持っているかというと、微妙なところです。あまりに自然にできるがゆえに、自信みたいなものは育まれていません。ただ、歩けるだけです。
一方で、私が何らかのケガをして、しばらく歩けない状態が続いたとしたらどうでしょうか。そこから少しずつリハビリを続けて、ようやく歩けるよう
人に優しいノウハウへ
少し前から感じていることがあった。人に優しいノウハウの時代なのではないか、と。
たとえば『ときほぐす手帳: いいことばかりが続くわけじゃない日々をゆるやかにつむぐ私のノートの使い方』では、いわゆるバレットジャーナルがその通りにうまくいくわけではない、という話がなされていて、それに対するケアが提示されている。
あるいは『ライティングの哲学』でも、職業的に文章を書いている人間が、「うまく書けない」
企画展「知的生産のフロンティア」で考えたこと
Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2020/09/07 第517号より
先日、堀正岳さんと国立民族学博物館で開催されている梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」 に出かけてきました。
以前、民博で開催されていた梅棹さんの特別展に比べると規模はかなり小さかったです。梅棹さんがすごく好きならば楽しめるでしょうが、そうでなければ少し物足り
自信がない・ある人 (ライフハック・プロポ)
Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2020/09/21 第519号より
世の中には、自信がない人がそれなりの数いるようです。何か特定の分野において自信がないのではなく、全般的に自信が持てない人。
そうした人たちは、自信がないことについて、絶対の自信をお持ちのように見受けられます。
「自分はダメなんだ」「自分は自信を持っていない」
ということについ
きれいな喋りじゃなくても
テレビを見ていると、会話は実にテキパキと進んでいく。編集メディアならではの特性だ。あるいは台本を起点とした会話のスムーズさ。
そうした会話を見慣れていると忘れがちだが、現実の会話はもっとごちゃごちゃとしていて、ぜんぜんスムーズではない。
話がまっすぐにつながっていなかったり、行ったり来たりしたり、言いよどんだり、思案して沈黙したり、意見がぶつかったり、ぜんぜん違う話に飛び火したりする。ナチュラ
守破離について(エッセイ)
Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2020/08/31 第516号より
規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな
『利休道歌』(千利休)
何か新しいことを学ぶときに「守破離」はよく持ち出されます。私なりに定義すれば以下の通りです。
「守」:示された型を身につける
「破」:示された型と自分とのズレを自覚する
「離」:ズレを起点として新た
どこの領土にもなっていない名もなき島
「自分にとって大切なこと」って何だろうと考えると、40歳の僕は「妻の存在」と即答するのだけども、それはそれとして自分の生涯を通して「自分にとって大切なこと」は何だったのかを考えれば、やっぱり「自分であろうとすること」だったように思う。
「右に倣え」が病的に嫌いである。へそまがりで、天の邪鬼だ。悲しいことに、そういう人間にこの日本という社会は極めて生きづらい。会社員という職種もまったく向いていない
変化は起こるが、いつそれが起こるかはわからない
「相手を変えることは難しいから、自分が変わる」という言説があります。立派な心がけです。でも、自分を変えるのだって簡単ではありませんね。それがこの言説の穴(それも致命的に大きい穴)です。
さて「変化」は、そう呼ばれるときはたいてい既存のベクトルとは違った方向にシフトすることが期待されています。毎日大量のカロリーを食事から摂取している人が、そこに200キロカロリー増やしても、それは変化とは呼ばれない
新しい方法と認知的慣性の力
使うツールとか、やり慣れている方法って、それよりも良いものがあるにしても、移行するのってなかなか難しいですよね。頭というか体が慣れちゃっている感じ。物理学的に言えば、惰性……じゃなくて慣性の法則っぽい雰囲気です。
その慣性が働いている方法だとスムーズにできるんだけど、そうでない方法だとうまくいかなかったり、苦手意識が生まれちゃったりして、結果それが慣れることを遠ざけて、結局うまくいかない、みたい