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大学生のいいわけに付き合ってみる

 7月下旬といえば、だいたいの大学が前期試験期間である。ここでしくじったら4月からの半期15週がまるまる水の泡となるから、熱帯夜も線状降水帯もお構いなしで誰もが血眼となる。

 しかし学業ばかりにかまけてもいられぬ。部活、サークル、合コン、くっちゃべり、バイト、居酒屋、デート等々、「ニューノーマル」なるバカっぽいカタカナ語の占領下とて青春を謳歌したいものだろう。

 そこで伝家の宝刀「いいわけ」の出番となる。

 毎週マーキングかのように最後列にダボダボの尻を着けてApexに無我夢中だった諸君が、手鏡中の自己を見つめてお化粧に余念なかった諸君が、その他もろもろが、異口同音に「なんとかしてくれ」といそいそやって来る。

「体調不良で……」
「他の授業がタイヘンで……」
「PCの調子が悪くて……」 

 2年ぶりの対面授業でもテンプレは変わらない。まとめて「シラネーヨ」で一蹴ものだが、しかし悪事千里を走る時代の大学では「お客様」の言うことは絶対だ。

半年のうちに世相は変った。

『堕落論』

 安吾先生、あちこちとどこおよどみ腐臭ただようデカダンスまっただなかの現代には、もはや半年ごときで一変しうるものなどありませぬ。

人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。

同上

 大学という名の泥舟に乗り合わせては飽きも懲りもせずあてどなく曳航しつづけるわが身もまた、変わっていない。

 各いいわけの「中身」はどうだっていい。いち成人が「腹痛」と主張するならそうなんだろうし、学生が自分の授業しか履修していないと思い込んでいるのか課題を山ほど出す教員もいるし、PCだってぶっ壊れもするだろう。

 大事なのは「形」、いいわけのつき方だ。

 赤面したり、目が泳いだり、言い淀んだり、鼻腔のひくひくを隠さんとうつ向いたり、やけにハキハキとしたり、一心不乱に睨みつけてきたり、ニヤニヤしたり、そんなの自分でバラしているようなものだ。

 「形」が崩れては「中身」もしかり、自己表現self-expressionの失敗である。

 自分の思いimpression外に出すex-pressことへの習熟が、日本の教育には致命的に欠けている。それこそが高等教育機関の育てるべき知的能力だという自覚が現場にもお上にもない。

 ぶざまないいわけの真の問題は、それを恥なく繰りだす一人一人を生産している教育という文化そのもの、汲めど尽きせぬ泉そのものだ。

 といって何も変わるまい、ゾウに対峙するアリに勝ち目は万一もないんだから。そうして今日も大学は洋書で得た情報を横流しにするだけが生業となっている、特に文系はそれを100年以上も「学問」だと思い込んでは。

 一人だけ例外がいた。

 当時3年生の、黒の短髪と前ボタン全開け白シャツが似合う好青年で、なぜ2年次科目を再履修しているのか不可解なほどよくできた。

「先生──!」

 試験直前、教室へ向かうところへ駆け寄ってきた。父親が脳卒中で倒れたという。冬に汗したたる額、息まく早口、上気した頬、ギリッと剥かれてどこか不安げな目色、片手には「母」と表示されている通話中のスマホ、──あとで連絡するからすぐ帰れ、と送り出した。それほど迫真性と信憑性ある「形」だった。

 夜メールで、「落ち着いてから取り組むように」と添えて試験をレポートに代替すると告げた。すると翌々日の早朝に送ってきた。文句ない出来で、「単位は心配いらない」と通達したら、

返信さえ見事だった

 後日、成績表と出欠簿を提出しに大学へ行ったついで生協に寄ったら、同じクラスにいた万年補欠野球部員のいがぐり頭に声をかけられた。グラウンドの向こうから大声で挨拶してくる愛嬌ある学生だ。カップラーメンを持っていたので、冷蔵の棚から一番高い肉入りサラダをついでに奢ってやると、

「〇〇さんには単位あげたんですか」
「ああ、レポートを提出させましたよ。大変だったみたいで」
「でもテストの日、○○さんカノジョとディズニー行ってましたよ」

 ほら、とインスタグラムを示される。きゃつは学科内では有名な「サイコパス」だと、非常勤講師に知りえない内情まで囁きながら。

「オレが言ったって言わないでくださいよ!」

 サラダ片手に駆けてゆく喜色満面を見送りながら、内心ホゾを噛んだ。成績変更願は出さなかった。

『イダ・ルビンシュタインの肖像』 ヴァレンティン・セローフ (1910)

 末は博士か大臣か、ならぬ、末は詐欺師か名優か。4年次になって中退したと風のうわさで聞いた。

 とにもかくにも、待ちに待った夏休みである。

 なんでも叶えてくれる長いなが〜い2ヶ月、取得したばかりの運転免許証で遠路はるばるドライヴしたっていい、その日会った相手とフンイキに流され一夜かぎりの擬似恋愛したっていい、大学図書館の地下書庫に入りびたってもいい。全部「若気の至り」になるんだから、なんでもありだ。

 昔クリストファー・リーって英国お抱えの巨匠も言っていた。

「人生では、殺人と近親相姦以外は、なんでもやってみればいいんだ」

 パンデミック・リヴィジテッド再来で自粛ぎみ? てやんでい、今ここにある夏は一度きり、去年とも来年とも違う、もう二度とないものなるぞ。クラスターが発生すれば脊髄反射で「若者ガ〜」と喚くあちこちのご老体だってウン十年前は好き放題やってたんだ、気にしない気にしない。

 ええじゃないか、ええじゃないか。どうせ末世デカダンス、踊らにゃ損だ。

 でもさ、はやりの薬物に手を出すくらいなら、大学図書館で『阿片常用者の告白』を探して読んでみてごらん。大学に文学部があれば原著"Confessions of an English Opium-Eater"もあるだろうから挑戦してみるといい。ちょっと敷居が高いと思えても、すぐに慣れるよ。

 大麻草や合成化学物質よりよっぽど美しいもの見せてくれるぜ。








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