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諦めること、覚悟すること

文章を書くこと、あるいは文章を書きあげることは基本的に諦めの連続です。

思ったように書けない、うまい文章にならない、もっと構成を整えられるかもしれない、うまいタイトルが別にありそう、説明不足ではないかという不安……

そうしたものを一つひとつ諦めた先にしか脱稿はありません。「諦める」は一般的にネガティブな言葉ですが、しかしそれは「決定し、その結果を引き受ける」という覚悟でもあります。

だってもうこれ以上どうしようもないんだし。

自分が十全を尽くしたら、後はその結果を引き受けるしかない。たとえそれが完璧でなくても、完全でなくても、仕方がない。そもそもそんなものは有限かつ愚昧な我が身が手にすることはできない。我が身が手にできるのは、我が身に手にできるものだけである。そういう禅僧的開き直りがないと、成果物を「完成品」とすることはできません。

ある部分ではすごく格好悪いし、別の部分ではすごく格好良いことです。

「諦める」や「覚悟する」や「腹を括る」ことは、共通して「すべてが自分の思い通りにいくわけではない」という世界観があります。何かを欲したとして、その何かが正しいもので善性のものであったとしても、その通りにいくわけではない。世界はそんな風にはできていない。

だからこそ。

自分ができるだけのことをする。込められる意志は込めておく。そういう足掻きや抗いが大切になります。

つまり、ここでの「諦める」とは何もかもを投げ捨てることではありません。自分の手に掴んだものがあるならば、それをぎゅっと握りしめて、他に手を伸ばそうすることをやめることです。

現代では「諦めないこと」が大切だと言われていますが、それが自我の思い通りに世界を動かそうとすることの肯定でしかないならば、単に生きづらさを増やしているだけに過ぎないのかもしれません。


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