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十三、第七芸術劇場で「正義の行方」を観た。人間社会の不完全さを見せられた。

「正義」ってなんだ。
「真実」ってなんだ。

「『真実』ってなんだ」ってなんだ?っていう人がいるかもしれない。
「真実」は一つじゃないか、と。

もし、警察が冤罪を生んだと仮定するなら、それは新たな犯罪を生んでしまっていることだし、仮に「あいちゃん事件」だけに関わっていたとも仮定はできるし、警察がその事件に関して冤罪を生んでいた可能性もあるのだ。
この事件には、「真実」にも複数のパターンがある可能性があることを承知しておかなければならない。
(この映画は既に起きた事件のドキュメンタリー映画なので、ネタバレ云々をしない。)

それを踏まえて「正義」を問おう。
司法、警察、マスコミ、そして一般市民に。

ボクは個人的には警察にもある程度の共感を感じる。「現場のやり方」と言うのは恐らくどの業界にでもあるだろうし、特に警察など周りからの犯人を挙げないといけないというプレッシャーもあり、現場ではある程度犯人が分かっていても「手順を踏む」作業が事件を挙げる妨げになるケースもあるだろう。
被害者側の対応も警察に任せている手前、特に警察側自身の意識が犯人を挙げたいという意識は強いだろうし、勇み足もあろう。
そうなると検察や司法がやはり客観的な立場で判断するしかないのではないだろうか。そして何より、国が指針としてしっかりとした基準を設けて管理しておくべきではないだろうか。検査基準、レベルなど。
DNAの検査基準の話など何故権威があるからと言って一人の学者が偉そうに以前の検査方法ではダメだと言っているのだろうか。(後だしじゃんけんヤン)
これは地方で検査基準を採用する時点で異議を唱えるべき案件ではなかろうか。もし権威ある人なら。そして、そもそも国が、検察、司法がリードする案件ではないのだろうか。

確かに勇み足が過ぎる警察が陰で何か細工をしているかのように思えるかもしれないが、彼らこそ被害者に寄り添ってきて、それまで現場で生活し、現場のことを良く知っている者たちはずなのに。

この映画を観て思ったが、証言も大切だな、と。
何も一般市民が嘘や噂の類を言いふらしてる的な言い回しは一切なかったのだが、証言の大切さが人の人生を決めてしまいかねかいと思うといい加減なことは言えない。同時に被害者家族のことを考えると自分のなんて事のない証言がもしかしたら重要証言になるかもしれないと思うとそれも大事。
警察の人が「一目、0,何秒で見分けられるわけない」的なことを何回も言っていたが、時にはそんなこともある。

このドキュメンタリー映画は、とてもよくできている映画だと感心した。構成、編集、インタビューなど最近見たドキュメンタリー映画の中で一番素晴らしい。
その中で一番惜しかったのは、死刑囚となった本人の人間像が見られなかったことだ。
時間の問題もあるだろうが。
奥さんのインタビューから垣間見れるが、あくまで近しい人からの見解なので何とも言えない。

以上を踏まえて「正義」とは、
過剰な捜査を止める事?
とにかく犯人を挙げる事?
被害者家族に寄り添う事?
正しい報道をすること?
十分な証拠がないのに死刑にしない事?
自分には解答はできないし、自分だったらこのタイトルは付けない。
(じゃ、何て付けるん?)

こういう事件がある度思うのだが、もし彼が真犯人でなければ、本当の真犯人はどこぞでほくそ笑んでいるのだ。

「真実はどこに」よりまずは映画を観てみよう。


「正義の行方」は第七芸術劇場らしいチョイスだった。
これからもこのような渋いドキュメンタリー映画をチョイスして我々に観せてほしい。
以下にあるようにミニシアターでは廊下などでコーナーを作って作品紹介をしている。でかい映画館では見られない光景だ。制服着てポップコーンを売ったりするよりこうやって映画紹介でもすることをやってくれた方が映画ファンは嬉しいのだが。

ミニシアターらしい力の入れよう。

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