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[0=∞=1]について

『宇宙一美しい奇跡の数式0=∞=1』という本を読みましたか? 2016月12月に発売されたようなのですが、 私は、最近になって、読みました(汗)。 で、なんと、 そこに書かれている「0=∞=1」というのは、 根底的に、 〔自分1〕=〔自分2〕=・・・ と同じなのだと、直観しました。 この本を読んだ人からは、 「いや、全然違うと思うよ」 と言われるかもしれません。 でも、私としては、 「0=∞=1」が、 非常によく分かるのです。 どういうめぐりあわせで、この本と出合っ

    • 「実体験」の補足

      私(真州斎・代理人)の実体験を書いたわけですが、 少しばかり補足しておかなくてはなりません。 嫌な上司に対し、行動を起こした。 そしたら、奇跡のようなことが起こった――という話でしたよね。 で、その奇跡がどういうことかと言えば、 配置転換があって、 その職場を去ることになった。 そして、その上司ともオサラバ。 ということを書いたわけです。 でも、配置転換という説明だけでは、 不十分でしたね。 なぜなら、 配置転換には、“左遷”も含まれるから。 嫌な上司がいて、 その上司

      • 行動は、なぜ現実を変えるのか (私の実体験から)

        私に起こった実際の体験結果を書いたのだけれど、 「ふーん、そうかい。それはよかったね」 程度に思っている人、多いのではないでしょうか。 以前の私がそうでしたよ(汗)。 悩みもがいていた頃に、 いろいろと体験談を聞きました。 もちろん、成功談も含めて。 でもね、成功談を聞いたところで、 「なーんだ、自慢話じゃあないか。  そりゃあ、あなたには、いい結果が出たかもしれませんよ。  ええ、ええ、よかったですね(←皮肉っぽく)。  でも、それが私にも起こるって保証はなんですよ

        • 行動を起こした結果どうなったか・・・(私の実体験)

          嫌な上司、いびり続ける上司に対し、 行動を起こした――。 その結果、何が起こったかというと、 上司は、段々におとなしくなってきましたね。 以前のような居丈高な姿勢がなくなりました。 そうこうしているうちに、 劇的な変化が起こったのです。 何と配置転換があって、 その職場を去ることになったのです。 当然、その上司ともオサラバです。 「嘘でしょう?」 いいえ、本当の話です。 事実、私に起こった話です。 真州斎老師からのメッセージによると、 私に起こった、このようなことは

        [0=∞=1]について

          いざ行動を起こしてみると・・・(私の実体験)

          とにかく行動すること。 「安全第一」とばかりに、 じっとしていても、 黙りこくっていても、 何も解決しない。 分かっちゃいるけど、どうにもならない。 そうですよね。 人生長いことやっていると、 いろいろな局面に遭遇しました。 人間関係で言うと、 嫌な上司に恵まれた(?)ことも、再三再四。 今にして思うと、 人生がポンと変わったのは、 嫌な上司に対して、ある行動を起こしてからのように思います。 何かの参考になればよろしいのですが・・・。 その嫌な上司は、 ことある

          いざ行動を起こしてみると・・・(私の実体験)

          行動すること

          確かに、安全第一主義に陥っているかもしれない――と感じた人。 安全第一主義の殻を破らなければならないと思った人。 安全第一主義から脱出したいと自覚した人。 素晴らしいです! きっとすばらしい未来が開けますよ! 新しい自分が出てきますよ! どうしてそんなことが言えるかといえば、 真州斎老師のメッセージで、 繰り返し伝えられているコトだからです。 真州斎老師のメッセージでは、 行動することの大切さが幾度となく登場します。 それで、 私(真州斎・代理人)も、 行動することを心

          行動すること

          「安全第一主義」になっていませんか?

          世の中には、 「安全第一主義」に固執しているような人がいます。 確かに「安全第一」を心がけてさえいれば、 平穏な生活が送れそうな気がします。 しかし、皮肉なことに、 人間関係に悩む人というのは、 この「安全第一主義」が妨げになっていることが多いようなのです。 安全第一主義というのは、 堅実で、 しっかりしているように見えます。 ヘタに動くと恥をかきそうだ→だから、やらない 失敗すると、何か言われるかもしれない→だから、やらない 何か発言すると、反対され、自分が傷つくか

          「安全第一主義」になっていませんか?

