弥助問題~平和ボケを寛容と履き違える日本人
これまでに書いたことの再整理。
これら👇のコメントに「弥助が主人公でも構わない」というものが多くあるのを見ると、事の本質を理解できない日本人の平和ボケぶりに暗澹たる気分になる。「日本が黒人を奴隷にしていた」で騒いでいる人が多いようだが、本来の争点はそこではなく、「ナンバーワンのサムライ、侍の中の侍は日本人ではなく黒人」だという歴史修正、日本のnational prideの剥奪である。
「Assassin's Creed Shadowsがフィクションだと明示するのであれば『戦国最強の侍・弥助』が主人公でも無問題」とはいかないのは、日本人が知らないうちにトーマス・ロックリーの「戦国最強の『侍の中の侍』は黒人の弥助」「織田信長を含む当時の日本人は弥助を神仏の化身と思った」などの妄想が史実だとして海外に定着しつつあるからである。
Assassin's Creed Shadowsの予告映像にはロックリーの英語本を下敷きにしたと思われるシーンが幾つも見つかることから、Ubisoftの開発チームはロックリーの妄想を"Trud Story"だと信じて疑わなかっただろうと強く推測できる。それだけロックリー史観が海外に浸透しているということである。
嘘も百回言えば真実と言われるが、このような土壌にACSが投入されれば、たとえフィクションだという断りがあったとしても、歴史修正が一段と強化されてしまうことはほぼ確実である。
ロックリーが『英語で読む 外国人がほんとに知りたい日本の文化と歴史』に
と書いているように、侍は日本固有のもので、その歴史と文化は現代日本のnational identity, national prideに不可欠の要素になっているが、それを日本から奪って黒人に与えるためのプロパガンダが続々と準備されてたわけである。
柔道がJUDOになると日本人の手を離れて外人勢に仕切られるようになってしまったが、侍について現在進行中なのもこれと同じことで、ACSはその一つに過ぎない。Revisionistsは明確な意図をもって「ナンバーワンのサムライは黒人」を史実化しようとしているのだが、その悪意を感知できずに「無問題」だとする日本人は侍の精神を失った平和ボケであることは間違いない。
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