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セカンドライフは知識をつける喜びを感じる毎日

大人になってから身に付けた知識によって喜びを感じることが多くなりました。

今日は、「金融リテラシー」と「英語」と「音楽」の3つの知識により、豊かなセカンドライフを過ごすことができている私の事例を書いてみます。


ひとつめ:金融リテラシー

お金持ちになりたいと漠然とした要望を持っていました。お金持ちになって何をするのか明確なビジョンはありませんでした。ぼんやりとした憧れです。

値段を気にしないで洋服を買ったり、ご飯を食べたり、好きな場所に旅行に行けるのがお金持ちだと思っていたので、そのために金融の勉強しました。

まこさんnoteには、無料マガジンとしてのお金の話にまつわる「投資についてのお話し」記事が既に80本もあります。

金融リテラシーを勉強している意識より、すで趣味と化しています。そして趣味が講じて現在は金融勉強会の講師や家計相談アドバイザーまで勤めています。

金融リテラシーがついたことで、自分の資産形成ができただけでなく、そこから付随する多くの投資仲間もでき、豊かな人生に貢献できた事は間違いのない事実です。FIREするための必須知識です。


ふたつめ:英会話

私が本格的に英語を勉強し始めたのは48歳の時。こんな年齢になって初めてセブ島留学を経験しました。

外資系の会社に勤めていたので、英語に触れる事はそれ以前から度々ありました。信じれないことに、英語が話せないのに海外出張もかなりの回数を上司指示のものと実施していました。

これだけ聞くと、もともとある程度は英語しゃべれたと思われる方も多いと思うのですが、本当に聞き取れないし、本当にしゃべれない状態でした。

自分への言い訳ですが、英語を勉強しなかった大きな2つの背景が過去にありました。

英語は話せなくても大丈夫と信じていた背景1

中学校の英語の先生と遠足に行った時、先生が外国人に話しかけられて何も聞き取れず、何も喋ることができなかったシーンを見た時です。

その英語の先生は、「俺は英語を教えるけど、英語を喋る事ができるわけじゃないんだ」と強い口調で私たち中学生に話しました。

純粋だった中学生の私は、
「テストで英語の点数が取れるだけ受験はできる。しゃべれる事は英語の先生にもできないんだから、私なんか英語をしゃべることなんかできなくていいんだ。」
と、トンデモない確固たる信念が根付きました。

英語は話せなくても大丈夫と信じていた背景2

2つ目のエピソードは、外資系製薬会社勤務で、海外出張に行ったとのことです。英語が喋れないと、外国での仕事はできないと思っていたのに、思いのほかできてしまったんです。

さらに追い打ちをかけたことは、
上司は英語ネイティブのマーケターを複数人入社させました。残念ながらその社員たちは英語が話せるだけで、仕事のできない人でした。

海外業務に携わった時の話です。
そのマーケター達と、日本語のみの私を含めた複数社員と、上司が一緒に仕事しました。

日本へ帰ってきてから、上司が私に話したコメントは、「英語がしゃべれるだけで、仕事のできない人間は、外国行ってもやはり仕事ができなかった。だからクビにする。日本語しかしゃべれないお前らのほうが使える。」

と、褒められてるとは思いにく賛辞をいただきました。
そして、その後の海外出張も日本語しかしゃべれない私たちが派遣されました。

外国での仕事も日本語だけで何とかなるんだと、根拠のない自信がつきました。


勉強したくなかっただけ

・英語の先生が英語が喋れないこと。
・外国での仕事も日本語だけで何とかなること。

この2つのエピソードによって、英語は勉強しませんでした。単純に、言い訳なんですよね、これって。

本当は話せる方がいいに決まっているのに、適当な理由をつけて逃げ回っていたにだけなんです。

なぜ、英語の勉強を始めたのか?

48歳の年齢の時に、英語の勉強を始めた理由は、上司が外国人になったことです。さすがに同じオフィスで顔を合わせるのでコミニケーションの必要性を感じたからです。

学生の時から海外留学って響きに憧れていました。良い機会だと思いセブ島英語短期留学を実施してみたんです。

今では、セブ島へは20回?くらい訪問しています。英語が話せることで、フィリピン人はもちろん、世界中の友人を作ることができました。

セカンドライフを豊かに過ごす上で、英語力は欠かせないものとなりました。


みっつめ:音楽

音楽って学問だったんですね。小学校か中学校の時、音楽の授業があって、4分音符、8分音符とか、ハ長調とか、ト音記号とか、習ったのはなんとなく記憶しています。

楽譜の読み方や音楽理論を当時音楽教師が教えてくれたはずですが、何も身に付いていません。

それが40代になって、たまたまもらったアコースティックギターによって一気に音楽という学問に目覚めました。

音って、理論的に成り立ってたんだと気づいて感動しました。勉強する喜びって、毎日聞いているJ-POPからも学べることを知りました。

音楽が理解できることで、人生が楽しくなったんです。

YouTubeから流行りの音楽を聴くことはBGMで、気持ちいい好きな音楽を聞き流しているものだと思っていました。

それが音楽理論が付加された途端、作曲されている音に耳が向くようになったんです。知識って面白いですね。

最近までドレミしか知らなかったんです。ド・ミ・ソと3つの音でできている和音をCコードと呼ぶことを知りました。

3つの音、4つの音からできるコード知識や、度数として表現したり、明るい音をメジャーと言ったり、暗めの音をマイナーと言ったり。

8ビート、16ビートとか音楽用語だったことに気づいたり。

そんな知識がアコースティックギターを弾きながら、どんどん知識習得ができました。

音楽が理解できるようになると、新しいJ-POPを聞いてたり、小さこと流行ったアイドルの曲を聞いたり、音楽理論的にこんなふうに音が組み上がってるんだとかわかって、毎日の生活がどんどん楽しくなりました。

カラオケに行って、キーが高いから下げるっていうのをカラオケマシンでシャープやフラットを押していたことの意味が、今になって理解できるようになりました。


人はなぜ勉強しないのだろう?

多くの人は、勉強をしたがりません。それは必要がないから勉強しないのかと思っていました。

多分、半分が合っていて、半分は違ってる気がします。

合っている部分は、勉強しなくても生きていけるから必要ないんです。

間違っている部分は、本当は必要なのに、知識を得て楽しようとせず、苦労する道を選択している愚か者たち。だから、なりたい自分には絶対になれない事でしょう。

目の前にやり方を教えてくれる人もいて、努力さえすれば、身に付く情報はたくさんある日本です。

そんな恵まれた環境なのに、成長の機会を自ら放棄している人たちがあまりにも多いことに驚きます。

◇   ◇   ◇

私は楽しく、豊かな生活をしていたい。そのためには、知識習得も努力には労力を感じません。

その行動しているプロセス自体が楽しくて、生きている喜びと感じています。

セカンドライフって、毎日たくさんの気づきがあって楽しいです。

早く、会社辞めて、みんなセカンドライフ始めようよ〜!


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フィリピン、セブ島のNPO法人DaredemoHeroへ寄付します。 私の人生に大きな転機となった団体で、里親支援を続けています。 子どもたちの大学卒業までの学費支援等、教育資金に活用させていただきます。 ホームページ→ https://daredemohero.com