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どこの領土にもなっていない名もなき島

「自分にとって大切なこと」って何だろうと考えると、40歳の僕は「妻の存在」と即答するのだけども、それはそれとして自分の生涯を通して「自分にとって大切なこと」は何だったのかを考えれば、やっぱり「自分であろうとすること」だったように思う。

「右に倣え」が病的に嫌いである。へそまがりで、天の邪鬼だ。悲しいことに、そういう人間にこの日本という社会は極めて生きづらい。会社員という職種もまったく向いていない。幸い、そういう人間にもフリーランス(自営業)という選択があり、しかもへそまがりであることが一つの救いとなる物書きという職業になんとかたどり着くことができた。遭難していたら、無人島を見つけたようなものだ。どこの領土にもなっていない名もなき島。それが、40歳の私がいまのところ陣を張っている物書きという仕事である。

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「自分であろうとすること」というのは、存外に難しい。一つには、自分でなくそうとする外的な力が存在しているからだ。「このようにしなさい」「これがはやっているよ」「成功するためにはこれをすべし」「毎年こうなっているんです」……。それがどうした? とすべてを一蹴したいくらいだが、無限のごとくそれらは湧き上がり、私の耳に到達する。

ちがうんだよ。そういうことはどうでもよくて、私は私のやりたいようにやりたいのだし(糸井重里のキャッチコピーみたいだ)、もっと良い方法が見えているならばそこに飛びつきたいのだ。失敗の可能性? そんなものしったこっちゃない。私たちは生まれた瞬間に死が定められたあらゆる意味で失敗の生命体なのである。そのBig Mistakeに比べたら、人生の中で起きる失敗を考慮して行動を小さくしてしまうなんてバカげている──という気持ちはあるけども、そんなことを大声で叫べば、ますます自分の生きづらさが増すだけであることは半世紀くらいの人生で学んできたことだ。だから、自分は自分の宿題をやるだけである。

「自分であろうとすること」

でも、その自分ってなんだろう。これが二つ目の難しさだ。

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プラトンの系譜をすなおに引き継げば、おそらく「自分」にもイデアがあり、そこに向かって少しでも近づこうとするのが理性主義であり人格主義であり啓蒙主義であろうのだろう。それはそれで素晴らしい行為だと思う。

一方で、ポスト・モダンが糾弾したのは、そのような完璧な主体性などといったものはなく、むしろ自己は自己を形成するさまざまなベクトルの合成でしかない、といった主張だったように思う。

だとすれば、どうすればいいのか。自主性を幻想だとして切り捨てて、むしろ主体性の解体に向けて進んでいくのがポスト・ポストモダンなのだろうか(伊藤計劃の『ハーモニー』が思い出される)。

その道行きはなんとなく嫌だが、かといってプラトンには戻れない。むしろそのようなイデア的な「自分」の捉え方が、現代を生きる人を苦しめているのは間違いないからだ。そのアンチテーゼとして主体性が少し解体されるのは賛成できる。でも、少しだけだ。

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私は思う。自己は自己を形成するさまざまなベクトルの合成でしかないにしても、それが外部と内部に切り分けられる見方は成立するだろう。あるいはそのようなグラデーションを描くことはできるだろう。

自分の身近な人間からの影響と、よくわからないテレビのコメンテーターからの影響が等価値であると断じるのは少し不自然なような気がする。私たちは物理的な存在を持ち、物理的な存在はそれぞれに距離を持つ。それは遺伝的にでもあるし、環境的にでもあるし、物理的にでもある。その距離のことは念頭に置かなければならないだろう。

そしてまた、物理的な私たちの身体もまた、己を形成するさまざまなベクトルを持つと想像できる。そのベクトルは、プラトン的な「ありのままの私」ほどピュアなものではないだろう。しかし、たしかにそれは物理的な私たちの身体に一番近いベクトルの発生源だと言える。

その発生源を大切にしましょう、と考えることはそこまでラディカルであろうか。おそらくそんなことはないだろう。

むしろ私は思うのだ。これだけ外部からの情報に曝され、自己を形成するベクトルが入り乱れているからこそ、「自分であろうとすること」は大切なのだ、と。

しかしそれは、「伝統の味を守っていく」ような先に答えがあって、それを保持するような静的な動きではない。そうではなく、一度ごとに「そもそも自分って何だっけ、自分は何を大切にしたいのだっけ」と問い直しながら、自分の環境をre:set:upしていくことだろう。

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だから、自分であろうとすることは、他者と隔絶し、山の奥に隠って生きることではない。むしろ他者に交わりながら、その中で他人とは違う部分を確認し、その意義を積極的に肯定していくことである。

では、具体的にはどうすればいいのだろうか。

それは「自分にとって大切なこと」についてまず文章を書いてみることだと思う。私はそれをこれまでずっと繰り返してきて、今は物書きという仕事をやっている。どこの領土にもなっていない名もなき島の上で。

#自分にとって大切なこと

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