「小説 名娼明月」 第69話:因果の諦め(後)
正海上人は、自分の前にうち伏して泣き悩む明月の姿を見て、覚えず自らも誘い込まれて、目をしばたたき、かつ頷いた。
「言わるるとおり、未来を助くるは僧侶の本分。必ず女人成仏の法話もいたしましょう。なれど、一秋殿とは、兄弟も啻(ただ)ならぬ間柄。その人の愛娘が、図らずも遊女となりてあるに巡り逢いながら、どうしてその事情を訊かずにいられよう。
和女(おんみ)も恥ずかしかるべし。さりながら、世は総て、因果の廻り合わせであれば、いかに恥ずとも及ばざるべし。いたずらに恥ずるを止めて、その事情を、願わくば語り聞かせたまえ」
と言われて、明月も、ようやく涙に濡れし顔を上げた。
そうして、父死後のことを細々(こまごま)と話し、薩摩屋の遊女となるまでのことも物語れば、さすが因果の道理諦めし上人も、法衣(ころも)の袖を濡らした。
「ああ、承れば、重ね重ねの和女(おんみ)の薄命、愚僧、お慰め申すべき言葉とても知らず。不幸の総てを前世の因果と諦めて、まだうら若き現身(げんしん)を浮世の苦労に委ねたまいたるお心の内、察するだに余りあり。
いろいろの話に時(とき)移りたれば、今日はこのままにて帰りたまえ。また明日にても、明後日にても、これより、しばしば時を重ねて来たまえ。必ず和女(おんみ)の未来を救うべき法話をいたすべし」
との懇(ねんご)ろなる上人の言葉に、明月は厚く、その厚意を謝して、その日はそのまま薩摩屋に帰った。
明月はこれから、暇さえあれば萬行寺に詣でて、正海師の法話を聞いた。
正海師は、いちいち経の文句を引いて、懇(ねんご)ろに説き聞かせた。
されば、現世に望みを絶ちし明月も、ようやくに未来の平安成仏が身に叶うと覚えて嬉しく、我が居室(いま)に仏像を安置して、香を捧げ、水を奉り、常住坐臥(じょうじゅうざが)、称名念仏を口から絶ったことがない。
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