動画で紹介されている『つなぐ世界史 2 近世』は「授業などでも補助教材として使いやすいように」というコンセプトの歴史教育書(㊟教科書ではない)で、第1章「16世紀の世界」の一部をトーマス・ロックリーが執筆している。
仕掛け人が客観を装って書いていたと分かって読むと、じわじわくるものがある。
ロックリーが日本史の捏造、revisionに手を染めた動機だが、最初は「ヒーローの多様性を求めるムーブメント」に参加することで「世界中の人々に生きる力・勇気を与えられるから」というある意味では純粋なものだったのではないかと思われる。もちろん、動機は行為を正当化しないが。
これ👇は鋭い洞察で同意する。
ちなみに、同書の「序」には👇とあるが、これはロックリーにも適用しなければならないだろう。
補足
👇はロックリー説だが、
信長が弥助を気に入ったのは「日本語での会話が可能で、少しの芸も出来たから」というイエズス会の記録から推測すると、西洋におけるミンストレル兼ポーターのような位置付けだったのではないか(ボブ・サップのような肉体それ自体が一種の「芸」と言える)。日本側に弥助の地位や任務の記録がないことや、光秀が「イエズス会に返せ」と言ったことからは、侍になる条件の「家臣団の組織体系の一員」とは認識されていなかったというのが妥当なところではないか。
ロックリーは弥助は甲州征伐の時点で明智光秀、高山右近、津田信澄に近い地位にまで出世していたとしているが、信長と物理的に近い距離にいたことは、家臣団の中での地位が高かったことを意味しない。