【コロナになって、やっと自分の体について考えた!】2024/02/10#062
今週はコロナになってしまい仕事をお休みした私。
高熱は一晩だけで病院でもらった風邪薬で鼻水も喉の痛みも良くなって、今は時々咳がでるくらいだ。
(味覚と臭覚はなくなったままだが、、、)
7回もコロナワクチンを接種しているのでコロナになってしまったのは不本意だが、回復は早いようだ。
(ワクチン接種でコロナにならないわけじゃないと分かっていても7回だから、もしかしたら、、、もうならないかと思っていた、、、アホ!)
しかし、会社からは最短出勤日は来週の火曜日と言われ、思わぬ長い休みがとれることになった。
そして、今回自分の体のことについて考えてみた。
これまで55年私と一緒に歳を重ねた体は、もう若い頃のような無理は効かなくなっている。
それなのに私は体の声を(違和感)無視していた。
平日の短い睡眠時間で昼間のパフォーマンスを落としているのに、週末に寝溜めすれば大丈夫と自分に言い聞かせていた。
体の痛みについてもそうだ。
デスクワークの私の職業病と腰痛や肩こりは気にしないようにしていたり。
健康のためにとしている運動で肩を痛めても2.3日したら治るぐらいの気持ちで運動を続け全然体を労ってこなかった。
今回コロナになってわかったことは、私が普段飲んでいる薬は(自己免疫性肝炎)炎症を抑えているので、肩の痛みもコロナの熱も抑えられてたってことで、薬を飲んでいなかったら、もっと痛かったり高熱が出たりしていたということだった。
薬で抑えられなくなって出てきた症状なのに、本当に何も考えていなかった。
これくらい大丈夫と自分の体を過信していたのだ。
コロナになる前、睡眠時間がまともに取れていなかったうえに、外出続きで疲れていた。無理をしたのだ。
この無理が私のいけないところで、自分の調子は考えず、あと少しだったら私が頑張ればいいと思ってしまうのだ。
この自己犠牲を良しとして55年生きてきたから、なかなかここから抜け出すのは難しい、、、
自己犠牲には自己肯定感の低さが関係していて、自己肯定感が低い私は、どれだけ自己犠牲しても満足感は得られない。
本当はもっとできるんじゃないか?
もっと頑張らなくちゃいけないんじゃないか!
もっと!もっと!と自分を追い込んでしまうのだ。
この考え方のクセには気づいているので変えていかなきゃと思っている。
ただ体を労ることは1番にやっていこうと思っていて、その1つというか、まずはこれだけは絶対と決めたのが睡眠時間の確保。
体を休めるためにちゃんと寝る。
睡眠をおろそかにしない。
これだけを守っていこうと思う。
時間のやりくりが難しくなっても、調整しながらずらしたり前倒ししたりして、時間を有効に使っていこうと決めた。
これ今更だけど今年の目標ね!
睡眠時間の確保のためにできる限りのことをする。
これが今回コロナになって考えたことでした。
本当なら、今日は小松亮太のバンドネオンコンサートに行く予定だったが、体調が万全でないので諦めた。
そう!もう無理はしないのです。
Spotifyで小松亮太のタンゴを聴いて体を労るのです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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