トーマス・ロックリーにとっての偽史創作はオウムのポアに相当

トーマス・ロックリー(木下ロックリー トーマス)が学術研究を装った偽史の創作(サムライのブラックウォッシング)を行った動機についての非常に優れた考察であり、全面的に同意する。

英文だが平易なので是非読んでもらいたいが、ポイントは、動機は金目当てではなく、globalism, multiculturalismを伝道したいという思想・イデオロギーに基づいていたというものである。

ロックリーがglobalism, multiculturalismを信奉していることは、自身もBrexitに幻滅して日本に帰化したことや、👇のインタビュー、その他の書籍や動画などに明確に示されている。

――ロックリーさんにJARの事務所で初めてお会いした時、難民の方への支援物資として、たくさんの食料品などと一緒に持ってきてくださったのが、ご著書の『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』『Yasuke: The true story of the legendary African Samurai)』でした。戦国時代に織田信長に仕えたアフリカ人の侍「弥助」に関する著作で、「難民の人にも読んでほしい。きっと勇気をもらえるから」と言ってくださいました。

私たちが生きているのは多くの難民が生まれ、はるか遠くまで逃れざるを得ない時代ですが、なかなかその認識が浸透せず、日本で難民支援をしていると言うと、なぜ日本に難民がと驚かれることも少なくありません。しかし、弥助の物語に勇気づけられた多くの人々からメッセージが寄せられたというお話には、故郷を離れ移動する人々への時代を越えた共感があるのではと思いました。

祖国を離れて異国で暮らす人を勇気づけるためには、奴隷だった弥助が日本で天下人の最側近にまで出世したというサクセスストーリー(シンデレラストーリー)はうってつけと言える。

近著も、弥助とほぼ同時代に太平洋で遭難した日本人がイギリスに渡ってジェントルマンになったというもので、弥助物語とパターンが酷似している(これも大部分が創作らしい)。

ロックリーも、単なるALTとして来日した非エリートだが、異国で准教授になるなど、弥助とパターンが似ており、それが弥助に強く共感した理由と考えられる。

最初の来日は2000年で、ALT(外国語指導助手)として鳥取の小学校で2年間働きました。日本に来た理由は特に何かあったわけではなく、冒険をしたいという気持ちから。初めての来日で、日本語も初めてでした。鳥取の本当に田舎の町で、外国人もほとんどおらず、必要に迫られて日本語はすぐに覚えられました。周りの人たちがとてもあたたかく、この時の経験が、後に弥助を知った時に強く惹かれたこととつながっていると思います。

日本人が理解しなければならないのは、西洋人の啓蒙思想教徒は宗教的情熱で動いていることである(globalism, multiculturalismは啓蒙思想教≒wokeismの一部)。

啓蒙思想は「世界の中心」だった神を棚上げし、そこに人間を持ってくることで、「神中心主義」から「人間中心主義」への転換を導く考え方です。宗教を封じ込める世俗主義の思想です。

キリスト教は仏教や神道と違って絶対的な善や悪へのこだわりが非常に強い。啓蒙思想は、キリスト教の鋳型と宗教的な情熱を引き継いでいます。一言で言うと、啓蒙思想は宗教です。米国では今、「啓蒙思想教」という宗教とキリスト教という宗教とがバトルしています。わかりやすく言うと、「宗教戦争」です。

ロックリーが昔のキリスト教徒のような情熱に動かされているとすれば、偽史を創作したことが容易に理解できる。「啓蒙思想教」は絶対善なので、その布教のためならあらゆる手段が正当化される。異文化の異国の歴史を勝手に改竄したり文化を盗用するのも絶対善のためなら無問題になるわけで、オウム真理教のポアと同じと言える。要するに、ロックリーは学究の徒ではなく伝道者(あるいは活動家)であり、研究倫理に反する偽史の創作も正しい行い・善行だと考えていたと推測される。

応援団の「殉教」という言葉遣いにも宗教的使命感が感じられる。

ところで、アカデミアの連中が「学問の自由」を盾にロックリーの処分に反対しているが、そもそもロックリーは学術研究をしていたのではなく、大学准教授という立場を悪用して故意に偽史の創作とその普及宣伝を行っていたのだから、アカデミアを追放されて当然なのである。

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