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蝋燭の日記

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日記や回顧録をまとめました
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初めて鬱だと診断された日

初めて鬱だと診断された日

 初めて鬱だと診断された日、私は(あくまで個人的には)救われたような気持ちがしました。それまで頭の真んなかに寝そべっていた「死」という形の、わけのわからない記号が雪みたいに溶けていったのです。
 一般に鬱病患者は初診を受けた際、自分が鬱病であるという事実に落胆するそうです。人非人の烙印を押されたような気持ちがするのでしょうか。はたまた、落胆できるほど自覚症状が少なかったのでしょうか。あるいは突然の

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ザッキ・ニッキ

ザッキ・ニッキ

四月一日
 フォロワーとライン。二時間半ほど通話する。
 恋と性欲をテーマに議論する。血の通わない、冷たいタイルに寝そべっていた僕には、本質論者の叫びこそ新鮮な温もりだった。
 生命の産声だ。獣臭い呼吸だ。そうだ、春がやってきた!
 フォロワーからサークルの原稿を依頼され、僕は快諾し、さっそくプロットを話し合う。充実していた。
 三月中旬に訪れた鬱の波なんて、見えなくなるほどに。

四月二日
 フ

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ネズミになった夢を見たよ

ネズミになった夢を見たよ

 夢を見た。
 僕はガールフレンドとともに、サイケデリックな配色の建造物へと侵入する。狂っているのは配色だけではない。柱や梁がグニャグニャと湾曲し、ディズニーランドのトゥーンタウンを想起させる。
 先導する一匹のネズミ。僕はあの灰色の小動物をガールフレンドと認識している。それで僕自身もネズミに違いないと分かった。いったい、四足歩行のクオリアを手足に感じる。
 紫色のカベの廊下に四つのドアがある。干

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加害者

加害者

メンクリに行った。
夜勤だから、昼間出かけると体調を崩しやすい。
帰宅してすぐ眠った。
目覚めると母が帰っていた。
「今日寝過ごしたでしょ」と言われた。
ぼくは事実を話した。
「えー。嘘だぁ。なんで嘘つくの?」
ぼくがこの世で2番目に嫌いな言動。
明らかに、嘘つきの方が生きやすい社会で、しかし比較的正直に生きてしまう性分だからメンクリに行く羽目になっていると言うのに。
脳味噌が強張った。
怒りがぼ

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それだけが怖い

それだけが怖い

目覚めたら躁だった

それでこの世のすべてを理解した

地元のバーミヤンが潰れた理由から、人類の終末まですべて

唐突に「ハレ晴レユカイ」のダンスを練習し始めたり、日本一周を計画し始めたりした

次に気がついた時、DTMをいじっていた

アイデアが洪水のように溢れて止まらなかった

さっき出て行ったと思われた母が帰宅した

窓の色が青から黒になっていた

怒りと慈悲が込み上げてきた

爛々と、黄色

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ぼくの嫌いな大人

ぼくの嫌いな大人

金沢市のカラオケでバイトしたことがある

10畳ほどのホールで仕事を覚える

よく会うスタッフは3人

学生街だから、将来有望な青年たちは搾取されていた

その中に初老の女性がいた(以下、初老とする)

結婚し、前職を辞め、パートとして20年ばかり勤めている様子だった

初老はこの狭いコミュニティを支配することに長けていた

その場にいないスタッフの陰口を吐くことで新人からプレパラートほどの信頼を

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17.辞書

17.辞書

中学時代、辞書の愛読者だった。けれど歪んだ愛だった。

三年次の国語担任Gは学内で三番目に権力ある人だった。暴力は振るわないまでも、毎日のように誰かを恫喝していた。思えば厳格で優秀な教師であったが、当時の生徒たちの多くから恐れられていた。

白文帳、という長野県特有の文化とも言うべき代物がある。A5サイズ、18×13の小さな升が羅列されたノートだ。これに一日一頁、漢字を書き取って提出することと

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16.松本ぼんぼん

16.松本ぼんぼん

松本の中町通りでぼくは、旧友Hのバイトの終わるのを待っていた。スマホの充電がなかったから、大通りに移ることも憚られ、彼の勤務地の店先で待っているより仕方なかった。
祭りは終盤に差し掛かっていた。山車や人間たちのくたくたになっていくのを側から見ていた。
20時に終わると言っていたHは、果たして20時30分に店から出てきた。お疲れさまとぼくは言った。

我々は先ず縄手通りを目指して歩いた。
全く、な

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15.学祭

15.学祭

大学二年次、学内に友人のいなかったぼくはどうしてか、かなり自虐的な思想を持っていた。そのうち一つが恥をかくということだった。それもある程度自信のある分野で恥をかき、尊厳を主体的に損なう行為に興じていた。

ぼくのいた大学では例年、学祭にてカラオケ選手権なる企画があった。ぼくはこれにエントリーした。
歌うことが好きだった。ぼくはストレスを抱えたとき、決まって珈琲を過量摂取し、肉体の限界まで歌を歌い

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13.吹奏楽部

13.吹奏楽部

中学、吹奏楽部に所属していた。

ぼくは小学生時代からブラスバンド部でトロンボーンを吹いていた。中学に上がった時点で既に、周りの新入生よりも吹けた。けれど、決して驕らず、周りの誰よりも長く練習した。

放課後、部員たちは練習時間の半分をお喋りに費やしていた。ぼくはそれが厭で、独り、空き教室へと移動した。お小遣いを貯めて買った、「アーバン」という、かなり大きく、そして分厚い教本を携えていた。

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12.ドラえもん

12.ドラえもん

ぼくが小学生のとき、藤子.F.不二雄先生は死んだ。

当時、コンビニで毎月のように刊行されるドラえもんを蒐集していた。同じ話を幾度となく読み返した。
友だちとの会話の中で「ひみつ道具がひとつだけ貰えるなら」というお題が出たとき、ほかの人間が「タイムマシン」や「もしもボックス」と答えるのに対して、ぼくは「人生やりなおし機」と答え、場の空気を冷ましてしまうのだった。

藤子.F.不二雄先生の訃報を

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11.逃げ場

11.逃げ場

十九歳、冬、自殺しようとしていた。

東京の大学を一年次前期で辞めてしまったぼくは、長野の大学を再受験することとなった。
同時期に浪人生だったKという旧友がいた。ぼくとKは偶然同じ大学を志望していた。市立図書館でぼくはKと共に勉強した。図書館の開いていない月曜日は、家で独り、勉強するのだった。

ぼくはしかし勉強の必要性を感じていなかった。志望先は、前の大学より幾分かレベルを下げたからだった。

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10.寝ぬ

犬を飼っていた。

イエローの毛色の、ラブラドールレトリーバーの、雄だった。
彼は、ぼくが四歳のときにやって来た。父が「そら」という名前を付けた。
そらは運動神経が悪く、犬にしては鈍臭かった。フリスビーキャッチを成功させた試しがなかったし、なにもないところで突然転んだ。

そらはどちらかと言えば猫に似た性質を帯びていた。高速で動く物体に強烈な反応を示したり、温かいところが好きだったりした。長野

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9.コンビニ

大学生のころコンビニで夜勤をしていた。

田舎のコンビニの夜勤とは、接客業とは言い難く、品出しの連続であった。毎日決まった時間に数名の常連客が訪れて、決まったものを買っていった。だから自然、顔を覚えたし、渾名するようにもなった。

「大関」と渾名された老人は、ワンカップ大関を買っていくことから、その名が付けられた。大関は酒のほかにスティックサラミを買うのが常だった。
けれどごく稀に弁当を追加す

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