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ぼくの 大ぼうけんと まっくろさま

〝ぼくの大ぼうけんとまっくろさま

 おばあちゃんのおうちへ行った
 行くとおばあちゃんが、いつもまっくろさまの話をぼくにする
 まっくろさまは悪い子のまえに出てくるから、早くねないといけない

 でもぼくは友だちといっしょに、まっくろさまをやっつけた!! 
 しかもなんと、まっくろさまは女の人だった!!
 これは大はっけんだ!!〟


 そう書かれた文字の上には、真っ黒な姿が描かれている。
 鬼のような頭の角に、鋭く尖った手の爪。
 だがそれ以外は全てが真っ黒。顔も体も黒いクレヨンでぐちゃぐちゃに塗り潰されていた。

 そんな黒ばかりが占める絵の中に唯一、黄色だけが他の色として混ざっていた。
 黒い姿の足元にある、絵の欄の端から端を結ぶ、黄色い一本線。

「あ~……何かこんな事、描いたなぁ」

 引っ越しの準備で荷造りをしていたら、小学生の時の絵日記が出てきた。
 懐かしくて見返していると、目に飛び込んできたのがその真っ黒なページだった。

 今となれば、いかにもガキんちょが好きそうなネタ。
 ちょっとした遠出を“大冒険”と言ったり、ちょっとした昆虫や動物を虐めては“退治”と表現したり。
 子供ながらのアホと言うか、残虐性だと思う。

 黒歴史が恥ずかしくなってきて、僕は早々に絵日記を閉じた。

「……そういや、ばあちゃんちに最後に行ったのっていつだっけ」
「え? 急に何?」

 古い学研の教材をゴミ袋に押し込みながら、母はそれだけ言った。

「ばあちゃんの葬式って、僕が小学生の時だったっけ?」
「そうね。アンタ、まだ制服着ていなかったし……確か小五じゃない」

 手元の絵日記には小三と描かれている。
 お盆になると毎年遊びに行っていた母の実家も、祖母の三回忌の後は全く行かなくなっていた。

「そう言えば、おばあちゃんから進学祝い預かっているのよ。死んじゃう前に、貴方が大学生になった時用にって」
「何それ。僕、貰ってないけど」
「入学金に使ったわよ」
「えぇ……」
「一人暮らし始める前に、おばあちゃんにお礼言ってきたら。どうせ暇なんだし、もう一人で行けるでしょ?」





 まっくろさま――その漢字はまんま、真っ黒様だと思う。

 いわゆる子供を上手く言い包めるために、大人達が作った架空の存在。
 電車から流れる景色が見覚えのあるものに変わると、その頃の記憶も徐々に蘇ってきた。

『真っ黒様には大きな角が二つあって、鋭い爪を持っているんだ。それで人々を怖がらせて、嫌がらせをする……悪い奴なんだ』
『ウソだぁ! そんなヤツ、見た事ない!』
『嘘じゃないよ。俺は真っ黒様に会うと、よく虐められているからね。殴られる事もあるから、大嫌いなんだ。君だって好きじゃないだろう? 真っ黒様のせいで夜は遊べないし、大人達の言う事を聞かないといけないから』

 そう話していたのは、近所に住む年上のお兄さんだった。
 たまにしか行かない母の実家で、人見知りだった僕が唯一友達と言えた人。
 背が高くて、体が大きくて、説得力のある落ち着いた話し方。
 思い返せば、あの人は丁度今の僕くらいの年齢だっただろうが、当時は随分と大人びて見えた。

『まっくろさまが好きなヤツなんて、いねぇだろ』
『そうだね……じゃあ、俺と退治してみる? 俺は真っ黒様の弱点を知っているんだ。アイツは真っ黒なだけあって、光に弱い。林の奥に池があるだろう。反射した朝日を浴びせるために、あそこに落とすんだ』

