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石を投げるだけじゃ、なにも変わらないから

ネットニュースを見ていたら、こんな記事が目に飛び込んできた。

母親は「降ろすのを忘れていた」「酔っ払っていてよく覚えていない」と話しているそうだ。
亡くなった子のことを考えると、本当に胸が痛くていたたまれない。

このニュースに関するコメントを見ると「子どものことを忘れるなんてありえない」「そこまで飲み歩くなんて母親の資格なし」「殺人行為だ!重罪に処するべき!」と言った文言が並んでいる。
わかる、わかるんだけど、これにも胸が詰まる。

 * * * * * * *

20代の頃、虐待のニュースを見ると、その親が許せなかった。
小児病院の集中治療室に勤めていて、生きたくても生きられない命に向き合っていた頃だったからだろう、余計に怒りを増幅させていた。

「虐待するのに、なんで子どもを産んだんや」
そんな正義を振りかざしていた。

今となっては、そんなことを軽々しく言えない。
なにかのバランスが崩れれば何が起こってもおかしくない、というシチュエーションが、これまでにあったからだ。

少し前の記事だけれど、深く共感したハネサエ.さんの記事を貼っておくので未読の方はぜひ読んで欲しい。

わたし自身、なにかに追い詰められていて、そんなに怒るほどではないことで息子をパチンと叩いてしまったことがある。
日中、あんまりにぐっすりと眠ってしまった息子を車に置いて、すぐだからと買い物に行ったこともある。
状況が全然違うと言えばそれまでだが、それだって運が悪ければ事故に繋がっていた可能性もなくはない。
TVやネットの向こう側に感じていた世界は、親になってみればすぐ側にある世界だった。

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病院で働いていると、思いがけず患者さんの人生を垣間見ることがある。

わたしのいる外来では、基本的には予約のある患者さんが受診される。だが、他の病院から紹介で受診される方や、健康診断の結果精密検査が必要で来られる方、調子が悪いから診て欲しいという方も当然いる。それらが予約外の患者さんだ。
予約外の患者さんは必ず問診や検査の結果を踏まえて緊急度の判断をするのだが、緊急度が低い場合は予約の患者さんを優先的に診察させてもらう、というのがうちの病院のルールだ。そのあたりは来られた時にお伝えしている。

それでも「なんで全然診てくれへんのや!しんどくてたまらんのに!」と患者さんに怒られたことがある。
緊急度が低いことは明らかだったし、時間がかかることはちゃんと説明したのにな、とため息も出たし、他にも諸々対応すべき案件を抱えていたのでこの忙しいときに、とイラッともした。
それでもこの目の前の人が「しんどい」と思っていることは事実なのだから、と飲み込み、すぐに診察できないことを謝罪しつつ「診察までベッドで横になって休まれますか?」と訊ねた。
すると答えの代わりに雑談に混じって「娘も嫁も近くにいるのに、心配してくれない、助けてくれない」という寂しさの欠片が、ポロリとこぼれてきた。
そのとき、ああ、この人の『しんどい』は、身体からくるものだけじゃないんやな、と理解した。

なんというか横柄な態度の方だったし、身奇麗にされているという印象もなかったので、正直に言うとわたしが娘(or嫁)の立場だったとしても、同じ態度をとったかもしれないな、と思う。
だからこれまでの自分の振る舞いのせいだ、自業自得だ、と言ってしまえばそれまでなのだろう。

でも、その人のどうにも埋められない寂しさが、理不尽なクレームにすり替わったのかもしれないと考えたとき、トゲトゲとした気持ちは少し丸くなっていた。

そして、こんな風にこの人の歯車は少しずつ少しずつずれてしまって、もう自分の力ではどうしようもないくらいに歪んでしまったのかもしれないな、と思った。
皆、なにかをそうやって抱えて生きている。

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これまでも虐待のニュースも、今回のことも、子が亡くなったという事実は曲げられないし、親の肩を全面的に持つことも出来ない。

「子どものことを忘れるってどういうことよ…?」
「親として行動が無責任過ぎる」
わたしの中にもそんな憤りの声が響く。

ただ一方で、自分の経験からも安易に親を責める気にはなれない。
表面を撫でるだけのニュースを観て、狂った人だと切り捨てるのは、あまりにも浅はかな気がする。

石を投げるだけじゃ、なにも変わらないし、その石はいつか自分に返ってくるかもしれない。
そうやって、世の中が息苦しくなっていくようにも見える。

子育てをしていても、働きながら介護の現状を見ていても感じるのは、どちらも孤立しているのが今の社会だな、ということだ。
その下にあるひとつの要因は、核家族化がすすみ、個人主義が声高に叫ばれるようになったことなんだろう。
わたし自身、長男である夫の実家から遠く離れて暮らしているし、自分の実家に住むことを想定するだけでも煩わしく感じてしまうのだから、前の時代に戻ったほうがいいなんて、とても言えない。
自分に犠牲にしても周りのことを、とも思えない。

わたしには社会は変えられない。
だけどせめて自分の半径5mくらいには、耳を傾けることを忘れたくないし、その裏側に想像力を膨らませられる自分でありたい。

きっとこれからも、表面のことだけを見て判断しそうになるだろう。
だから自戒をこめて、ここに残しておく。

ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。