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サボリーマンの煩悩

かつてバリバリの営業会社で働いていた自分は、大きく分けて3種類の営業を経験したのですが、電器店にコーナーを設けての店舗内営業はまあまあ綺麗なクソみたいなもので、テレアポはギリ見られるクソみたいなもので、法人向けの固定電話回線の営業は放送禁止のクソみたいなものでした。

が、一般の家にピンポンを押しまくって回る訪問営業だけは、クソではなく消しゴムの割れた部分くらいのレベルの成績を残せていました。

面と向かって話すわけではないテレアポや、向こうも仕事用の顔をしているから表面的にはみんな穏やかな法人向けの営業よりも、どういうわけかいちばんリスクが高そうな(というか実際に高い)訪問営業が向いていた(かもしれない)というのは、自分でも意外です。でもまあ、環境が良かったのでしょう。

当時の1日のスケジュールは、まず京都市内の会社のビルに出社。そこで朝礼を済ませ、電車に乗って滋賀県へと向かう。

あとは基本的には各自で個人行動。事前に地図で訪問する地域の目星を付け、駅前の駐輪場に停めてある自転車に飛び乗り、そこから大津市内の皆様の御宅にひたすらピンポンを押していきます。

そしてインターネットの光回線の案内をするのです。まあ、嫌がられます。訝しがられます。怒鳴られます。説教されます。シンプルに死ねと言われます。悪霊退散という言葉をリアルに叫ばれます。非常に心が折れそうになります。というか折れます。

そんな折りにはどうするのかというと、適当なコンビニに入って漫画雑誌を立ち読みする、適当なカフェに入ってとりあえずコーヒーを飲む、路肩に自転車を停めて天を仰いでただただぼんやりする、などです。要するにサボりですが、このサボりタイムの存在は、自分にとって重要でした。

個人行動なので自分のペースで休憩が取れたのですが、会社内で上司に目を付けられた状態でひたすら営業をかけるテレアポと違って、リラックスタイムを自分で作れたのです。

このリラックスタイム後に契約が取れることが多く、というかほとんどがそのパターンで、いつも夕方4時以降になって本気を出すスロースターター営業マンでした。

なので、そのうちに、どうせ夕方にならないと本気が出ないのだから、それまではリラックスタイムで行こうという甘えが生まれてきました。

だんだん大津市内の地理にも慣れてきて、どこにどんなカフェがあるだとか、ちょっと暇潰しできそうなリサイクルショップだとか、誰も通らない静かなトンネルとか、マイお気に入りサボりスポットを何点か見つけていたので、数件のお宅にピンポンしてダメだったらすぐにそこに行く。

だいたい堅田かたたというところを中心に回ってきたのですが、ついぞリストも尽きてきて、一度うかがって断られた家に再度ピンポンしてしまい、2〜3歳は下であったろう学生に「疲れてますか?」と本気で心配される始末。

埒が明かないまま、自転車をただひたすらに走らせると、いつの間にか雄琴おごとという場所にいました。温泉があることで有名ですが、駅前の住宅地の発展が目覚ましく、新築の一軒家がたくさん建ち並んでいました。

ほとんどが家族でお住まいのようなので、学生をメインターゲットにしていたうちの部署のリストからは外れていたのですが、もはや背に腹を変えるわけにはいかず、というよりも、どーせ取れねーからどーでもえーわという気分でフラフラしました。

真昼間なので、多くの家は外出中。そういう場合は、地図に「留」とサインし、後ほどまたピンポンします。しばらく訪問を続け、「留」がある程度は溜まったので、これを夕方にまたやればいいということにして、とりあえずなんとなく琵琶湖を見ようと、おごと温泉駅前から続く坂道を降下していきました。

やがて558線という広い道路に差し掛かり、自転車を押しながら、琵琶湖が見えたり見えなかったりする景色を眺めることしきり。

飲食店がぽつぽつと見えたので、ラーメンでも食ってやろうかと思っていたところ、とある曲がり角で、屈強そうなな男性が立っているのに出くわしました。

上から下までピッチリと黒っぽい制服で決めており、一見すると警備員っぽいのですが、一般道の曲がり角、それも人通りのかなり少ない曲がり角に警備員を配置する理由がよくわからない。ちょっと観察してみると、その曲がり角にはたまに車が入っていて、男性はその車を奥の方へと誘導していきます。

奥に何かあるのだろうか、と、曲がり角の向こうを見渡してみると、洋風のホテルっぽい建物がたくさん並んでいました。ここで初めて気がついたのですが、人通りの少ない道、外装がオシャレなホテル……。

前述のように、雄琴は温泉地であり、近年は住宅地の発展が目覚ましい場所なのですが、琵琶湖の周辺の一角は歴史ある歓楽街なのです。

雄琴に温泉があることを約1200年前に発見したのは最澄さいちょう上人であり、雄琴に風俗店の営業許可地があることを約50年前に発見したのは田守世四郎という人らしく、雄琴の曲がり角の向こうが歓楽街であることを約10年前に発見したのは営業サボりのぷらーなだったのでした。

で、その後どうしたのかというと、たまに住宅をピンポンしながら、右往左往していました。いやさすがに勤務中にそれはいくらなんでもダメだろう、ラーメン屋に行くくらいならともかく、それはサボりの域を超えているだろうと……。

そういう考えが逡巡し、結局、雄琴では全く契約が取れず、こんな煩悩だらけの頭では仕事にならんと、例の曲がり角を超速で引き返し、おごと温泉駅前のトンネルで念仏を唱えました。

結局、雄琴では1件も契約が取れず、失意のまま見上げた比叡山ひえいざんはとても美しかったです。もしリラックスタイムをあそこで過ごしていれば、契約が取れたのだろうか。比叡山は答えてくれなかった。


サウナはたのしい。