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「待つ」ことの大切さ。

昔の私は『結果』を、『答え』を急ぎ過ぎていました。
若さゆえ、早く答えを知りたかった。
「良い答えを」

今は「待つ」意味を覚えました。
それは今だからできることで昔は全然出来ませんでした。
何度もそれで失敗もしました。

もちろん「即決」が大事な案件や「勘」が作用して良い結果を生むことはあるし、それに越したことは無いですよね。特に仕事においては。
直感、大事だし即決したいし。

私が今話している「待つ」という話はコミュニケーションのこと。

相手の状況や気持ち、察したり考慮したり。

ものすごくモヤモヤする日が続いても少し待ってみる。
それはすごく我慢も必要になるけど。
忍耐を鍛える訓練みたいな日々になってしまうけど。

実際は自分が思っていたこととは全然違っていたり、
結構独りよがりにネガティブ思考になりがちなことってありませんか?

人の気持ちって本当に計り知れないから。

だから少し待ってみて相手の気持ちを引き出せたり、ちゃんと時間を保ってお話できた時に自分なりに確認してみるとすごくネガティブに構えていた答えとはまるで違っていた、なんてことよくあるんです。

私は特に頭の回転が遅い方なので、バッと発言するよりは一息ついて物申すタイプで自然とそうなっていきました。
「少し待つ自分に」
まずは相手の話をよく聞き受け止めてからの判断で。

でも「待つ」ことをちゃんと実践できるようになったのはつい最近のことです。
多くの人はそれは出来ない!!とよく聞きます。
誰でも答えは早く知りたいですからね。

正解か不正解かは分かりませんけど・・・

待った上で物申すことがあればしっかり言いたいし、できれば解決したい。
自分の領域の考えだけで答えを出そうとせずに理解したい。

答えをただ急がずに「待つ」と良いこともあると知りました。

ただ待つのではなく、その間に自分の答えをまとめておくことは大事ですけどね😄

〜〜〜綴るアルバム〜〜〜〜〜

祖父母はいつも大きな愛と温かい眼差しで私や姉を包んでくれたし、いつも待っていてくれました。

多くは語らないけどそれは感じていたし、もう高齢だったから一緒に過ごせる時間はわずかだと言わんばかりに晩年は頻繁に天草から熊本市内まで会いに来てくれました。

当時20代そこそこの私は両親を亡くした経験をしておきながらも、祖父母が弱ってきているという危機感は薄く自分の時間を選びがちでした。

私が19歳の時、その2年後21歳の時、相次いで祖父母は他界しました。
全ての仕事をやり遂げたように。

祖父母に恩返しもできることなく、27歳でお店を開業した数年後、建設会社に勤務していた祖父にお世話になったという方とお話する機会がありました。
その方が若かりし頃、とっても怖かった祖父にイロハを教わったと話してくれました。
まさかまさかで感激で涙しました。
本当に嬉しかったです。

十数年の時を超えて祖父に巡り会えたような気持ちでした。

そうやってずっとそばで見守ってるとメッセージを送ってくれたんだなと。





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