          虚構の自尊心

          「自分」というのは、 偉大なる存在です。 だから、 自尊心を持つというのは当然のことです。 でも、 「自尊心が傷ついた」 「プライドが損なわれた」 といったことが言われます。 私(真州斎・代理人)も、 「恥をかいた」 「みっともない思いをした」 「自尊心がボロボロになった」 なんて経験は、 いやというほど体験していますよ。 でもね。 真州斎老師のメッセージによると、 「自尊心は本来、傷つくようなことはない」とのこと。 じゃあ、 私たちが大切にしている“自尊心”って一

          虚構の自尊心

          人間関係を好転させる

          自分も素晴らしい 他人も素晴らしい というのは、 「他人へのおもいやり」などという、 生易しいものではありません。 ものすごい威力を持っているのです。 もし、周辺にいやな人がいたとして、 その人のことを本気で、 「私とおなじように素晴らしい」 と思ってみてください。 きっと、 人間関係が、 好転するはずです。 どうしてそうなるかというと、 人間は、誰だって、 「認められたい」と思っているからです。 他人から認められれば悪い気はしないからです。 相手に対して、 「この人

          人間関係を好転させる

          自分も素晴らしい 他人も素晴らしい

          「流されない自分」になるというのは、 適切な指導を受けたり、 適切なアドバイスを受けたりすれば それほど難しいことではないのです。 むしろ難しいのは、 「流されない自分」になり、 自信がついてからです。 自信をつけてからの振る舞いが重要なのです。 自分の素晴らしさに気付くと、 ときに、自信過剰になったりします。 いつの間にか、 〔自分5〕さんになってしまうのですよ。 だから、 今のうちから、 忠告しておきます。 自信がついてきたら、 次のことに注意してください。

          自分も素晴らしい 他人も素晴らしい

          流されない自分

          何が起こっても、 流されないようにするには、 どうしたらいいのでしょうか。 いくつものやり方がありますが、 とにかく、 「自分は、素晴らしい存在なのだ」 と自覚することです。 『そんなこと言ったって、 自分には、良いところなんて全然ない』―― そう思う人が多いようです。 そういう人は、 自分を見る“目”を、 自分で曇らせてしまっていると言えます。 自分のどこが素晴らしいか―― 気付く機会、発見する機会は、 これまでに何回も訪れているはずです。 でも、そういう機会が訪

          流されない自分

          何かのはずみで変わる人間関係

          さて、人間関係で悩む人の多くは、 〔自分5〕タイプ予備軍と 〔自分4〕〔自分6〕タイプ予備軍の 中間あたりに位置づけられるようです。 こうした人たちは、 常に流動的です。 流動的と言っても、 〔自分4〕〔自分6〕タイプ予備軍と違って、 フラフラしているわけではないのです。 一見、普通に生活していて、 人間関係もそれなりにうまく行っているのです。 ところが、何かの拍子に、 〔自分5〕タイプ予備軍になったり、 〔自分4〕〔自分6〕タイプ予備軍になったりするのですね。 例

          何かのはずみで変わる人間関係

          フラフラしている人

          今回は、〔自分4〕〔自分6〕タイプ予備軍についてです。 〔自分4〕〔自分6〕タイプの人というのは、 〔自分〕としての自覚が足りないために、 ついつい〔自分5〕さんのような人の言うなりになってしまうのでした。 〔自分4〕〔自分6〕タイプ予備軍というのは、 〔自分4〕さんや〔自分6〕さんほど極端ではないものの、 やはり〔自分〕としての自覚が不十分だといえます。 そのため、自信が持てずにフラフラしています。 ちょっとしたきっかけで悪の道に引きづり込まれる――。 あるいは、

          フラフラしている人

          操り願望の人

          純粋な〔自分5〕タイプ、 あるいは、 純粋な〔自分4〕〔自分6〕といったタイプの人は、 極めて少数かと思われます。 でも、〔自分5〕タイプ予備軍、 あるいは、〔自分4〕・〔自分6〕タイプ予備軍といった人は多いようです。 そして、そういう人が 人間関係での悩みをかかえることにもなっているようなのです・・・。 今回は、〔自分5〕タイプ予備軍について――。 〔自分5〕タイプ予備軍の人というのは、 他人を意のままに操れるわけではない。 けれども、 『他人を思い通りに動かしたい』

          操り願望の人

          操られてしまう人

          前回、 傍若無人タイプの〔自分5〕さんが、 〔自分4〕さんと〔自分6〕さんという人物を操っている というケースを扱いました。 今回は、〔自分5〕さんに操られている側の、 〔自分4〕さんと〔自分6〕さんに注目してみたいと思います。 〔自分4〕さんにしても、 〔自分6〕さんにしても、 もともとは、〔自分〕です。 「自分1」=他人=「自分2」=「自分3」=「自分4」 を思い起こしてください。 となれば、〔自分4〕さんも〔自分6〕さんも、 「果てしもない偉大な存在」であるはず

          操られてしまう人

          意のままに他人を操れる人

          何でも自分の思うとおりにしたい。 けれども、思い通りになんかならなくても当然。 ということを、前回、書きました。 でもでも――ですよ。 わがもの顔でふるまっている人っているじゃあないですか。 ごり押しが横行しているじゃあないですか。 そんな風に思う人もいることでしょう。 そこのけ、そこのけ的な人物をみていると、 「思うが儘に人を操っている人がいるのではないか」 という気持ちにもなってきますよね。 それぞれの〔自分〕さんが、 勝手気ままで動いているはずなのに、 どう

          意のままに他人を操れる人