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企画展「知的生産のフロンティア」で考えたこと

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2020/09/07 第517号より

先日、堀正岳さんと国立民族学博物館で開催されている梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」 に出かけてきました。

以前、民博で開催されていた梅棹さんの特別展に比べると規模はかなり小さかったです。梅棹さんがすごく好きならば楽しめるでしょうが、そうでなければ少し物足りないイベントだったかもしれません。おそらくコロナの影響で制約があったのでしょう。

で、企画展の感想なのですが、3つ考えたことがあり、またたくさんの宿題が発生しました。宿題については、また改めて書くとして、今回は3つの考えたことを書いてみます。

■その1:ノート

企画展では、梅棹さんが使われていたたくさんのノートが展示されていました。本当にたくさんのノートです。いわゆる発見の手帳的なノートもありましたし、さまざまな国の名前が表紙に記されているフィールドノートもあぜんとする数が並んでいました。

梅棹さんは、たくさんのノートを書いておられたのです。

『知的生産の技術』しか読んでいないと、いかにもこの人はカード派で、カードばかりたくさん書いているように思えますが、『知的生産の技術』は梅棹さんが49歳のときに出版されている本であり、それよりもずっと若い頃はたくさんのノートを書いておられたのでした。

私たちは、まずその点を留意する必要があるでしょう。カード法の前に、ノートの歴史あり。

その上で、「現代において、このノートに相当するものは何か?」を考えたくなります。これは、易しそうに思えて、存外に難しい問いです。「研究者としての、研究のためのノート」を、「情報社会の市民としての、生活のためのノート」に置き換えなければならないからです。

その置き換えの中では、さまざまな前提が動いてしまい、共通項とそうでないものが見えにくくなってしまいます。

それでも、ノートなのです。ノートはたしかにそこにあるのです。

一つのプロジェクトごとに時系列で記載されたフィールドノートがあり、その情報を活用しやすいようにと転記されたカードがある。

そのような情報の移転が行われた後でも、フィールドノートは破棄されずに保存されているのです。このことを、私たちはもう一段重く見る必要があるのではないか。そんなことを考えました。

ノートよりも、カードの方が情報を動かしやすいと言っても、ノートが全く無意味になるわけではありません。むしろ、ノート的なものと、カード的なものの両方がある方が、知的生産にとっては望ましいのかもしれません。

■その2:インデックス

展示されていたノートの一冊に、「インデックスノート」がありました。これには少し驚きました。『知的生産の技術』には、こうしたインデックス(索引)についての言及がほとんどなかったからです。

よくよく考えたら、何十冊もあるノートを書いておいて、インデックスをまったく作っていない方が不自然です。とは言え、全体のノートの数に比べればインデックスノートは少ないものでした。おそらく、特定のプロジェクトに関しては、以下のような感じでインデックスを必要としなかったのでしょう。

・フィールドにでかける
・フィールドノートにまとめてかく
・帰ってからノートからカードに移し替える
・カードを用いて論文を書く

逆に言えば、特定のプロジェクトを実行しているときの発見や情報以外の情報について書き留めたノートに関してだけインデックスを作っておられたのでしょう。それも詳細なものではなく、「これについてはn番のノート」という目印をつけるためのものだったのかもしれません。

この辺は、梅棹さんが語っておられるのを読んだことがないので私の推測に過ぎませんが、それでも梅棹さんが「ノートのインデックスを作っておられた」という点は、個人的には興味深いもので、これから知的生産の技術について考える上でも外せないポイントだと感じます。

あと、ノートではなく、カードの分類についてなのですが、『知的生産の技術』ではカードは分類するなと口を酸っぱくして言われていますが、たとえば、『知的生産の技術』を書くための素材の情報カードを入れてある箱では、「〜〜について」というインデックス仕切りがきちんと入っていました。分類しないからといって、何も仕切らずにどばっとひとまとめに入っているわけではないのです。

この辺の差異についても、きちんと論じる必要があると思います。

■その3:デジタルアーカイブ

最後に一つ、この企画の一つの目玉とも言えるデジタル・アーカイブ(デジタル・データベース)です。

簡単に言えば、梅棹さんが残された情報カード(やそれに類するもの)をすべてスキャンして、デジタル端末上で閲覧できるようにしたツール(環境)のことで、それが実際に会場で閲覧・操作出来るようになっていました。

スタートの画面では、ものすごい小さい四角がたくさん集まっていて、どれか一つを選んだら、それにぎゅっとズームしていき、一つの情報カードが表示されるというUIです。一つのカードからは、左右のカードに移動できるようになっていて、次々にカードを読んでいくことができます。

また、各カードにはタグが割り振られているようで、右側に表示されるタグ一覧から選べば(たとえば「知的生産の技術」)、その内容に関するカードが抽出されて表示されるようになっています。

で、本当に申し訳ないのですが、

「わ〜〜、すご〜〜〜い」

とは思うのですが、それ以上にはなりません。ツール自体の使い勝手も良いとは言えませんし、そもそも梅棹さんの情報カードを閲覧できたとしても、それが歴史的資料としての価値を持っていることは認められても、知的な刺激が発生するわけでもありませんし、そのシステムを個々人が(つまり、情報社会を生きる一般市民が)導入できるとも思えません。

なんというか、復元された朱雀門(奈良の平城宮跡にあります)を見ているような感じです。別の言い方をすれば、そこから知の新しい道が広がっていく感触がまったくありません。

それならば、ScrapboxやRoam Researchの方がはるかに「知的生産のフロンティア」な香りがします。これからの、新しい時代を担う知的生産ツールです。

みたいなことを書いていると、どんどん愚痴っぽくなっていきそうなので、この辺でやめておきましょう。その辺の話に関しては、「宿題」の方で詳しく検討したいと思います。

■おわりに

全体的に展示を見ながら、改めて梅棹さんのマメな記録に驚きつつも、頭の半分は「これは、現代ではどうなるのだろう」とずっと考えていました。

梅棹さんが知的生産にいそしんでおられた時代と現代では時代が大きく違っています。環境がかわり、ツールが変わり、人々が持つ知識や情報や意識が変わっています。ですので、どれだけ『知的生産の技術』が現代にまで射程を持つ内容だとしても、それと同じことを言っているだけではダメでしょう。そのことを改めて感じた次第です。私が得た宿題も、その点と関係しています。

とりあえず、この特別展では、答えを得たというよりも、

「知的生産のフロンティアって何か?」

という問いが新しく生まれました。良いことだし、おそらく博物館の機能の一つだとも感じます。

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