いくつになっても…

昨日と今日、休みなので、改まって、自分自身のことを振り返ってみた。

当然ながら、僕は聖人君子でもない。ミスもするし、感情的にもなる。

やはり、右の副腎に24ミリの腫瘍ができているので、精神的に不安定なところもある。
疲れも、取れにくいし、十分な睡眠もとれていない。

ただ、僕も若くはないので、どこか、身体に異常があるのは仕方がない。若いころと比べると、無理もきかない。

そんな条件下でも、自分ができることは、確実にこなさないといけない。これは、一人の人間として、最低限、やらなければならないことだ。

一時の感情に流されてしまい、今後の生活がうまくいかないということになれば、それこそ、本末転倒である

仮に、今、できないことがあったとしても、いずれは、できるようにすることが、僕の使命でもある。それは、職人として、当たり前の話だ。

若い時から、僕は、不器用であることを自覚している。それでも、人が休んでいるときにでも、僕は努力をして、一人前になることだけを考えてやっていた。

今でも、アーク溶接やガス溶接はできる。もちろん、仕事から離れて、時間がたつから、多少は、仕上がりが粗くなるかもしれないが、でも、どこに出しても、恥ずかしくないレベルには持っていける。

ここで、力説したいのは、たとえ、50歳をすぎて、新たな分野の職人になろうとしていても、決して、遅くはないということだ。どれだけ、本気で、その仕事と向き合うのかという姿勢が大切である。

だからこそ、僕は、どんなにつらくてもやっていける。最終的に、それが、自分にとって大きなリターンとなって帰ってくるのだから。

最終的に、今の仕事を選んだのは、今後、年齢を重ねていってもできる仕事だから。

今までの経験を活かして、仕事をするという選択肢もあったけれども、正直に言うと、体力が落ちてきて、技だけでは、どうしても太刀打ちできない事態がくるので、その時に、つぶしがきいて、なおかつ、鳶や、高所作業ということが少ない現場でも、やっていけるというメリットがあったから、今の仕事を選んだわけだ。

今後、僕が独立をして、やっていくのかどうかは、今のところ、不透明でもある。今、やらなければならいのは、丁寧な仕事をして、その上、新たな現場先で、人間関係を構築していくことが大事なので、それを中心に頑張っていきたいと思う。

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