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Privatesalon IRIE

今までBlogやSNSで発信をしてきましたが、note.に移行したので、Privatesalon IRIEのはじまりについて少しご紹介しようと思います。

Privatesalon IRIEのはじまり

女性の生涯に寄り添うサロンとして
理学療法士が行う託児付きサロンを2014年に大阪の泉州地区で始めました。

今でこそ少しずつ産後ケアや周産期にフォーカスが当たることが増えてきましたが、周産期(当サロンは妊娠16週以降です)から通えるサロンは、当時ほとんど無いに等しくて、私自身も第一子妊娠期には辛い思いをしました。

日に日に変わる体の変化や情緒の不安定さ、後期になるにつれて靴が入らないほど浮腫みが酷くなり、息苦しさが続いて夜中に過呼吸になることもしばしば。

理学療法士ながら、どうすれば良いのか、どうなっていくのか、分からない日々。

次第に腰の痛みや股関節の痛みに悩まされました。

どこを探しても、周産期の痛みや不調に関しては診てもらえるところが無く

それに追い討ちをかける様に周りの理解も

妊娠は病気じゃないから仕方ないよね。

そういった認識でした。

臨月ではお腹の皮膚はぱっつんぱっつん

妊娠は病気じゃない。

けれど、十月十日の間に、確実に体は急激な変化を伴い、ADL(日常生活動作)をも変えてしまいます。

理学療法士は、主に病気や外傷に伴う機能障害に対して運動療法や物理療法によって機能回復を目指し、更には、二次的に予測される機能低下を見据えながらADL指導やQOL(生活の質や生きがい)の担保をはかる、そういった事をしています。

が!?

しかし!!

理学療法士になる過程で周産期に関しては、何ひとつ習ってこないんです。

ヒトの身体の仕組みや機能解剖学など習ってはきますが、妊娠期に女性がどのように変化し、産後どのように機能低下を起こしてくるのか、こういったことは習ってはこないのが現状です。

日本の社会においては、最近になってようやくウィメンズヘルスやウェルネス事業にフォーカスが当たるようになり、周産期分野に医療職が介入する動きがみられてきました。

産婦人科に熱意ある理学療法士が関わることも徐々にみられてはきていますが、さまざまな課題があり、自費診療といった形でしか診ることができない現状があります。

妊娠過程は、ひとりひとり異なり、さまざまな変化があります。

体の中から構造体を押し広げられていく経験は、例えば、腹水が溜まる、腫瘍ができる、急激に皮下脂肪がついて太るなどの状況下では起こりうるものの、胎児のように確実に成長し、更にお腹の中で動きまわり、酸素や栄養素を供給し続けなければいけないような状況は妊娠期特有の機能変化です。

妊娠は病気じゃない。

それが故に悩まれている女性は多いです。

地域に関わる仕事を通して

理学療法士になって数年後、縁あって訪問リハビリを行なう会社へ就職しました。

当時は、まだまだ訪問型のリハビリ事業も少なく、経験値の浅い私が、先輩も現場にいない環境で何ができるのかと、前向きではありませんでした。

その反面、女性の理学療法士も少なかった時代ですので、訪問するなら女性が良いという希望が多く、あっという間に私の枠は埋まってしまい、日々忙しくしていました。

訪問での仕事は、リハビリ施設のように環境が整い、治療のための医療機器があるような場所でもドクターが居る場所でもありません。

自分の知識と経験を持って、利用者さんを支える家族や他職種と連携しながら、利用者さんの生活とその先の人生を支える一助を担います。

当時、若かった私は、人として未熟が故に、考えの拡がらないこともあったし、怒られることもあったし、私じゃない方が良かったんじゃないかと思う場面が多々ありました。いや、そんな連続だったなぁ・・・。

