弥助は「みなし侍」?
ネットで論争が続いている「弥助は侍だったのか否か」だが、この👇見解には納得感がある。
勝手に解釈させてもらうと、信長が直に見た目採用したことで名目(形式)的には侍扱いになったが、実質(勤務実態)はそうではなかった、つまりは「信長付みなし侍」のようなものだったのではないか。あくまでも「信長が側に置いている」から侍扱いなので、信長が死ねば「只の部外者」に逆戻りで、光秀も「前の職場に返せ」となったのだとすれば筋が通る。
54分過ぎではこちら👇の指摘にも触れているが、一般人は実質の話をしているのに専門家は名目の話をするので話が噛み合わなかったと言える。
ロックリーは弥助は信長の側近中の側近(護衛兼軍師)だったと主張しているが、馬廻や母衣衆に入っていたという記録も、👇のように武功をあげたという記録もないので、単にお供をしているだけだったのだろう。
ロックリーが創造した弥助像は西洋では「史実」になっているので、Ubisoftの開発者は弥助を史実に基づいて再現したら👇になると本気で思っていたのだろう。
👇は「誰もいま聞いてないしお呼びじゃない」の見本。それにしても、この人はいつもどうしてこんなに偉そうなのか。
このタイミングでこの👇ようなバカ記事を出す神経を疑う。
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