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等価交換を巡る人間の可能性
皆さんは等価交換という法則をご存知だろうか?漫画『鋼の錬金術師』にも出てくる法則で何かを得るには何かを対価として捨てなければならない。対価として払うものを得るものと同等の価値でなければならないというものである。しかし、自分はこう考えている。人間には様々な個性、才能があるが、これによって精神的、技術的なものに限定すれば、人間は等価交換の法則を擬似的に離脱することができる存在なのではないのかというが自分の意見である。
まずは、この理論を示す一つの例題を出そう。まずは二人の人間と二人の人間に一つの技術を教える人間を用意する。このままではわかりにくいので、教える人は便宜上、師匠、二人の人間をそれぞれA.Bと呼ぶことにする。そして、師匠はAとBの2人に技術を教え込む。ここでの技術が何なのかは読者の想像にお任せする。料理でも剣道でも何でもいい。二人は見事技術を会得するが、ここで問題。二人の人間が師匠に教えを受けたとしても、教えたことを習得し、どれだけ昇華できるかは個人差がある。もしかしたら、Aは教わった技術を1とすると、5になるまで昇華させているかもしれないが、Bは1を10になるまで昇華させているかもしれない。そういった素養、適性の差はある意味人間が等価交換を部分的にではあるが、破ることができる存在であることを証明している証拠ではないであろうか?
これはまだ仮説の段階だし、稚拙な部分もあるかもしれないが、もしこれが本当ならば人類が新たな進化を遂げる何らかの足がかりになるかもしれないし、個人的に興味がある内容なので、これからも考えていきたいと思う。
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