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「自分がこんなこと書いても意味ないよなぁ」

と思うことって結構あるかと思います。特にこういうnoteみたいな場所だとまわりの人が面白い人ばかりですし、「クリエーターを応援しています」的な雰囲気もあるので、自分みたいな凡才で普通の人間の話なんてすごく価値がないように感じます。

それはそれでナチュラルな反応なのですが、そのように感じているとき、少しだけ立ち止まってみてください。

価値がないなぁ〜とか意味がないなぁ〜と自分は感じている。感じているというか、それは世界に記述された真理を読んでいるような感覚。絶対的に正しいという感覚。

それに少しだけ疑いを差し向けてください。

「それってあなたの感想ですよね」

ひろゆきメソッドです。自分が感じていることは世界の真理ではなく、単に自分がそう知覚しているだけなのだとちょっとだけ思いをはせてみてください。つまりはこういうことです。

「私はこの行為に価値がないと感じている。でも、それは私がそう感じているだけだ。もしかしたら他の人からみたら価値があるかもしれないし、ないかもしれない。その「かもしれない」を自分の確信が消し去ってしまっているのではないか。

そんな風に視点を動かしてみるのです。

これは別に「あなたには価値があります。だからあなたの発信も価値があります」的な無条件の肯定ではありません。そういうのは真新しい宗教に任せておきましょう。

ここでの視点移動で行っているのは価値の肯定ではなく、「価値がない」という断定の否定です。「価値がない」から「価値がないかもしれないし、あるかもしれない」という不定の状態へと移行するのです。ちょっとふわふわする感じ。

そういう不定・未定の状態に移行すると物事の見え方は変わってくると思います。世界の色合いが変化するような感じ。自由になるとか開放されるというのではなく、世界の奥行きが違ってくるイメージです。

で、その上で「価値があるかどうかはわからないけど、価値があるとしたら何だろうか」と考えてみる。そういう開き方をするといろいろな"実験"ができるようになるかと思います。きっとその方が楽しいですよね。

では、今日も頑張ってまいりましょう。

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