目線
クラシックの演奏会に行くことが多くなったここ数年。最初は「知るため」に行っていた。どんな事でも知ることは本当に大切で尊いものだと私は感じている。
そして、何回か聞く事でその都度発見していることに気づき、また勉強にもなっている。
指揮が変わるとその音楽も変わるということ。みる人からすると当たり前と言われたら当たり前なのかも知れないが、この当たり前ということを少し実感として理解できている自分がいた。
最初のうちは、自分が演奏する楽器、トロンボーンがどのような役割であるのかを知るためにしっかりとみていた。
楽器が持つ独特のハーモニーが曲の中でエッセンスとなっていたのがわかった。
それは、私を心地よくさせた。なんとも言えない包み込まれているようなといったらいいだろうか。安心感もあった。
これは私の想像になるのだが、演奏者にも安心感は伝わっているのではと思う。
安心感を持ったハーモニーから、金管独自のファンファーレを思わせるものもあった。
オーケストラにおけるフォルテもまた、響きが豊かであり心を満たしてくれるものであることがわかった。
実際に、私自身もフォルテの所を「幅広く」と解釈するように指導されたことがある。
自分の思い通りに出せた音に時々ハッとすることが度々あったりして、オーケストラをみていて自分で吸収しているなと感じる瞬間があった。きっとそれは伝えたい人には伝わっていたのだと思っている。
そして、オーケストラにはコンチェルト、協奏曲というものがある。
協奏曲とは、ソロの楽器とオーケストラの共演といったらいいだろうか。ポップスでいうところのフィーチャリングに似た感じ、といったら想像がつくだろうか。
コンチェルトを演奏し終わった後、ソリストはアンコールとして一曲演奏することがある。(もちろんない時もある)
ソリストは、その時の気分などでアンコールを演奏している。
この時、オーケストラ全体、舞台袖にいるスタッフ、もちろん客席にいる人もとよりその会場にいる全員が一人の演奏に注目することになる。
オーケストラと観客とが同じ目線になっているのだ。その時のマエストロも同時にその場の「観客」になっている。通常、舞台袖にいる事が多いが時々、ステージ上でどこか空いているところ、はたまたオーケストラの団員とともに一緒に聞いている、という場面にも遭遇することがある。なかなかない貴重な時間である。
指揮者、演奏者それぞれにその時の奏者の音楽から伝えたいことを表現している。表現すること、プロアマチュア問わずにできることは諦めずにしていきたいところだ。
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