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弥助/ロックリー

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DEIイデオロギーで「弥助」を捏造したトーマス・ロックリー
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トーマス・ロックリー「弥助の驚くべき物語は、史実を越えてフィクションの世界でより一層輝いている」

動画で紹介されている『つなぐ世界史 2 近世』は「授業などでも補助教材として使いやすいように」というコンセプトの歴史教育書(㊟教科書ではない)で、第1章「16世紀の世界」の一部をトーマス・ロックリーが執筆している。 仕掛け人が客観を装って書いていたと分かって読むと、じわじわくるものがある。 ロックリーが日本史の捏造、revisionに手を染めた動機だが、最初は「ヒーローの多様性を求めるムーブメント」に参加することで「世界中の人々に生きる力・勇気を与えられるから」というある

ロックリーとブラウニーポイント

このトーマス・ロックリーの動機の推測はほぼ確実に当たっている。なお、ブラウニーポイントとは「善行(社会正義の実践)によって周囲や社会から得られる評価点」のこと。 「物議を醸しているインタビュー」の一例👇。インタビュアーの黒人が喜ぶような出鱈目な内容を話している。 👇も同様の分析をしている。 一方、東京大学卒の経済学者はロックリーの動機を全く理解できておらず、完全に的外れなことを書いている。「ロックリー氏を日本の味方につけることができる」などバカとしか言いようがない。

ペテン師ロックリーに騙された立花隆と外人達

立花隆の『信長と弥助』書評 経済学者による的外れな「総括」では、ロックリーを擁護するために立花隆を「権威」として持ち出している。 👇が立花隆が絶賛したとされる書評だが、「絶賛」というのは大袈裟で、しかもロックリーのWikipedia編集に引っ掛かっていたことも見て取れる。 立花がロックリーを肯定的に評価した根拠の一つはWikepediaだが、それをロックリーが編集していたことを考察に入れていない時点で、田中の総括は問題外と言える。 「弥助伝説」を信じたい外人達 『

トーマス・ロックリーの日本文化・歴史理解の怪しさ

トーマス・ロックリー(木下ロックリー トーマス)の『YASUKE』(US版は『AFRICAN SAMURAI』)は弥助に関する自分の創作以外にも、上杉謙信は便所下に潜んだ忍者に肛門から胃まで突き通されて死んだ説や、明智光秀の徳川家康饗応事件、大祝鶴姫等々の創作がてんこ盛りで"True Story"からは程遠い内容だが、それ以前の話として、ロックリーの日本文化・歴史理解が怪しいことを示す点が見つかるので、ここでは二点を示す。 一点目は、『くろ助』の著者の来栖良夫を女(she/

弥助問題~平和ボケを寛容と履き違える日本人

これまでに書いたことの再整理。 これら👇のコメントに「弥助が主人公でも構わない」というものが多くあるのを見ると、事の本質を理解できない日本人の平和ボケぶりに暗澹たる気分になる。「日本が黒人を奴隷にしていた」で騒いでいる人が多いようだが、本来の争点はそこではなく、「ナンバーワンのサムライ、侍の中の侍は日本人ではなく黒人」だという歴史修正、日本のnational prideの剥奪である。 「Assassin's Creed Shadowsがフィクションだと明示するのであれば『

ロックリーと日本の協力者の目的

東京大学准教授の一連のポストは、ロックリーに協力して弥助をBlack Prideのアイコンに仕立て上げようとするDEIのリベラル勢力が日本のアカデミアにいたことを示している。彼らはDEIのイデオロギーに沿うように歴史を修正することが正しいと心の底から信じており、鳩山元首相のように「侍文化は日本人だけのものではない(⇒黒人のものでもある)」と世界中に知らしめようとしているわけである。 ちなみに、ロックリーの著書や様々なインタビューで海外に広まっている「真実の弥助像」は、 『

弥助問題は知的財産権の問題

またまた弥助問題について。 👇は英語版の本編の最後だが、「冷静な距離感を保っているとは言い難い」ことが伝わってくるだろう。 この👇見解には同意。 国家主導にならざるを得ないのは、文化・歴史は民族共有の知的財産なので、その権利侵害に対処する主体は民族共同体の権利主体である国家が最適任だからである。 弥助問題でロックリーやUbisoftを批判する日本人を批判する面々は「創作なのだから問題にする方がおかしい/表現の自由の侵害だ」などと言っているが、これは問題の本質から外れて

弥助は「みなし侍」?