けれど、縁あって出会った人たちに、今の自分ができることをしないと申し訳ない気持ちになり、たくさん勉強して精一杯できることを模索しました。

小児から100歳を超える方まで、さまざまな生き方を見てきて、人それぞれの価値観がある事を学びました。

その中で、正論は時に人を大きく傷つけ、ありのままに寄り添うことの大切さに気づきました。
同時に、寄り添うことの難しさも。

たくさんエピソードはありますが、それはまたの機会にして、人それぞれの生き方に正解も不正解も無くて、それは今でも私の人と向き合う基盤になっています。

地域で仕事がしたい。
地域でキャリアを積みたい。

けれど、一つ目の壁が出来ました。

待機児童問題

待機児童問題が連日メディアでもちきりでした。

私が1人目を出産した当時、世の中は空前の
待機児童ブーム

役所に申請をしても「第4希望まで書いてください」と言われ、保育園が決まるのも復帰期間のギリギリ。

余談ですが、私が国家試験を受けた時代、就職は4月1日なのに、なぜか合格発表は5月半ばで、仕事の合間に職場のパソコンへダッシュして何度も何度も確認してたな・・・。
今はもう就職前に分かる時代になったよね。
デジャブかと思ったよw

急な子どもの発熱にスケジュールを変えられるような体制ではなかった時代。
両親もまだまだ現役で働き盛りな年代で頼り切ることはできない。
けれど、子どもがある程度、手が離れるまで妥協して地域ではない場所では働きたくない。
まして、二人目、三人目と子どもを持てるとしたら、私がキャリアを積みたい場所へ戻れる日はいつになるのか…。
技術も知識も目まぐるしく更新されていく医療業界で、果たして最前線に戻る席はあるの!?

負のループ炸裂。

こうして、現実と理想の狭間でもがいていた時に、やっぱり諦めきれず進んだ新しい道が
地域で起業する』ことでした。

一歳の娘を連れて泊まり込みの研修

地域で起業すると決めたは良いのですが、地域で何を担う人になりたいのかと考えた時に、具体的にこうありたいと言うイメージがありませんでした。

そんな時、ふと思い出したのが、訪問時に関わったひとつの家族でした。

当時、一歳半だった男の子は、先天的な病気の影響で首がまだ据わっていませんでした。言葉でのコミュニケーションもとれません。歳の離れたお姉ちゃん達は思春期真っ盛りな年代。

お母さんはシングルマザーになりたてでした。

同時に親の介護も重なっていました。

いつも訪問すると、笑顔が素敵で明るくて、テキパキと動き、よく話す女性でした。

当時、私はまだ独身で子どもも居らず、目に見える部分を支援することに必死でした。
息子さんのリハビリはもちろんですが、その周りの諸問題に対しても、情報を収集し、繋ぐべき人たちに繋いではきました。

しかし、自分も母親になった時、すごく後悔の念に駆られました。

いつも笑っていた先にお母さんが休まる場所はあったんだろうか。
大丈夫、泣いてもいいんだよ、辛いって言ってもいいんだよと言ってくれる人は居たんだろうか。
お母さんに寄り添ってくれる人は居たんだろうか。

今であれば、お母さんにかける言葉は全く違うと思います。

私が子育てをする中で社会からの孤立感や疎外感を抱いた時に、常に思い返すのは、そのお母さんのことでした。

地域で女性に関わる仕事をしよう

そう決めて、私は一歳になったばかりの娘を連れて、名古屋行きの電車に乗り、学ぶことを始めました。

それから、民間での認定試験を受けて、2014年6月、女性専門のサロンIRIEをスタートさせました。

サロンのはじまりには、こういったプロセスがあります。

この先にもまだまだ今に至るプロセスがありますが、それはまた次回。

女性の生涯に寄り添うと言っても、さまざまな生き方があり、どれが正解でもどれが不正解でもないです。

けれど、子育ての中で圧倒的に下がるのが、お母さんの自己肯定感

自己肯定感と言葉にすると分かりにくいのですが、ありのままを認めてもらうことかなと私は思います。

そこに関わっていける場所がIRIEでありたいと常に思っています。

長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

Akie.

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