 その提案が面白くて、子供心ながらドキドキして、僕はあの人の話に乗った。
 布団の中で寝た振りをして、夜中になったら家から抜け出した。

 そしてお兄さんと共に、本当に真っ黒様をやっつけた。絵日記に描いた通り。

 あれは確か、夜が明ける寸前だった。
 池の近くにしばらく隠れていたが、お兄さんと二人で手分けをしてロープを張った。ロープの端と端とを持ち合った。
 そのピンと張ったロープに真っ黒様は見事に引っ掛かり、崖から落ちて、そのまま池の中へと落ちていった。

『やっつけた!』
『凄い凄い。君のお手柄だよ』

――俺はあの時、何を“退治”したのだろう。


 真っ黒様なんて居るはずがない。
 だからあれは、お兄さんに良いように遊ばれたんだろう。猪か、鹿か。
 今思えば可哀想な事をした。でもあの時は本当にそれが楽しかったんだ。





「遠い所、よう来たね。今度はもう大学生だって? 大きなったなぁ」

 伯父さんに挨拶をして、祖母の墓へお参りに行く。
 数年振りに来た田舎の墓地は、思ったよりもこぢんまりしていた。

 これでやるべき事は済んだが、片道に掛かる時間を考えて、帰るのは明日以降にしていた。
 暇潰しに辺りをぷらぷらと歩きながら帰る。

 すると、急にお兄さんの家への行き方を思い出した。

 当時はお兄さんでも、もうおじさんになっているに違いない。
 いや、若かったから田舎から出て、外で暮らしているかもしれない。
 会えない可能性も、会った所でイメージが崩れるだけの可能性も分かった上で、僕はお兄さんの家へ向かった。久し振りにあのワクワクとする雰囲気を味わいたくなった。


「ここ……だっけ……」

 けれど、そこには崩れた空き家しか無かった。
 お兄さんが隣に居たら「お化け屋敷だ、一緒に探検しにいこう」と言ってくれたかもしれないような廃屋。
 誰かが住めるような場所じゃない。お兄さんは何処へ行ったのだろう。

「ああ。ケースケくんかい」

 伯父さんに聞くと名前が分かった。
 そうだ、ケースケ。
 彼を呼ぶ時、いつもお兄ちゃんで済ませていたから、名前をなかなか思い出せなかった。

 後は顔だけだ。
 古いアルバムをめくって、彼の姿を探す。何回か一緒に写真を撮ったはず。

「死んだよ。言わんかったっけ?」
「……え?」
「そういや、よう一緒に遊んどったもんなぁ。オレ等が心配しとんのも気にせんで。あそこの兄ちゃん、体が弱い割に頭は妙に回るから、皆が手を焼いとったのも今となれば懐かしいな。先に逝ってまったが、おっかさんも気が気じゃなかったろうに……あ、ほら。その写真の子だろ」

