この先、SNSやYoutube、Tiktok、twitterなどの、SNSから発信される情報において、共感、反感を抱いたりすることもあるだろう。 そういった、細やかな情報が交錯する中で、個人が個として存在するために、感じる基本的な概念は、どこへと向かっていくのだろう。 情報が細分化される中で、果たして、一つの個人としての意見というのは、存在しうるのだろうか? 先ほども述べたように、メジャーな意見が幅を利かし、マイナーな意見は、排他される危険性もはらんでいるように、個人と
この世に神はいるのかと嘆いてしまうこともある。 正直言って、僕は、右の副腎に24mの腫瘍がある。不幸中の幸いではあるが、良性の腫瘍というのは判明している。 ただね、この腫瘍が悪さをして、血圧がいきなり高くなる。 それは、一体、どれくらいなのかといえば、最高で220、最低で140という、とんでもない数値が、2日間続いた。 ピンとこないかたもいるだろうが、このような数値になると、ほとんど寝たきりになる。まともに立っていられない。 どうしようもなくて、救急車を呼んだ。
昨日と今日、休みなので、改まって、自分自身のことを振り返ってみた。 当然ながら、僕は聖人君子でもない。ミスもするし、感情的にもなる。 やはり、右の副腎に24ミリの腫瘍ができているので、精神的に不安定なところもある。 疲れも、取れにくいし、十分な睡眠もとれていない。 ただ、僕も若くはないので、どこか、身体に異常があるのは仕方がない。若いころと比べると、無理もきかない。 そんな条件下でも、自分ができることは、確実にこなさないといけない。これは、一人の人間として、最低限、や
どんなことでも、自分のミスを認めるのは苦痛である。 それでも、そのことから逃げ出すわけにはいかない。 時には、理不尽に怒られることもある。ただ、その場合でも、冷静に振り返ると、自分に落ち度があるということを認識せざるを得ない。 そこで、大事なのは、二度と同じミスを犯さないということを、自分自身に言い聞かせる。 同じことで怒られるということは、愚の骨頂である。 こうすることによって、自分自身も成長できる。失敗をすることは恥ずかしいことではない。 最も、危惧しなければな
反面教師ってあるだろう。 僕は、その言葉を大事にしている。 今日、体験したことなのだけれど… 僕は、今の仕事に転職したのが、今年の6月末。 さらに、この職種は未経験である。 ただ、それなりに、同僚や上司のいうことに耳を傾けて、行動をしてきました。 しかしながら、それでも、失敗をするのは、仕方がないと考えている。 その一方で、僕が給料をもらって、働いているのであれば、ミスしないのは当たり前だという意見があるのは承知している。 ただね、僕も、長い間、違う職種で職人を
人間というのは、失ってから、自分が幸せだったことを気づく。 それは、至極、当たり前の根本である。 ただね、それが自分にとっても、大切な指標の一つになっていく。 その狭い中で、生きていくということで、自分が成長していくということを味わうことができる。 それでもね、自分が必要とされることを感じることができるのであれば、それは、それでいい。 だからこそ、自分を大切にしていく、それで、相手や、周囲の人との接しあいながら、僕は、成長していくんだと思うんだよね。 これは、きれ
個人的に、感じることがある。 それは、怒りという感情はコントロールできる。 昔、僕は瞬間湯沸かし器といわれるほど短気だった。 ただ、それでは、生きていくのにつらいだけだし、自分自身の評価を下げることに気づいただんよね。 だから、僕は感情的にならないように気を付けている。 しかし、そうはいっても、基本的な性格は変わりはしない。 その代わり、自分が怒りそうになったときには、一旦、深呼吸をして、自分の感情を整える。 そうすると、怒りの感情は消える。 こうやって、自分の
いきなりなんですが、例えば、自分が挨拶をしても、相手が挨拶をしてこなかった場合があるとしよう。 皆さんなら、どうしますか? … 僕なら、挨拶をし続けます。 なぜかというと、はっきり言って、意地になっています(( ´∀` ) というのは、冗談で… そこで、僕が挨拶をしなくなると、相手の次元まで、低下してしまうことだと考えているからです。 相手が、どれだけ失礼な態度をとり続けたとしても、自分が礼儀を失ってさえないければいいからです。 ひょっとしたら、他人から見て、
弱音を吐きたくはない。 ただ、そうはいっても、僕は人間である。 だからといって、本当は、弱音を吐きたいだけだろうと思われるかもしれない。 自分でも、よくわからない。 弱音を吐いたら、どれだけ楽になれるかは、よくわかっている。 しかしながら、その文章を読み返すと、つらいだけだと、経験上理解している。 よく、言霊ということを聞く機会があると思う。 自分自身の言葉で、勇気づけられたり、逆に、落ち込んだり。 そういう意味では、マイナスの言葉を紡いでいくよりも、明るく、前
本日、精密検査を受けてきた。 先日、入院していたところから、紹介状をもらい、国立循環器病センターへと赴いた。 担当医が、CT画像を見たところ、確かに、右の副腎には健康体の人に比べ、2.5倍も腫れており、それが腫瘍だと診断された。 僕が抱えている症状からして、その副腎にできている腫瘍がホルモンのバランスを崩している可能性があるので、詳しい、血液検査が必要とのことである。 結果が判明するのは、2週間後。 それまで、仕事には復帰できるかどうかを尋ねたところ、現段階において、
齢50も過ぎると、身体にガタが来る。 若い時と比べ、無茶もきかない。 これが、歳をとることかと愕然とする。 ただ、歳をとることは、マイナスなことばかりではない。 そこにあるのは、人生の経験を重ねてきたということだ。 いくつもの地獄を見てきたので、多少のことでは動揺はしなくなったのも、事実である。 いろいろな状況に置かれても、瞬時に判断をして行動を起こすこともできる。 もう少し前なら、副腎に24ミリの腫瘍ができているということを聞かされたのであれば、取り乱してたのかも
とあるドラマで記憶に残った言葉がある。 「神様は乗り越えられる試練しか与えない」 この言葉を聞いて、確かに試練というのは、そういうものかもしれないと思ったものだ。 ただ… 実際に、試練を与えられた場合に、そこまで達観できるのだろうか? 正直に言うと、僕にはわからない。 でもね、右の副腎に24ミリの腫瘍があることは事実である。 その事実と向き合いながら、今後、どうして過ごすのかが問題である。 後悔のないようにいきていくというのが、僕にとって大切な事柄だ。 なので
もう、51歳にもなるのだから、健康体とはいかない。 初めに、発覚したのは、血圧が高いということでいる。 以前から、50歳を越えると血圧が高くなると聞いていたので、こればかりは、致し方がないなと思っていた。 しかしながら、少しずつ、僕の調子は悪くなってきた。 まずは、不眠が続く。なおかつ、頭がぼーっとしていて、ふらつきを覚える。 今年の夏は特に暑かったので、熱中症なのかとも考えた。 ただ、いくら休んでも疲れが取れない。 ふらつきも収まらない。 なので、先週、病院に行き、精密検査