punimaruko
急にいなくなった。 私という妹を残して。幸せにもなってないのに。 1度も。 いいお兄ちゃんだった。 最高のお兄ちゃんだった。人を、音楽を愛する人だった。 信頼と実績か。 なんだよ。それ。
これは、わたしの自己紹介でもある。 ・家族をテーマとしています。 ・亡くなった4歳年上の兄が自分が思っていたより大好きでした。 ・ショートヘアにしたら兄に似ていると言われたことがあります。 ・音楽が大好きです。・歌うことも大好きです。 ・トロンボーンを吹いていますが、フルートも吹いてみたいと考えています。(今はそれほど思ってません。音色は綺麗だなとは思います。) ・ライブが大好きです。中でもドリカムのライブが大好きです。 ・ラジオを聴くことが大好きです。好きなこ
私は、何事においても「知ること」は重要なことだと思っています。 こと楽器を演奏することに対しても、たくさんのことを知る機会が必要だとも思っています。 というか実際に体験する、ということ。とっても重要です。私は学校を卒業して何年も経った後に経験しましたが、それでも遅くはないと感じます。 自ら望んで選んだ、という訳ではなかったですが、経験すること(大事なことなので2回いいます、的なやつです)これに勝るものはありません。 トロンボーンだけに言えることでもないですが、是非、ソロ
ここ数年、私はトロンボーンを吹くことを日課にしてきました。 ここで、私自身が身についた練習法などをまとめておきたい、と思ったのでこのnoteに綴ります。 別のアカウントで?とも思ったのですが今までの記事も折角あるのでこのまま引き続きで綴ります。 改めて… 私はトロンボーンを中学で始めました。どうしてトロンボーンになったのかは以前記事にしています。 中学・高校で部活で懸命にやってきたり、その後も市民バンドでやってきてそれなりに演奏してきて、それなりに楽しくは吹いてきたけれど
ここのところ、大好きな楽器を吹いていない。 だけど見えてきたものがある。 私は、トロンボーンを通じて一人前になりたいと感じていた。 ところが、 ここ、というところで逃げてしまっている自分も見えた。 それはどういうことかというのもわかった。 家族の環境、という視点でみることができる。 父は一般常識というものがない。 例えばお彼岸にお墓参りやお萩を食べる、といったこと。 全くそういうものがない状態で育ってきた私。 父にお願いしてみた。 「お母さんの為にお萩買ってき
気づいたら、父と同じことをしていた。気づいたら、母と同じような症状だった。 抜け出したい、と何度も思っていたけど、それはならないのか。 繰り返すのか。人生は。家族は。
昔、私がトラブルを抱えていて、その時に兄に放った一言がある。 「もう死ぬしかない」 その一言に当時兄は 「俺はどうしたらいいんだ。」 その一言に私は行動をすることはなかった。 そして、それから数十年が経った今、また私は同じようなことを考えてしまっている。 本当にダメだ。 当時のように兄に吐き出す、ということはもうできない。 家族が欲しい、ただそれだけだったのに、 私は何をやっているのだ。 本当に馬鹿なことをしてしまっている。
クラシックの演奏会に行くことが多くなったここ数年。最初は「知るため」に行っていた。どんな事でも知ることは本当に大切で尊いものだと私は感じている。 そして、何回か聞く事でその都度発見していることに気づき、また勉強にもなっている。 指揮が変わるとその音楽も変わるということ。みる人からすると当たり前と言われたら当たり前なのかも知れないが、この当たり前ということを少し実感として理解できている自分がいた。 最初のうちは、自分が演奏する楽器、トロンボーンがどのような役割であるのかを知る
2月に入りました。バレンタインが近づいていますが、皆さんチョコはお好きでしょうか? 割と昔から家の冷蔵庫にはチョコがストックしてあって、それは未だに続いています。どんなチョコが好きなのか、ちょっと、チョコっと、あげてみようかなと思います。 まず一つは、言わずと知れたアルファベットチョコレート。40代の私が幼い頃からずっとあるチョコレートです。それこそ母とよく食べていた思い出のあるチョコです。1970年から販売開始だそうで、なんと53年の大ロングラン商品でした!すごいなぁ。
