花と芥のフラグメント
3月末に母の誕生日がある。大学は春季休暇の終盤、非常勤講師ごとき親不孝者にも暇ができるので、今年も帰省した。
実家にいられるのはせいぜい1週間だ。それ以上になると、戻ってくる気力がなくなってしまう。うまい飯、足の伸ばせる湯船、花木の鮮やかにそよぐ庭、暖かな厚い寝床、──年を経るたび後ろ髪を振りほどくまでが長い。
どうにか去年と同じく18年前と同じく新横浜駅にひとり降り立ったら、上着の裾に桜の花びらが一枚ついてきていた。なァんだ今年は一人じゃないのか、と思うやたちまち風に攫われて春霞の彼方へ逃げていった。
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帰省中は母との散歩が日課となる。例年この時期に桜の気配はなかったのに、折からの陽気のせいか今年は満開だった。過疎と高齢化を極めつつある山国の片田舎では花見に群がる人出もなきに等しい。
「おおっ」
「綺麗だねえ」
休憩がてら寄った公園で、そよ風が闖入してくるたび二人そろって感嘆の声を上げていた。桜木の春たけなわに綻びて万朶の命いざと散りなむ。
この色、この風、この潔さ。永続ではなく刹那を、徒らな生より映えある死の勝利を謳う象徴よ。この美が彼らにわかるはずはない、我々がいつまで経っても彼らの「自由」ひとつわかりえないように────
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掃除はべつだん好きではないが、部屋は綺麗にしていないと落ち着かない。どこかで漱石が書斎の条件に「明窓浄机」を挙げていたが、身辺が猥雑だと思考まで雑然としてしまう理屈はよくわかる。
掃き掃除が最も楽しい。「ほうき」をかけていると思考が研ぎ澄まされてくる気がして、さながらあちこちの塵や芥を一ツ処に集める所作と調和しているようで、心地がよいのだ。
「千切りはええわ」
父は退職してから料理をするようになった。ある晩ザクザクと台所から聞こえてきて見に行ったら、あっという間にキャベツ一玉が微塵になった。あっけに取られているとほっと一息ついて、
「無になれるじゃろ、なァんも考えんでええ」
その境地に近いのかもしれない。
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実家ゆずりの早寝早起きが抜けず、昨日も5時に目が覚めた。肌と腸と目の具合がすこぶるよい。さていつまで続くやら。
10時前にはもう腹が減る。外に出てぶらぶら一駅ぶん歩きモスバーガーでお持ち帰り、近くの宅地にある公園のベンチに腰掛け抓んでいると、路地を挟んで甲高い声が届いてきた。
「もう切っちゃおうかって、夫とも話してるの」
中年女性が門扉を出てきて、垣根から枝を垂らすソメイヨシノをまぶしそうに見上げつつ、ご近所さんと話している。
「あら、どうして。せっかく綺麗に咲いてるのに」
どちらも語尾がやけに間延びしていて、よく通る声だ。
「毛虫が沸いて大変なのよ。それに、ほら──」
「まッ!」
二人そろって、地にこびりつく花弁の群れを汚らしそうに眺めやる。
「桜は見るだけでじゅうぶんよ」
「大変ねえ」
吐き捨てる声に慰めが被さり、それを生ぬるい風がゆらりとかき混ぜた。怨めしげな目が吹きこぼれだす花びらを超えて、この目を捉えかけて、咀嚼中のポテトをドリンクで流し込み急ぎ発った。
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ほうきがほしい。買ってもよいが、ワンルーム暮らしにはベランダくらいしか掃ける場所はない。悪くはないが、なにか違う。
つらつら考えながらドリンク片手に帰路を行き、氷が残るだけになってようやく気付いた。まずい、どこかに落としてきた。
モスバーガーでセットをお持ち帰りすると、ドリンクは手提げ袋の中で固定されるよう、いい卵パックか宅配ピザの梱包材のような型紙が容器の底についてくる。湿らせたら縮こまって捨てるのが楽になる、あれだ。
公園ではあった。道中ごみをカバンに仕舞ったときもあった。どこだ。
引き返すか。いや、もうだいぶ来てしまった。引き返さないのか。いや、ふくらはぎも張ってきている。引き返すべきだ。いや、日差しも強くなってきた。引き返せ。いや、そうじゃなくても目立つのに?
────引き返そう。理由はなんであれポイ捨てなど、わが美学では野糞と同等、ありえない蛮行だ。
行きつ戻りつしていた足を勇んでくるりと反転させたら、いつの間にかすぐ後ろを歩いてきていた日傘片手の女学生らしきがギョッと立ちすくんだ。
お嬢さん、あいすまぬ。これは誇りの問題なのだ。道を開けてくれ。
対向車がすれ違えるほどの幅員をじろじろ見渡しながら歩を進める。しばらく前に追い越した婦人が、あからさまに怪しげな目つきで迫りくる。
奥さん、ご容赦あれ。魂の健康のためだ、見過ごしてくれ──!
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「こりゃシーシュポスじゃあ……」
サークル部活に用のなかった学生のころ、学祭期間はすなわち連休だったので、毎秋も帰省していた。だらだら本ばかり読んでいたせいか、あるとき母に言いつけられて玄関から門扉までほうきで掃かされたことがあった。
「なに?」
監視ついでに草むしりをしている母が顔を向ける。
「徒労よ徒労!」
垣根がわりに植えていた背高いレッドロビンが、掃いても掃いても真っ赤な葉々を落としてくる。秋風がほうきの線まで掻き消しにかかる。
「そいでええんよ、ほうきがけは」
母は笑っていた。なぜええのか全くわからず、早く読みさしのスタンダールに戻りたくて半ばやけくそにほうきを振り回していた。今は、なぜええのか、骨の髄まで沁みている。
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花吹雪を後にして、遠く生駒の山々を見晴らしながら帰る。去年の秋口に大病をした母は杖をついているので、階段や坂の下りは特にゆっくり進む。自分の早足が気になって仕方なかったが三日もすれば慣れた。
庭で煙草を吸ってから中に入ったら、母は納戸にいた。抽斗で用事するその周りに花びらが散っている。まるで母自身が桜の木になったかのように、今また膝行るとはらり、一枚その身から落ちた。
「ああ、こりゃ引っついてきたんよ──」
母は65になった。おかしそうに、どこか照れくさそうに一枚一枚つまんで拾う肩は、去年よりわずかに小さくなった。一緒に笑いながら、頭の中で「少年老ヒ易ク学成リ難シ」が白文のまま渦巻いていた。
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新横浜駅の上りホームは、普段あれほど閑散としているのが嘘のような人だかりだった。英語、中国語、スペイン語、ヴェトナム語かタガログ語かが大荷物ごとのっそり改札へと降りてゆく。
しばらく待った方がいいな、と花びらの消えていった方を再び見上げた。のどかな空は混じり気なく、底抜けに淡く青い。
アア煙草が吸いたい、今ここで。無性にそう思った。
完
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