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【日本は変われるチャンス大アリ!!】就活・大学の意義から紐解くこれからの日本のポテンシャルについての考察

最近はコロナのニュースばかりで、明るいニュースが全くないので、「これからの日本のポテンシャル」というかなり壮大なテーマですが、就活・大学の意義という観点から私なりに考察してみました。

              

大学を卒業したら就職することが当り前だと私は思っていました。そして多くの現在働いている人も同様に思っていたのではないでしょうか?実際、合同説明会などに多くの学生が足を運び、企業の紹介説明を一生懸命聞きます。私も同じでした。

一方、就職しないという選択肢も実はあります。

しかし、大学卒業後は会社で働くという事が当たり前だと認識している人が大多数である為、卒業後就職しないという選択肢はあるようでないのです。

では、何故大学卒業後は就職する事が当り前だと認識されているのか?

それは大学とは多くの人にとって社会で働く為のお守り的な役割を担っている為だと考えます。つまり学歴という箔を付け、社会人としての形式的な身だしなみを整える場所が多くの人にとって大学という場所なのです。その為、大学・大学院を卒業すると共に多くの人は就職します。

日本の就活が良いか悪いかは横に置いておき、まず海外の就活事情と簡単に比較したいと思います。

海外の就活事情はネット検索すれば出てきますが、例えば米国と欧州では同時期での新卒一括採用という概念は存在しないです。両者に共通しているのは、経験に基づいた即戦力を求めているという事です。採用の時期も個々人の自由です。また就く職種も大学での専攻と関連する場合がほとんどです。一方、日本は新卒の場合、ポテンシャルで採用する傾向にあり、大学の専攻と職種が必ずしも関連する必要もありません。

米国や欧州においても、大学を卒業することで形式的な身だしなみを整えるという側面もあるかもしれませんが、それは決して目的ではなく、大学は自分のキャリアを築く為の有効な手段であり、そこに多くの日本人にとっての大学の意義と明確な違いがあります。

上記の通り、新卒一括採用システムは日本独特なものなのですが、その歴史を簡単に確認したいと思います(出典:下記リンクご参照)。

表にざっくり纏めると、下記のような変遷を辿ってます。

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ポイントを時系列で3点に纏めると以下の通りです。
①一括採用方式が本格化したのは大正期 
②大学卒業生の増加・景気回復に伴いポテンシャル採用システムが高度成長期に完成 
③バブル崩壊に伴い企業の厳選採用が始まり、エントリーシート・自己PRといった多くの人が認識しているいわゆる「就活」の導入

さて、ここで重要なのは、景気との兼ね合いもありますが、時代の流れと共に大学卒業者の価値が低下しているということです。元々、大学は真のエリート層のみが通う場であり、大学卒業者は希少価値が高い存在でした。しかし、大学(大学生)の母体数が増えた為、大学卒業者の希少価値は確実に低くなってます。現代のいわゆる「就活」の導入はバブル崩壊という経済的要因を発端としてますが、大学卒業者の飽和化もその要因です。

社会の長寿化が進む中、企業で働く大学卒業者は今後確実に飽和し、学歴という形式的な身だしなみの価値がますます薄れていきます。これは日本に限った話ではなく、海外でもMBA志願者は年々減少傾向にあるという事実から、学歴無意味化時代が到来しつつあります。現在、私は27歳ですが、私の孫世代あたりから大学に進学することは「負け組」の風潮になっているかもしれません。現代の就活スタイルをバブル崩壊から約50年間踏襲してきましたが、変化の激しい現代社会において、大学生として過ごす4年間と別の形で過ごす4年間を比べると、過ごし方によっては後者の方が有利になる時代が確実に来ます。

4年という期間があれば、過ごし方によっては何かしらに精通する人になれますし、行動量によってはかなり濃い人生経験も積めます。形式的な見出しなみを整える為に大学でヌクヌクしている人と、大学に進学せず自分が本当に興味ある分野で専門性を高めたり、挑戦経験を積んでいる人を比べると、後者が前者を圧倒する時代へ変わりつつあるのです。いずれは、大学以前に高校の意義が問われる時代も来るはずです。

最後に変化の激しい現代において、今後日本がどう変われるかについての考察を述べたいと思います。私は、日本は学歴無意味化時代の先駆者になれる可能性があると思います。何故なら日本の方が米国や欧州と比べて大学の意義が形骸化しやすい環境にある為です。

繰り返しになりますが、米国や欧州の場合、大学とはキャリア築く為の有効な手段である一方、日本の場合は良くも悪くも多くの人にとって社会人としての形式的な身だしなみを整える為の手段なのです。つまり学歴無意味化時代が到来しつつある中、日本人の方が比較的抵抗感なく大学に進学する以外の道を選択しやすい状況にあると考えます。しかし、そこには重要な条件があります。

親も変わることです。

これは私の見解ですが、個々の人格形成において最も影響力があるのは家庭での教育方針だと考えます。親の期待に応えようとする子供は多い為、親が大学進学の重要性を説くと、多くの子供は大学進学を目指す可能性が高いと考えます。私も大学を卒業していますし、大学に進学することは否定しませんが、学歴無意味化時代が到来しつつある中、親が変わらないと子供は時代の波に乗り遅れてしまう可能性さえあります。

今後の時代で問われるのは、学歴や就活という枠組みでの自己PRの巧拙といったテクニカルな価値ではなく、挑戦経験・自分の世界観の創造力・あるべき姿の構想力といった極めて実践的な価値へシフトすると考えます。モノや機能が物質的・人的に飽和している現代社会において、今後ヒトに問われるものは年齢・性別・学歴・社会的身分といった形式に関係なく実践の場数の多さにあると思います。つまり実践の場数の多いヒトがこれからの「勝ち組」となり、形式主義から場数主義へとシフトするのです。

「内定先決まった?」から「挑戦・創造したいこと決まった?」という会話が飛び交う時代が来ると私は思います。挑戦したいこと・創造したいことが見つからない人が大学に進学し、挑戦・創造浪人するのです。

新卒一括採用については賛否両論ありますが、代替手段を考えるのではなく、日本はこれからの時代の先駆者になれるポテンシャルを秘めていることを心に留めた上で、「親はどうすれば変わるか?」「挑戦・創造を促進する教育のあり方とは?」「あるべき姿の構想力はどうすれば養えるか?」といった議論を重ねる事の方が重要だと私は考えます。これらの問いについては、また別の記事で私なりの見解を述べたいと思います。

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