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拝啓、トイストーリー。

私はトイストーリーが大好きです。
第1作とほとんど共に生まれ、トイストーリーを見ながら育ってきました。

そしてトイストーリー4のウッディの決断についても、公開当時大いに涙し、その涙の理由を考えひとつの記事に辿り着き、彼の決断を大いに肯定できるようになれました。

そんな想いをnoteに残します。

ウッディの役割=母親としての側面

私がいつか読んだ記事では、
ウッディの役割を母親に例えた話が印象的でした。

シリーズを通じてウッディはアンディのおもちゃであり、友達であり、そしてアンディの成長を見守る存在でもあったのです。

そして4ではウッディは新しい子に遊んでもらえない事に苦心します。

それは自分がアンディにとっての1番だったという経験や最高の別れを迎えて尚、彼の誇りでもあるからと考えます。

この苦心や現象は子育てを終えた母親に通じるのではないか、という切り口が今回の話。

考えてみると母親も我が子を産み、育て、時に自分を犠牲にしてでも子供を守っていく、そんな姿はウッディがアンディを思う行動の根底に通じるものであるように感じました。

そして我が子が巣立ち、余白の大きくなった部屋を眺めながら我が子を思う、そんな瞬間があるのかもしれません。

ウッディは3のラストで自分の役割を果たし、アンディは立派に巣立って行きました。

これまで誰かのために生きてきたのがウッディであり、母親の人生。

しかし、それではウッディ(母親)としての人生はどこにあるのでしょうか?

ウッディ(母親)も新しい生き方を見つけても良い今度は自分を幸せにするターンがやってきたのだと第4作目は伝えてくれているように思えるのです。

これまでのウッディが不幸だったとは思わない、しかし4作目の結末からウッディの新しい人生がはじまり、幸せの日々がはじまるのだ。

そう思えることが何より幸せで4作目が作られた意味が大いにあったのだと感じます。

次なるトイストーリーとは?

ファンなら当然の疑問と好奇心に対してピクサーはこう伝える。

トイストーリーはピクサーにとっても非常に大切な作品。
2作目、3作目と作り続けていく時に常にこれが最後だと思いながら作った。
そして常に、次の話が作られるのは語られるべき物語がある時であった。

先のことはわからないけれど、
作り手も受け手の僕らにとっても大切なシリーズ。
これからどんな作品が生まれたとしてもきっと納得できる物語なはず。

その時を夢見て...。

人生とリンクした3作目の体験

余談ですが、
私は3作目だけは公開から随分と年数を空け、高校生の時に初めて視聴しました。

理由は、「3はどうやらウッディたちが保育園に送られてしまう」と言ったあらすじに恐怖した事です。
あのアンディがウッディたちを捨ててしまうのか?
そんな思い込みが見ることをずっと躊躇わせていました。

しかし、意を決して見た3作目はむしろその逆でした。
アンディがどれだけウッディたちを愛しているか、おもちゃとしてこれほどない喜びの瞬間を迎える事が出来たと思っています。

このラストは自分の人生にも重なり、幼少期に親しんだ1.2から時が流れ高校生になってはじめて3を見れたことで作中の時間軸とリンクした稀有な体験が出来ました。

大人になった今見返すと、また当時とは違う発見があるかもしれません。

ひとつの作品と長く付き合っていける、向き合っていける生き方もまた素敵だな。
そんなことを思う、この頃でした。

ライ

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