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お腹で立つ人 背中で立つ人
「骨を身体に入れなさい」
「骨で支えられるようにしなさい」
構造動作トレーニングのペアワークでは
相手の重さを借りながら
骨って頑丈なんだよ
この頑丈な骨フレームで立つ方が、楽に動けるんだよ
そう、身体と脳に教えていく。
昨日の講座で私は
今までずっと お腹で立っていたことに気がついた。
お腹で立つ状態というのは
骨関節のかみ合わせがチグハグで、
骨が支え構造となるフレームになれていな
口では喋っていない その2
口では喋っていない
それが、達者な人と発展途上な人との違いだ。
達者な人は、口では喋っていないんだ。
口で喋ると重たくて、変化が自在につけられなくなる。
「お腹で喋っている感覚になる」と過去に書いたけど
今は、口の中が1階だとしたら
2階で喋っている感覚がする。
2階で喋ると、声も飛ぶし
重たい軛(くびき)が外れるから、
台詞のニュアンスを鋭くしたりソフトにしたり
自在に操れる気がする。
翻(ひるがえ)る台詞
今日、台詞が翻(ひるがえ)った。
翻るって、悪い意味で支えきれなくて裏返っちゃったって意味じゃないよ。
翻ったの。
翻って、台詞が活きの良いお魚になったの。
話は数日前にさかのぼる。
数日前、体幹内操法の先生は、身体の中を翻らせる
方法を教えてくださった。
(詳細は先生にお尋ねください)
私、自分では翻る動きできているつもりだったんだけど、全然できていなかったんだ。
身体の外側をパ
距骨(きょこつ)を舐めていた
どうにも身体のおさまりが悪いな
と、ひそかに感じていた。
それは、私が距骨を軽んじていたからだった。
距骨を通過しないで、重さを直接指先や踵にぶつけていたからだった。
距骨を通過しないと、足底の円から身体がはみ出てしまう。
距骨を通過すると、足底の円の中に身体が納まる。
距骨を通過させようとすると、脚が身体の真下で
整列する。
動作術のお稽古で教わる、中間重心
距骨に乗れば、ほぼ中間に
触れてはならない壁がある
(どうやったら、ああいう身体になるのかな?)
お稽古から帰宅した私は考えていた。
(何が違うのかな?先生の身体と私の身体)
ああかな?こうかな?と動かしていたら
私の身体は、前の壁にべったりくっついてしまっていることを発見した。
身体の前面の皮膚が壁だとするじゃないですか。
身体の肉が壁にムギュッて押しつけられているの。
のめっている時って、すごいムギュッってなってる。
ふと、別の
わからなさと出会わせてくれてありがとう
あんまり腹が立たなくなってきたんだ。
わからない事をおっしゃる先生や先輩に。
昔は根に持って怒ったり、
お稽古自体嫌になって、投げやりになったりしてたけど
でも、わからない事がわかりたくて彷徨っていたら
手を差しのべてくださる方々がいた。
その方々が、わからないのは、ここが欠けているからなんだよって種明かしをしてくださった。
そうしたら、闇雲な焦燥感や泥沼な徒労感が薄まってきた。
でき
箱になったり樽になったり
揺腕で、手の指先が通る軌跡が船底形を描く時
腕は柱時計の振り子みたい。
身体は真四角の箱みたい。
箱から突き出た振り子が揺れて
私は、直線で構成された世界にいる。
四角い箱な私の外側で、指先が曲線を描いている。
身体の外に円があり、身体の中は直線だらけなんだ。
揺腕で、手の指先が水平ラインを通るようにしようと
すると
箱から突き出た振り子の運動が違うものになる。
箱と振り子じゃなくて
シフォンケーキを卒業せよ
「何やらせるんですか〜っっっ!!」
心の中で叫んだよ。
「肘の下にあてがわれた木刀を軽く押してください」と先生に言われた時に。
だってさ、軽く押したら
グエーッとかギョエーッて感じになったんだもの。
内臓が攣るって思った。
私が猫だったらさ、あの瞬間
「はい木刀押して〜」って言った人を両手で縦に
引っ掻いてるわ。
多分、先生なら軽く避けてしまわれるだろうけど
(私が人だったことに感謝