見出し画像

16.松本ぼんぼん

松本の中町通りでぼくは、旧友Hのバイトの終わるのを待っていた。スマホの充電がなかったから、大通りに移ることも憚られ、彼の勤務地の店先で待っているより仕方なかった。
祭りは終盤に差し掛かっていた。山車や人間たちのくたくたになっていくのを側から見ていた。
20時に終わると言っていたHは、果たして20時30分に店から出てきた。お疲れさまとぼくは言った。

我々は先ず縄手通りを目指して歩いた。
全く、なんだって男二人で歩いているんだとHは笑った。
きみが誘ったんじゃないかとぼくも笑った。
「とにかく酒を飲もうじゃないか。今日は倒れるまで飲むぞ」
我々は共に上戸であった。それが唯一共通する哀しさであった。

千歳橋のコンビニでストロングゼロを買い、間もなく飲み干し、視力を低下させた。
橋は人間たちがごった返していた。ぼくは、東京の満員電車を初めて体験したときのことを思い出した。あれも完徹後の朝だった。東京の旧友のアパートで飲み明かし、新浦安までの帰途、強烈な眠気と頭痛を伴っていた。電車を電車と、人間を人間と認識できなくなっていた。難破船の積荷になった気分だった。これらはどこへ流されていくのだろう、どこへも、行く宛など無いように思えた。

縄手通りも又賑わっていた。夕食を済ませていたから、露店からチーズハットグの悪臭が漂い、吐き気を催した。
売り子がビールを勧めてきた。倒れるまで飲まなければならない気がしていた。Hにそう言われた所為ではなかった。ぼくは一杯五百円の高級ビールを買い、その場で飲み干し、もう一杯購入した。
Hは大丈夫かと心配そうだった。

河川敷へ続く石の階段を下り、比較的空いていた。蚊が飛び交っていた。そこでビールをちびちびと飲んだ。
赤提灯が薄ぼんやりと浮かんでいた。ピントが定まらなかった。しかし意識ははっきりとあって、やはりぼくは哀しかった。

ビールを飲み干して我々にはもう、酒は要らなかった。
一ツ橋を南へ渡った。祭りの終わりを報せるアナウンスが轟いた。そうでなくとも、この辺りの人通りは疎らだった。
一件の飲み屋に老人が集中していた。店の入り口で、常連と思しき人間がギターを弾いており、なかなかの腕前だった。
我々はそのすぐ側の月極駐車場のスタンドポールに腰掛けてこれを聴いた。

「アコギ、始めようと思うんだ」とHが言った。
「アコギは好いよ。コード理論が分かるから。それに、独りでも完結させられる楽器だ」とぼくが言った。
「俺がこんなこと言うのも痴がましいけれど、(ローソク)はもう、音楽を作らないのか」
ぼくは川面に反射する提灯の赤を見ていた。それは確かに提灯のものらしかったが、遠くからでは薄ぼんやりと滲んで、松明かも、車のブレーキランプかも分からなかった。淡く滲んで、そうして明日にも撤去されてしまうのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?