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#55 孤独の晩酌という褒美

疲れ果てた……。

夏休みの図書館というのは本当に忙しい。
今日は読書感想文の講座やおはなし会などと、子どもたちのためになるようなイベントが開催されていた。
イベント盛りだくさんな図書館はどうなるか。

遊園地のごとく、人でごった返すのである。

とはいえ、これだけ需要があるというのはとてもありがたいことだ。
読書人口が減ったり、図書館への予算が少なくなったりなどの逆風もあるけれど、まだまだ人から必要とされているのだ。

そんな喜びと多忙を切り抜けた自分へのご褒美だ。
今晩はゆっくり、お酒を呑もう。

図書館司書 孤独の晩酌

僕はお酒も大好きだ。
けれど毎日呑むようなことはしない。
だいたい週1、仕事を頑張った自分への褒美として晩酌をする。

いつも呑むのはジンジャーハイボール
ブラックニッカとカナダドライは晩酌における名コンビである

普段はビールを一発目に呑むのだが、今日は最初からジンジャーハイボールを呑みたい気分だった。
丸い小さなコップに氷とブラックニッカを注ぎ、そこへジンジャーエールをシュワリシュワリという音と共に注いでいく。

箸で少し混ぜたら完成
甘すぎず辛すぎないスッキリした味の完成

ぐびっ

うまいっ!!

まるで疲れが溶けていくようである。
まあそれは確実に錯覚ではあるのだが、とても忙しかった日に取り立ててトラブルもなく終えられたことへの達成感は大きい。
今日も1日お疲れさまでした。

本日のおつまみ① レバー串

お酒のお供を一つ選べと言われれば、僕は絶対にレバーを選ぶ
それくらいレバーが好きだ。食感から味から全て好き
とはいえこのモサッとした食感が苦手という人も多い
僕は大好きだけどなぜかわかる

本日のおつまみ② うずら卵串

レバー串ともう少し何か欲しいと思い、串カツセットを買った
そのうちの一つであるうずら串
2つというのがとても食べやすい

お酒は「しっぽり」がよき

人生で初めて「しっぽり」を辞書でひいてみる。

落ち着いて静かなさま。しみじみ。

デジタル大辞泉(小学館)

「しっぽりと呑む」という場合はこの意味であろう。
そう、僕はしっぽりと呑むのが大好きなのだ。
一人であれば誰にも邪魔されず、自分のペースでしっぽりと呑める。

とはいえ、友人と呑むのも大好きだ。
僕の友人も、僕と同様にしっぽり呑みが大好きな人種だからである。
僕を含め、こういった酒の呑み方をする人々を心の中で、
「しっぽり族」と呼んでいる。

逆に「一気!一気!」というような掛け声と共に大勢で騒ぐ呑み方は僕はあまり好きではない。
そもそも大勢も苦手だし、大声も苦手なのだが、その喧騒の末にあるのは、悪酔い深酔いだからである。

お酒は呑んでも呑まれてはいけない。

お酒は上手に付き合うもの

最後に、呑んでも呑まれるなを心から痛感したエピソードを書いて、結びとしようと思う。

僕自身も呑まれたことがあった。
もう何度も書いたけれど、適応障害になったときだ。
過度にかかったストレスを払拭するべく、酒を呑む。

呑む理由をストレス発散にしてしまうと、呑まなきゃ生きていられないという状況に陥る。
しっぽり族のように嗜むからこそ、お酒は楽しいのだ。
しかし、度が過ぎると体調も崩すし、自分が自分でいられなくなる。

リタイアした父も呑まれてしまった人間の一人だった。
子どもの頃、僕は父が強いと思っていたのだが、大人になった今は全く印象が違う。
とても弱い人間であるということを強く理解した。

母が乳がんになったときのことである。
手術をして、無事回復はしたけれど、父は母が重い病気になったことがショックだったらしい。
そこでその心の穴を埋めるべく走ったのが、酒だった。

酒を呑みすぎると食欲が失せていく。
食事をしないのに、酒ばかり呑むようになる。
そうなると、常に酔っぱらったような状態になり、歩行すら覚束なくなる。

ある夜、自室で倒れ、棚の置物で頭を打って、大量出血してしまったのだ。
もちろん家族である僕らは「酒をやめろ」と何度も言った。
けれど、もうコントロールができなかったのだろう。

そのときに僕は悟ったのである。
心に空いた穴を酒で塞ぐことしかできないくらい、父は弱いのだと。

そのまま救急車で運ばれ、心療内科に通い、今では断酒をしている。
酒を断ったおかげで、みるみる元気になり、朝4時に起きてはウォーキングするほどに回復をした。
それだけ酒というのは、人体と心に影響を及ぼすものなのだ。


僕はお酒が好きだ。
だけど、父を反面教師にして、絶対に呑まれないと心に決めている。
しっぽり族として、いつまでも楽しくお酒と付き合っていたいから。


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