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粟盛北光著 「小説 名娼明月」 自序
博多を中心としたる筑前一帯ほど、趣味多き歴史的伝説的物語の多いところはない。曰く箱崎文庫、曰く石童丸(いしどうまる)、曰く米一丸(よねいちまる)、曰く何、曰く何と、数え上げたらいくらでもある。
しかし、およそ女郎明月の物語くらい色彩に富み変化に裕(ゆた)かに、かつ優艶なる物語は、おそらく他にあるまい。
その備中の武家に生まれて博多柳町の女郎に終わるまでの波瀾曲折ある二十余年の生涯は、実に勇気
「小説 名娼明月」 第1話:不思議の蓮の花
むかし、博多柳町薩摩屋に、明月という女郎があった。
この女郎、一旦世を諸行無常と悟るや、萬行寺に足繁く詣で、時の住職正海師に就き、浄土真宗弥陀本願の尊き教えを聞き、歓喜感謝の念、小さき胸に湧き溢れ、師恩に報ずる微意として、自分がかねて最も秘蔵愛護し、夢寐の間も忘れ得ざりし仏縁深き錦の帯を正海師に送った。
そうして、廓(くるわ)の勤めの暇の朝な朝な萬行寺に参詣するのを唯一の慰めとし、もし未明の
「小説 名娼明月」 第70話(最終回):明月の臨終
明月の信仰は日を追うて固い。
「もはや帰るべき古郷は、備中西河内ではない。弥陀の浄土である。頼むは、他力本願の大悲である」
と、寝ても覚めても、念仏称名を忘れるときがない。
この年の極月三十日、明月は廓(くるわ)の暇を偸んで、例のごとく萬行寺に詣でた。かつて観世音寺に通夜したる砌(みぎ)り、夢想の天女に授かりし、蜀江の錦の来歴を語り、これを自分に持っておっても粗末になるから当寺に奉納い