見出し画像

500円

先週のことだった。日曜日、父から電話が来るも、タイミングで私が取れなかった。それからまたかかってくるのかな、と思いきやかかってこない。私はいつものようにお風呂に行こうと準備をして、父のもとに向かった。

すると、「行かない」という。と言うのも、先週の時点で、私が行けないといっていたため、今日は行かないものかと思っていたと言う。でも電話はかけている。しかも2回も。
目の前に迎えにきている娘がいると言うのにも関わらずだ。言った言わないでガタガタ言っているのだ。

おかしいことはこれだけではなかった。
そこで私は、お線香だけでもあげにお寺に行こうとその前の週からも何度も何度も言っていた。しかし、それに対しても「後でいい」と言うのだ。
私は聞いてみた。「後、っていつに行くの?」「来週で」と言う。

仕方がないので私自身もお風呂セットは持っていたので、そのままいつものお風呂に行き、いつもの中華屋さんでお昼を食べた。これをいいことに私は思う存分のメニューをぺろりと平らげていた。いつもより美味しく感じたのは気のせいではなかったのかも知れない。私は父に餃子のお土産を持って行った。父に伝えるために。

そして次の週の日曜日。電話がいつものように鳴った。「今日も行けねぇんか」ちょっと言葉が変わった。私は億劫になっていたのを思い切り動いて準備をし、父のところに出かけた。いつもだと10時には到着できるはずだったのだけど、15分くらい遅れてしまった。父を連れてくると早く出ようと意識するので入った気が若干薄れる。

いつもの中華屋さんに行くと、開店とほぼ同時に店に案内された。この日はカウンターに案内された。父はカウンターがお気に入りだったりするのでウキウキして座る。するとそのタイミングに、「この間の餃子の分やっとかぁ。」と言って500円を差し出した。一気に引いている自分がいた。私はなんなんだ、と思う。思われていない、と言った方がいいだろうか。仮にそういう気持ちがあるならば、迎えにきた車の中、とか、お風呂から上がってその後、とかタイミングはあったはずだ。
そして、いつものように父は中華屋さんのスタッフさんに馴れ馴れしく話しかけて、私には一切見向きもせず、という感じであった。お寺に行くことも一切なく。あれだけ年末から話しているのに。

父は昔から家族とはコミュニケーションを取ろうとはしない人だった。
「話してもつまらないから」と父は言うのだ。
それでも質問しようと兄が亡くなってからここ数年は努力をするようにしていた。
「何もない」から始まっているので聞くと発見があったりする。でもそれが自分にとってよかったことには繋がらないことが多かったりしてショックだった。
するとだんだん「無」になってきている。何をどう伝えたら響くのかもわからないので無になっているのかも知れない。何を言っても変わることはないのだ。

父を見ていると、兄は本当に苦労していたんだな、と想像ができる。少し見えた感じがある。その中で私はどう生きていくのか、生きていけるのか、疑問を感じる。
大丈夫なのか、私の人生。

何かいいものを食べます。生きます。