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#6【新卒1年目】ダブルワーク?研究所のあとの通常業務!? 激務の先で得たもの

いつもお読み頂きありがとうございます。前回は【#5 軽率な行動がプロジェクト破断危機に!】をご紹介しました。社外に出ればあなたは会社の看板を背負った代表者とよく言われますが、この意識を持つにはそれなりの経験がいりますね。そんな大失敗エピソードでした。

 出向先の国の研究所で大問題を引き起こし、なんとか関係を修復。研究所の先生ともうまくやっていけるようになり、研究も順調にトライ&エラーで進めて行った1年目の終わりに、会社の上司から1本の電話が・・・。今の世の中で言うと完全にアウト!の環境に陥ったエピソードです。
 


突如いなくなった先輩

私が第3製品開発室に配属になった時、先輩は2人いました。入社5年目、入社3年目の方です。開発室の中でも私の部署は一番人数が少なく上司である室長を入れて4名。
 配属時に特に面倒をみてくれたのが3年目の先輩です。会社のルールや備品の使い方、PC管理や社内システムについてなど本当にお世話になりました。配属1カ月で社外出向になり、会社に出勤するのが週1回のミーティング時のみでしたが、その時もいろいろフォローしてくれて頼りにしていました。
年が明けた頃だったでしょうか、突如、工場勤務に異動になったのです。

何も知らされていないかったので、私は大きな衝撃を受けました!!

残った5年目の先輩に話を聞くと、かなり前から悩んでいて開発部長に相談していたみたいでした。

悩みの原因は・・・、ずばり上司です。

私のフォローをしてくれている反面、上司からのキツイあたりはこの先輩にも強くされていたようです。
オフィスにいない私には状況を知るすべがありませんでした。仮に知っていたとしても自分自身で精いっぱいで何もできなかったと思います。
 直の先輩がいなくなったことで、配属時に言われた「ご愁傷様」の意味を実感することになります。

第3製品開発室の人数が少ないのは、こうやって上司の指導方法に耐えられず常に人が辞めて行ったり、異動希望が出ていた為です。後で聞いた話ですが、この状況は上層部でも問題になっていたようで私への指導はマイルドになっていたらしいです。強烈な記憶しかありませんが・・・。

工場勤務になった先輩とは、もちろんその後も交流もあります。会った際に

「日下部君、ごめん、耐えられんかった・・・先に出て、ほんと、ゴメン」

となぜか謝られる始末。先輩は何も悪くないのに。

「気にしないでください、がんばりますよ。」と言ったものの心中は不安でいっぱい・・・。この後は5年目の先輩が、私に負担をかけまいと必要以上に気を遣うことに。あまり健全な組織状態でないことは明白でした。
 

研究所退勤時にかかってきた1本の電話

 面倒を見てくれていた先輩が異動になっても、私は国の研究所勤務ですので大きな影響があるわけではありません。そのまま1カ月、2カ月と過ぎ1年目が終わる3月頃のことです。
 国の研究所は9:00~17:00勤務ですので、会社の就業時間より少し早く終わります。出向とは言え外部者ですので残業は認められず、研究所でしかできない実験や測定を優先して家でデータをまとめる日々でした。

 いつも通り、17:00に研究所を後にし車に乗り込もうとした時に、携帯電話が鳴りました。

着信表示は、会社の番号。何か緊急の連絡かと思い電話にでます。

「はい、日下部です。」
「おっ、日下部か、もう研究所は終わったか?」
「はい、今から帰るところです。どうかしましたか?」
「じゃぁ、今から会社に戻ってこられるか?」
「はぁ、特段予定はありませんから大丈夫です。」
「なら、よろしく!!」

 なんだろうと思いつつも、『戻ってこい』と言われれば行かないわけにはいきません。
研究所と会社(開発棟)は車で20~30分の距離。すぐに移動し、会社の駐車場に車を停め足早にオフィスフロアに入りました。時間は18:00前だったと思います。

上司は自分のデスクにいましたので、デスクまで行き、

「戻ってきました、何かありましたか?」
上司は、ニコニコしながら
「おぅ、悪いね。ちょっと頼みがあって。今からこの製品の性能評価お願い。」
「えっ、急ぎですか?」
「そう、急ぎ。頼むな!」
「はい・・・。」

製品の性能評価を終え、データをまとめて上司に報告。

その時に衝撃の一言!
「ありがとう、で、ちょっと人手が足りないから明日から研究所の仕事が終わったら会社に戻ってきて仕事してくれな!」

「!?  ?  !!!!!!!!!!!」

と言うことで、上司からの1本の電話があったこの日を境に2重勤務が開始されることになったのです・・・。

1社で2社経験、武者修行の日々

1年目の終わりから
9:00~17:00・・・研究所にてプロジェクト研究【研究室の先生が上司】
18:00~ ・・・会社の開発業務【第3製品開発室の室長が上司】

という状態になり、会社の開発業務は毎日22時~23時まで行われます。

今、考えればおかしなことだらけですが当時の私はとにかくこなすことで精いっぱい。ましてや会社に利益をもたらす仕事はしてないわけで・・・。

新卒2年目はこのようなスタートとなりましたが、それでも会社には同期や先輩。寮での生活など、気持ちの切替の時間もありなんとかこなしていくことができました。

しかし、毎週月曜日の開発室ミーティングの時間だけは耐えられません。プロジェクト研究の進捗報告に加え、開発業務がプラスされ激しさはさらに激化。修行の日々と言っても過言でない時間が過ぎて行きました。

今の私は新卒で入社したこの会社の後、現在のRARECREWの起業が職歴となりますので転職歴は1回しかありません。
 しかし、新卒時代の2年半の期間に国の研究所と部品メーカーでダブル上司から指導を受けると言う、とても稀有な経験をしてきました。

それもどちらも同じぐらいスパルタ上司でしたので経験値はそんじょそこらの新卒とは比較にならないものを得たことになります。

現代社会では、こんな働き方を強制することはNGなので全くおススメできませんけど(笑)

時間が経つとわかること

今から振返ってみると当時は出口の見えない状況に憤りや不安、恐怖や無力感から無気力になってみたり目まぐるしく感情が動いていました。無知であったのに能動的に勉強できていなかったとも思います。

ただ、この経験が今のベースを作ってくれているのは紛れもない事実。

●徹底した恐怖のレポート指導
 →〇要約能力、要点読解力、文章作成力、文章チェック力の向上
●研究・開発ダブル勤務
 →タスク分解力、マルチタスク対応力、タイムマネジメント力、
●スパルタ上司
 →ストレス耐性(飛躍的)、受け流し力、先読み力、危機回避力

他にも研究開発ですので計画力、分析力といったPDCAサイクルを回す力や仮設思考などなど、あげたらきりがありません。
すべては当時ご指導頂いたからこそ身に付けた力で、こういった底力が上がっていたからこそ25歳という年齢で異業界、異業種起業という無謀なチャレンジが可能だったのかと思います。
やったことで無駄なことは1つもない、そう断言できます!!

肩書や名誉、お金みたいなものは誰かに奪われたり、失ったりしますが自分が身に付けた能力は人間性も含め私だけのもの。常に自分磨きが大事なんだと振返って強く思います。

皆さんは、どう思いますか?

この2重勤務の激務を解消しようと2年目の終わり頃に上司と直接交渉を申し出ることになるのですが、それはまた別の機会に。
因みに私の新卒2年目の間に増員や後輩の配属はありませんでした。
《 1年目 完 》

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