先週のことだった。日曜日、父から電話が来るも、タイミングで私が取れなかった。それからまたかかってくるのかな、と思いきやかかってこない。私はいつものようにお風呂に行こうと準備をして、父のもとに向かった。 すると、「行かない」という。と言うのも、先週の時点で、私が行けないといっていたため、今日は行かないものかと思っていたと言う。でも電話はかけている。しかも2回も。 目の前に迎えにきている娘がいると言うのにも関わらずだ。言った言わないでガタガタ言っているのだ。 おかしいことはこ
先日、兄の友達からこんな連絡をもらった。 寝てたらお兄ちゃんが夢に出てきて、カラオケを歌ってた。 私は久しぶりに兄に会えたような気がして嬉しかった。でも、同時に悲しい気持ちも同じくらいに溢れてきて思わず涙が溢れてきてしまうほど。 そこで、改めて父にも話してみようと思い、話してみた。 私がどんな気持ちで生活をしているか。昔感じていたことなどもこの際話してみようか、とも思っていた。 「夢には出てくる?」「お兄ちゃんの友達から夢に出てきた、って連絡があったの。」 「お父さんは
ご存知だろうか。群馬県には「みそパン」というご当地グルメがある。これは、甘辛の味噌ダレがたっぷりとついたパン状の食べ物、「焼きまんじゅう」から創作されたものである。 群馬県民にとってなくてはならない、といったら大袈裟かもしれない。ソウルフードのひとつである。食べると必ず口の周りに味噌がついてしまうのが唯一の難点だ。 それを解決しようと奮闘したのは、私の地元、沼田市にある「フリアン」というフランス菓子店だ。パンに味噌ダレをつけてしまおうと開発された。時々テレビ等メディアでとり
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ここのところ、唯一の家族、父親と話すことを心がけています。 というのも、これ以上にないくらい自分の心と向き合っています。 話すことで見えてきたことがたくさんありました。 自尊心というか、自己肯定感がない理由も家庭環境にもよるのかな、ということを感じています。 自分に大きな傷があることは分かっていたのですが、父にもまた大きな傷があることに気づきました。どうしたら癒えるのか、模索中です。 やっぱり家族、大事だなと思います。 80歳が近づく父親は一人暮らしをしています。 なん
私が高校の頃の時の話である。2年だか3年だったと思う。 体育の授業でテニスをやった。 部活動も割と盛んな高校なので設備もたくさんあった。 体育の先生にはあだ名がついていて、「マムシ」さんと呼ばれていた。 略して、というわけではないが、マムさんと呼んでいた。サッカー部の顧問だった。 TBSRADIOでお馴染みの毒蝮三太夫さんの話ではない。 こちらのマムさんもまだまだ元気でいて欲しいおひとりである。 その先生が、テニスの「授業」で、サーブをした。 おおー( ง ˙o˙ )ว
コロナ禍になって、配信アプリを利用し始めた。 ツイキャスをはじめ、今ではInstagramでもアカウントがあれば誰でもライブ配信ができるようになった。 ご存知だろうか。配信に特化したアプリも今はたくさん登場している。 日本全国津々浦々、はたまた台湾や香港、アメリカやカナダ、ドイツやウィーンなど、世界各地にユーザーさんがいて、スマホやタブレットを通じて簡単に世界を知ることができる。 すごい世の中になってしまった。 きっかけは、Twitterで、あるプロトロンボーン奏者の方か
1年1度のスペシャルディ。バレンタインの日がやって来ました。 みなさんいかがお過ごしでしょうか? ほら。名曲ですからね。 カバーされるわけですよ。でも私はおニャン子世代なので、元祖、国生さゆりさんが歌ってた方がでてくるわけですよ。 Oh,ダーリン ドゥーワ ドゥーワ Oh,ベイビー LOVE ME DO🎵、ですよ。 秋元康先生はごいすーですよ。 そんな今日は、前もって買っておいたロイズの生チョコを1人でつまんでやりました(´・ω・`) 美味しいですよねぇ、ロイズ。 私が