ネットで論争が続いている「弥助は侍だったのか否か」だが、この👇見解には納得感がある。 勝手に解釈させてもらうと、信長が直に見た目採用したことで名目(形式)的には侍扱いになったが、実質(勤務実態)はそうではなかった、つまりは「信長付みなし侍」のようなものだったのではないか。あくまでも「信長が側に置いている」から侍扱いなので、信長が死ねば「只の部外者」に逆戻りで、光秀も「前の職場に返せ」となったのだとすれば筋が通る。 54分過ぎではこちら👇の指摘にも触れているが、一般人は実質

Assassin's Creed ShadowsはWOKEの宣伝媒体

Assassin's Creed Shadowsの設定は 主人公が黒人と女(同性愛者設定も可) 敵が日本人の男の武士 目標が"to fee Japan from its oppressors" というものだが、これだけからWOKEの宣伝媒体であろうことが分かる人にはすぐに分かる。 WOKEとは、歴史的に抑圧された人種、性、性的少数者などのアイデンティティ集団(マイノリティ)と、抑圧する側のストレートの白人男(マジョリティ)の立場・力関係を逆転させるという思想・運動だ

トーマス・ロックリーにとっての偽史創作はオウムのポアに相当

トーマス・ロックリー(木下ロックリー トーマス)が学術研究を装った偽史の創作(サムライのブラックウォッシング)を行った動機についての非常に優れた考察であり、全面的に同意する。 英文だが平易なので是非読んでもらいたいが、ポイントは、動機は金目当てではなく、globalism, multiculturalismを伝道したいという思想・イデオロギーに基づいていたというものである。 ロックリーがglobalism, multiculturalismを信奉していることは、自身もBr

Assassin's Creed Shadowsと1579プロジェクト

日本ではまだ👇のような認識が主流のようだが、これでは甘すぎる。 Assassin's Creed Shadowsは単なるシリーズ物のゲームの一つにとどまるものではなく、日本史に黒人を捻じ込もうとするwokeism白人とAfrocentrism黒人による「1579プロジェクト」の一環だと認識するべきである(1579年は弥助がヴァリニャーノと共に来日した年)。「1579プロジェクト」だというのは、最初の黒人奴隷がヴァージニア植民地に着いた1619年が真のUSA建国の年だというN

アサクリ・弥助・ロックリーの論点整理

UbisoftのAssassin's Creed SHadowsの発表から炎上している「弥助」の件だが、焦点がぼやけかかっているように見えるので、事の本質を確認しておきたい。 この👇まとめ資料はほぼ同意できる内容なので参考にしてもらいたい。 ネット上では 弥助は「侍」だったのか 日本人は黒人を奴隷にしていたのか が争点になっているが、これらは本筋とは言えない。本筋の「ロックリー史観」のポイントは 弥助は織田信長の最側近にまで昇進していた 文武両道で戦国日本最強の

弥助問題で「侍の定義」に拘るのは悪手

Assassin's Creed Shadowsから火が付いた弥助問題で、日本史の専門家による逆襲が始まっているが、 その論の展開がこれ👇そのものに見える。 で、このままでは👇が正当化されることになる。 これまでのネット上の議論の展開を見ると、批判する一般人が100%確定できない「侍の定義」に固執した(あるいはするように誘導された)のは戦略ミスだったように思われる。そもそも、この問題の本質は、わずかな記録しか残っていない弥助と呼ばれた黒人が、 神仏の化身と思われて畏怖

ファクトチェック:トーマス・ロックリーは「日本が黒人奴隷を生んだ」とは書いていない……が

ロックリーの偽史騒動に尾鰭が付いてしまっているようなので、黒人奴隷について2017年の著書『信長と弥助』にどのように書かれていたかを確認する。 「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という説がどこから来たのかだが、ロックリーは中国の広州と同じ現象が九州でも生じていたと考えた可能性がある。 日本における奴隷に関する記述は58ページと126-127ページにほぼ同じ内容のものがある。 ちなみに、2019年の『AFRICAN SAMURAI: The Tr