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私の攻撃性と人間関係の話①

こんばんは。今日も皆さんお疲れ様です
前回の投稿からだいぶたってしまいました。
楽しみにしてくださった方々、申し訳なかったです。

さて今日は、私の性格の一部について書かせていただこうと思います。
正直「なんて醜いんだ」といった、読者の方の気分を害してしまうような内容になるかもしれません。。。
あらかじめご了承ください。
ただツイッターで、皆さん「もっとあなたのことが知りたい!」といってくださったことが、私はとてもうれしかった。
自分のいいところや自慢したい部分、好きなものでもいいかもしれない。だけど私は、あえて自分の弱さだったり嫌な部分だったりをさらけ出すことをしようと思います。

私は、誰かに文章で何かを伝える、そんなアイコンになっていきたい。
いつだってキラキラしたいと思っているし、そんな風にふるまっているけど、いやな部分がたくさんあるんです。
そんな私でも好きになって!っていうつもりはありません。
ただ、「私も一緒に戦ってるからさ…一人だけじゃないって思ったら、心細さも少し減らない❓(^▽^)」って、
嫌な自分から逃げないで立ち向かおうとしている勇気ある誰かに、寄り添える存在になれたらいいなって思います。


だから少しでも届きますようにと、そんな願いを込めて、ここにつづっていきます。


私の育った環境

私の祖父母は、とても人のいい、心の優しい人たちです。
お金を貸してくれと言われたら、返ってこないことがなんとなくわかってても貸してしまう。それでその人が少しでも幸せになってくれたら安いもんだ。
そんな風に考える祖父母でした。

彼らは多くは語りませんが、この親切心を利用された回数なんて数え切れません。私の母はいつもため息交じりに「じいとばあは人がいいから、また利用される…何回目よ…」と言っていました。

彼らが、誰かを助けている自分自身の行いを私たちに語らない理由も、そう考えるのは当たり前で、大して誇れることだと本人たちが思ってないからでしょう。
祖父母にとって、「自分が犠牲になっても誰かの幸せを願う」は、至極当然の行為だったのです。

私は栃木の田舎でそんな祖父母にたくさんの愛情を受けて育ちました。
前出の記事を見てもらえると何となくお分かりいただけるように、決していいとは言えない家庭環境の中で私が生きてこれたのは、祖父母の存在が本当に大きかった。

そばで大好きな祖父母を見ていれば、言われなくてもわかります。
あの人たちは、あまりにも優しすぎる。

私には、そんな彼らの自己犠牲を厭わず他人の幸せを願える、時に自らをも傷つけてしまう血が、確かに流れていました。
ただ私には、彼らのような傷つく覚悟はできていなかったのです。


傷つく不覚悟と私の甘さ

小、中、高と、私は田舎の人たちの間でのんびりと育っていきました。
田舎もユートピアではないので、もちろん傷つくこと、裏切られること、他人を信じられないことはそこそこあります。まあこの辺はみんな通る道でしょう。みんな人並みに傷ついて、うまくやり過ごす方法を悟って、実践して、かわせるようになって、人間社会で生きていく。それが社会性の構築の一つでもあるから。

ただ私がそこで身に着けた方法は「他人を排除すること」でした。
圧倒的な力をもって黙らせる
それは時に、暴力であったり、気の強さであったり、言葉であったり、態度であったり、学歴であったり。

誰にもなにもいわせない「力」がほしい。

自分だけが特別でいい。

そんな風に考えるようになって、勉強していました。
もちろん、勉強が好きでやっていたのは事実です。歴史や文学には好奇心があったし、物理は楽しかった。
でも、学歴や「できることが多い」という事実は、社会的にとてつもない武器で凶器になることを、私は知っていました。
傷つくことが怖い。だからやられる前に圧倒的な力を見せつけるか、身に着けた凶器で返り討ちにするか。
学力や知識、実績や発言力というそれなりの凶器を身につけられた私は、自分を傷つけたり軽く扱った人間に関しては、その何倍も深い傷を負わせることを厭わなくなりました。

私は、祖父母のようにはならない。
大好きなあの人たちの親切心を無下にしたような奴らを、子供だからと私のあふれ出る豊かな心を平気で抑えつけた大人たちを、
私は、絶対に許さない。

祖父母から受け継いだ、誰かを助けてあげたり思いやってあげたりする気持ちはしっかりと、確かにありました。それは間違いないです。(ここではあえて具体的には言及しません。)
けれどもそのことを免罪符に、私は自分や大事なものへの悪意を持つ人間、ないがしろにする人間を、その何倍も痛めつけ、狂気をもってして踏みにじりかえすことをする人間に育ったのです。

傷つくことへの覚悟がない「救済の心」は、誰かを本当に救おうとするならば、手を差し伸べるには、甘すぎる。
ここが、心の豊かで美しい祖父母と、私の、決定的な違いでした。


大阪に来て、大学に来て

不本意ながら結果は残せなかったものの、私は大阪では人気で、全国的にもそれなりの知名度のある関西大学に進学することに。
ある程度のコンプレックスはあっても、自分を置いてくれた空間。それに感謝してあとはここでさらに刃を磨くだけだ。
そんな風に思っていました。

私から見たら、関西はやっぱり商人、公家の地。
もちろん素敵な洗練された雰囲気や文化はたくさんありましたが、
どうしても起こりうる騙し騙され、探り探られの方法が、栃木ののんびりとした田舎とは大いに異なっていて、それが私にとっては戸惑いを生じさせていました。
(好き、嫌い、良い、悪いの話ではないことを念頭に置いてほしいです。ちなみに今現在私が住む北摂地域は下町感があって親しみやすいし住みやすくもあるので、私は好きです(^▽^))
「関西は人との距離感が近い」「だから誰かが助けてくれる」
そう聞いていましたが、関東の武家文化、農民文化とは程遠く、上記を名目に私を悪用してくる人もいたのです。

私が自分を守るため、
振りかざすものは「攻撃性」。
その刃には、私の努力や気質、持っているものすべてを総動員した毒薬が、塗りこまれていたのです。


(続く)


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