【読書録】フーコー『精神疾患とパーソナリティ』1

 また久々に読書録である。本当に、正味の読書録を書いていこう。今までは、気取り過ぎて、大変だった。

 フーコーの伝記を読んで、初めに出て来た本の、『精神疾患とパーソナリティ』を手に取った。実は、この本は、半ば来歴は知っていながら、ずいぶん前に購入して、七割方読んだ本だった。七割読んで、すっかり奥に仕舞われていた。が、伝記を読んだので、改めてバックボーンを知ることが出来たので、また味わいも変わるだろうと思って、ほとんど再読を行っている。
 また、この本が、次の著作である『狂気の歴史』に連なる流れも感じたいと思っていた。

 フーコー自身は、この本のことは抹消したいと考えていたらしい。自分の目録に含んでおらず、自分の最初の著書は、『狂気の歴史』であると、何度も強調していたらしい。
 これは、作家にありがちな、本来価値があると周りの人間には思えるけれども、自己嫌悪的な気持ちから今までの著作を葬りたいような情熱とは、違うもののように思う。
 読むと、確かに、フーコーが一番やりたいことがはじまったと感じるのが、『狂気の歴史』であり、『精神疾患とパーソナリティ』に関しては、一度の大きな書き直しを経て(そこで、『精神疾患と心理学』と題名まで変わった)内容を改めた、言いたいことのはっきりしている書物ではあるけれども、第一には、周りの医療系の研究の一環として書かれたという性質が大きい、おそらくだが、周りの研究者へ書くというニュアンスが強かった、それから、『狂気の歴史』から始まる、中世から現代への歴史的断絶の中に見る狂気の変遷、という非常に興味深いテーマに比べると、『精神疾患とパーソナリティ』は、それでも広いとはいえ、当時の精神分析、心理学の界隈というか一つの時代の平面上の言葉のみで形成されているという狭さはどうしてもあると思う。
 それから、人文的な、学者には嫌われた凝った物言いも、『狂気の歴史』から始まった。
『狂気の歴史』のフーコーは、歴史を表現する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?