 伯父さんに指された写真には、細身で青白い顔の男性が映っていた。


――こんな人だったっけ。



 夜、伯父さんから貸してもらった部屋で布団に入る。
 祖母の家もチラッと見たが、老朽化でとても寝られる状態では無かった。

 だけど場所が変わっても、木の天井とか田舎特有の匂いとか、外の静けさは変わらない。
 昔、泊まった祖母の部屋を思い出す。

「……」

 家の中はシンと静まり返っている。皆はもう眠っているのだろう。

 気が付くと、あの時と同じ約束の時間。
 僕は布団から抜け出した。




 場所は不思議と覚えている。
 いや、思い出した。
 雑草に覆われている道を進むにつれて、この方角で間違いないと確信していく。

『ケイスケ! ケースケ!!』
『聞こえた? 真っ黒様が怒って、俺達を探しているんだ』

 次第に耳も思い出してくる。
 雑木林を掻き分けて走り、ガサガサと葉っぱが擦れる音。

 それからあの時、確かに何かが後ろに居た音。
 僕達を追って、必死に走ってくる足音。
 得体が知れず、酷く怖かった声。甲高くて、まるで人間の女の声だと思った。


――そうだった。だから真っ黒様は女だったと書いたんだ。


『ここで紐を持って、待ち伏せしよう。もうすぐ朝日が昇る。それを合図に、真っ黒様を池に落とそう』

 怖い反面、気持ちはこの上なく昂っていた。
 どんなアニメや映画より、自分が主人公になる瞬間が一番楽しい。

『離したらダメだよ』

 お兄さんが握っていたロープ。
 その反対側を、僕は汗が滲む手でぎゅっと強く握っていた。


『ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』



 ロープに何かが引っ掛かり、その引っ掛かった黒い塊は下へと転がり落ちていく。
 やがて遠くの方で、ボチャンと小さな音が聞こえた。

『やったー! やっつけた!』
『凄い凄い。君のお手柄だよ』

 下の方にある池を覗き込むが、真っ黒様は見つからない。

『うん、本当に……君のお手柄だよ。ありがとう』

 僕の隣でニヤニヤと笑うお兄さん。
 その笑い方が気持ち悪くて、その時ばかりは少し嫌だった記憶がある。



「……ここだ」

 昔より鬱蒼とした雑木林の奥に、開かれた場所を見つける。

 顔を出して下を覗くと、ここだけ崖のように高くなっている。
 その更に下に視線を遣ると、記憶と違わず池がある。

――俺はあの時、お兄さんと一緒に何を“退治”したのだろう。

 
 猪ではない。鹿でもない。
 本当に化け物? 
 真っ黒様は実在した?

「……」

 やがて、あの時と同じで朝日が昇る。
 暗かった風景が一瞬にして、色を取り戻していく。

 僕は身を乗り出して、もう一度、下の方にある池を覗き込む。


――そうだ。確か、あの時も。

 黒ではない。

 ピンクの服を着た太めの体が、ぷかりと。

 でも黒ではないから、僕達には関係無い――と。


「……え?」

 幻覚を見たのか、勿論、今の僕の目の前には何も無い。
 朝日に照らされて、キラキラと光る池しか見えない。

 そんな池も、よく見れば随分と濁っている。
 ヘドロでも沈んでいるのか汚い。昔はもっと綺麗だったはずなのに。

――本当に綺麗だったのか、古い記憶でそう思い込んでいるだけなのか。


「……」

 急に怖くなり、僕は来た道を急いで駆け戻った。

 目が冴えてしまい、結局寝直す事は出来なかった。
 そのままずっと起きていて、やっとリビングに出てきた伯父さんを捕まえる。

「ケースケくんかい? 頭は良かったんだろうが、変な子だったよ。ブツブツ独り言を言ったり、夜中に家から出ていったりして。
 体が強くないからさ、おっかさんはよく心配していてねぇ。そのおっかさんも、ちょっと乱暴な人だったかもしれんが、息子の事は本当に心配してたと思うよ。まぁ親の心子知らずと言った所かね。 
 おっかさんが死んだ時も、ケースケくんを探しに行っていた時みたいでさぁ……え? ケースケくんが何で死んだかって? 病気って聞いたが。
 おっかさんが死んで、体調が悪くなっても見つけるのが遅かったそうでねぇ……ん? 帰る? どうしたん、エライ急だね。ちょいと待ち、お母さんに連絡するからさ。あ、あとお土産があるから、それ持って――」






 逃げるように帰った地元で、僕は黒い姿を見るようになった。

 いつも一人。
 でも、たまに二人。

 それが何なのか僕には分からない。
 本当に真っ黒様なのか。
 僕の頭が勝手に作り出したものなのか、そうではないのか。

 ただ毎日毎日、見ない、見えない振りをして過ごしている。


――僕はあの時、何を“退治”してしまったのだろう。



                   殺シタ殺シタ
                          君ノオ手柄ダヨ



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